2009年10月24日土曜日

The Fundraising Party

以前にもブログで紹介したのですが、スーダンの女性がつくったアクセサリーや工芸品を扱う’The Root Project’(NGO)による資金調達のためのパーティーが開かれたため、私も参加してきました。

パーティーはNGOのスタッフの家で行われたのですが、この南部スーダンの地で、かなりオシャレな生活をしている彼女たちに驚きました。どんなところでも、仲間とセンスさえあれば、魅力的な空間はつくれるものなのだなぁと。

その家の中で、商品の展示、販売が行われ、私もついついいくつも買ってしまいました。

これからもっともっと商品をつくって、弱い立場に置かれた女性たちが快適に仕事に取り組める場をつくって、NGO自体の認知度を高めていきたいという’The Root Project’

このジュバという多くの困難がつきまとう地で始まったささやかだけれど大きな可能性を秘めた事業を私なりに支援していきたいと思うのですが、どのような方法が考えられるでしょうか。

ファンドレイズのパーティーに参加し続ける  自ら事業に出資する  ファンドレイズ自体をサポートする  アクセサリー等の制作のサポートをする  日本への販路を開拓する

あまり妙案はないのですが、しばらく週末に現場に通ってみて、ヒントを得られればと思っています。

The Roots Projectのスタッフ

◎スーダンの女性たちによるアクセサリー&工芸品


2009年10月23日金曜日

Emergency Support or Development ?

開発援助の世界において、ドナーは、「単に魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教えるのが我々の仕事です」というような言い方をします。私もその考え方には基本的に賛成なのですが、南部スーダンのようなところで仕事をしていると、本当にそのようなロジックはどのような現場にでも適用できるのか、そして、そもそも適用すべきなのだろうか…と自問自答するときがあります。

先週、うちの組織が支援している農村を見学に行ったのですが、ジュバから1時間ちょっと車で行っただけで、そこでは別世界が待っていました…学校もなく、病院もなく、井戸も壊れていないものは一つしかない…専門家によると、ジュバ近郊の農村の人々はお金も食糧も十分にないため、一日に一度しか食事をとらないとのこと。

農村の女性たちに村の中心地に集まってもらい、いろいろな話を聞いたとき。

たくさんの子供たちを連れてきて、その場で次から次に子供たちにお乳をあげる女性たちの姿に圧倒されました…(ル・クレジオの「アフリカ、それは顔よりは身体だった」という表現はその通りだなと実感。)

それにしても、これまで文字の読み書きも含めた教育の機会を奪われてきた女性たちは、「外部者」である私たちの声に対しては、受け身に反応するのみ。自分たちの中に自らの状況を変えられるような力があることにまだ気づいていないようでした。

子供たちは学校がないため、教育を受ける機会もなく、そのまま大人になってしまい、それらの若者の間での飲酒が農村で大きな問題になっています。

また、部族間の緊張が続いていることから、農村人口もかなり流動的です。部族間の対立が起こりそうなとき、農村の人々は牛を持って自分の村から逃げてしまいます。

このような、Emergencyの状況が続く中で、5年後、10年後を見据えた「開発」援助ができるのか…今お腹がすいている人たちに、「来年作物がとれるから…」と言って農業技術を教えることが本当に可能なのか…現場を見ると、簡単に答えの出ない問いにぶつかります。

我々の提供しようとしているソリューションは本当に有効なのか…

我々のマンデートはどこまでであるべきなのか…

2005年に内戦が終結し、来年には総選挙、再来年にはレファレンダムを控えたこの国は、内戦後5年目に突入しましたが、未だに緊急援助のフェーズを抜けきれておらず、開発援助をマンデートとするうちのような組織にとっては、「緊急援助」の部分をどこまで抱え込むべきなのか…難しい選択を迫られています。


Development is slowly happening… it is a process. If you want to change the attitude of the community, you have to change your own attitude at first.

南部スーダン農村開発省 次官 より

◎農村の子どもたち



2009年10月22日木曜日

日本からの贈り物

届くかどうか、ドキドキしながら日本からの宅急便を待っていたのですが、福岡の郵便局からスーダンのジュバまで、9日間で届きました!近くのMinistry of Tele Communicationまで取りに行ったところ、比較的スムーズに荷物も引き渡してもらえて、一人幸せに浸りました。

運動靴、病気の時に食べるおかゆ、お菓子、石鹸、洗剤…

高価ではないのですが、こっちではなかなかいいものが手に入らないため、どれも大切なもの…。ここ一か月で一番の嬉しい出来事でした^-^

ただし、喜んだのもつかのま…

贈り物のいくつかをクローゼットにしまって、残りは宅急便の箱に入れたままにしておいたら、次の日にクリーナーが宅急便の箱ごと捨ててしまいました…床の上に置いているものはすべて捨てていいと思ったようで…

このように小さなことに一喜一憂の日々ですが、物事が想定したようには全然展開してくれないところにいると、自分の中の心の感度が高くなっていく気がします。小さなことで拍手をしながら同僚と喜んでいるときに、我にかえってそう気づくのです。


「幸せはどんなところにも無尽蔵に待っている。(中略)全然無理して前向きに考えなくても、意外にもいろんなことが楽しく思える。何かができないということは、他の何かがそこにあるっていることなんだと思う。」 

『バナタイム』 よしもとばなな より


◎海を越えてジュバまでたどり着いてくれた宅急便@Ministry of Tele Communication

2009年10月18日日曜日

ALL THE BEST!

