2011年、2012年、そして今回とこれで3回目になります。閖上(ゆりあげ)朝市で朝ごはんを食べるのは毎回お決まりのお気に入りのコースですが、地元の方々との信頼に根差した本音の会話に参加したり、刻々と変わりゆく現地のニーズをくみ取りながら活動を展開するロシナンテスの活動を垣間見ることには、いつも様々な「気づき」があります。
今回の訪問の主な目的のひとつは、2011年に瓦礫撤去をお手伝いしたお宅の再建のお祝いをすることでした。
そのお宅は、津波による被害があったことはまったくわからない程度に再建されており、仕事の合間を縫って自宅を再建された家主の方の思いが(建物から)よく伝わってきました。瓦礫撤去をお手伝いさせていただいたメンバーでそのお宅を再度訪問し、家主の方の「思い」をひと時でも共有することができたことは本当によかった…
このような「場」を提供してくださった家主の方とロシナンテスに感謝です。
地元の方々とよなよな語っていたとき、ある方が「復興」と言われることが嫌でしょうがないと話されていたのが印象的でした。
外部の人間が(または内部の人間さえも)何気なくつかっている「復興」という言葉。
地元の方からしてみれば、いつまでも「復興」と言ってられない、大震災が起こっても日々は続いていくのだから…という気持ちなのかもしれません。
私自身が仕事で携わっている紛争後の地域に生きる人々からも同じようなことを聞いたことがあります。
「平和構築」や「復興」という言葉は嫌いだ、いつまでそんなこと言っているんだ?!と。
なるほど…
また、「生きているだけでよかったね」と言われることも震災にあった方々からしてみれば複雑なようです。
写真数枚以外は(家も含めて)全部失ったということの重み―想像の範囲を超えた出来事が起こったのだということを(東北の風景が少しずつ元通りになっていっていたとしても)心に留めておく必要があります。
一方で、繰り返し被災地を訪問してもらい、「何かできることがあれば…」と言われることは、やはり嬉しいことだとも地元の方々は話されていました。
外部の人間は、(被災地の方々のために)何かできる、とか、(被災地の方々と)分かりあえる、とか過信することなく、未来に向けた協働の可能性を静かに探りつづけることが求められていることなのかもしれないな、と仙台駅までの帰りの車の中で思いました。
3.11以降、避難所での医療活動から、ラジオ体操、瓦礫撤去、復興新聞、芋煮会、運動会など活動を展開させていったロシナンテス。
現在は仮設住宅に住む高齢者を対象としたコミュニティーファーム「健康農業 亘理いちご畑」の事業を展開しています。
東北事業所の代表のOさんは、現地で活動されることの意義や難しさ、そして、日々感じていることを(地元の美味しいお魚を食べながら)率直に語ってくださいました。
ロシナンテスはスーダンでも東北でも、現地のニーズに柔軟に対応しながら活動を進化させていくユニークなNPO。
これからも継続的にコンパスポイントのメンバーと一緒に東北とロシナンテスを応援していきたいです。