今週は、明日から開始されるナイロビでの研修(小・中学校の先生向けに理数科の教授法を教える研修)に参加する南部スーダンの代表8名を送りだすための準備に追われた一週間でした。

たった8人の代表を送るだけのことなのですが、インフラが整備されていない南部スーダンでは地方に住む人々を研修に送り出すためには、多大な労力を必要とします。

まず、そもそも電話が通じない。ジュバから遠く離れた地方に住む人たちは、携帯電話を持ってはいるものの、ネットワークの接続が悪いためなかなか電話がかかりません。20回かけて1回つながったら「やった!」という具合で、研修の日程やフライトを伝えたりすることに多大な時間と労力がかかりました。(そもそもインターネットのメールについては、南部スーダン政府(中央省庁)の人々でさえもほとんど使っていないような状況ですので、地方の人たちとはメールで連絡をとるということは全く期待できません…)また、郵便機能もマヒしているため、研修に係る書類を送付するのにも、人づてに頼んだり、地方にオフィスのある国際機関に頼んだりするのですが、それでも本人の手に届く確率は半分ぐらいでしょうか…(ハルツームやジュバでも郵便はほぼ機能していないため、地方については絶望的です。)

そのため、今回の研修も8人の研修候補生のうち何人が参加できるのか最後まで分からず、ひやひやしていたのですが、結局今日(日曜)の出発には6人しか間に合わず、一番遠い地方から来る予定の2人は遅れてナイロビに向かうことになりました。

インドネシアやベトナムのような大国を支援する際には、「政策協議」のようなことを途上国側の政府と援助機関が実施したりしているのですが、南部スーダンではロジ面でほとんどの仕事が終わってしまいます。課長代理クラスでも、仕事を任せられるような部下や秘書を持たないため、また、汚職が多いことから、自ら研修生のための国内移動用のチケットを航空会社にまで買いにいくような状況です。(給与の支払いの場合にも、銀行機能がマヒしている南部スーダンでは、政府の人たちが大金を自ら持って地方に運んでいるような状況です。)

この国で2年間は現地にじっくり腰をおろして、現地の人々に寄り添って、最もシンプルかつ効果的なソリューションを提供していくのが私の仕事と覚悟はしているものの、やっぱり週末も続けてこういうロジに追われていると、「はぁ」とため息…

ただ、南部スーダン政府の教育省の局長が、6人の研修生に向かって、「今回の研修にはアフリカ中から研修生が集まってきているため、とても優秀な人たちの中でもしかすると気後れすることがあるかもしれない。でも、私たちの国(南部スーダン)は2005年に生まれたばかりの新しい政府であり、まだ赤子のようなものです。だから、南部スーダンの代表として胸を張って研修に参加し、アフリカの他の国の人たちから多くのものを吸収し、お互いに支えあうように。帰国した後は、南部スーダンの小学校の理数科教育の刷新を中心的に担う人材として活躍してもらう予定です。」と話しているのを聞いていたときには、南部スーダンの小学校教育に今後大きな影響を与えるであろう事業のスターティングポイントに立ち会えてよかったなと感じました。日本も鎖国をやめて開国していった時代に、数多くの使節団を海外に送り出したわけですが、その時の使節団のメンバーとこの南部スーダンからの研修生が私の中では重なって見えました…

3週間後に研修生が南部スーダンに戻ってきて、ケニアで吸収してきたことを聞くのが今からとても楽しみです。

2009年10月15日木曜日

世界を変える初めの一歩

今週末の日曜日(14:00から)にJICA地球ひろば@広尾で「世界を変える初めの一歩」というトークイベントがあります。「一歩踏み出した実践者たち」という題名で、スーダンでご活躍するロシナンテスの川原さんやカンボジアで活動するかものはしプロジェクトの村田さんなどがパネリストとしてお話し、福留功男アナウンサーが司会をするということで、スーダンの農村で村人たちと働き続けることの難しさとやりがい、そして、そこから見える日本の姿など、いろいろ面白い話が聞けるかもしれません。ぜひ足を運んでみてください。

かものはしプロジェクト(カンボジアの児童買春をなくすための活動を行う団体 http://www.kamonohashi-project.net/ )には、3人の共同代表がいて、村田さんという女性はその中の一人なのですが、その他の2人にはご縁がありお話をしたことがあります。共同代表の一人、青木さんには2年前に「国際協力を仕事にする人達」というような題名の講演会を母校で依頼されたときに、ご一緒させていただきました。その時にかものはしプロジェクトのお話を伺い、私と同年代の青木さんたちが途上国の問題について、自分たちの頭で考えて、団体を立ち上げて、行動していることを知り、勇気づけられるとともに、私も組織に埋没してしまってはだめだと強く感じました。その後、もう一人の共同代表の本木さんには、去年1年間私が刺激をもらい続けたコンパスポイントという団体( http://compasspoint.asia/ )にゲストとしてお招きしたときにお話をお伺いしました。その時に感じたことは、優秀なNGOの経営は、企業の経営に通じる性質を兼ね備えているのだなぁということ。本木さんの考え方は古き良きチャリティー団体的なものではなく、企業家そのものの考え方で、だからこそ、かものはしプロジェクトは長く続いているのだなぁと納得しました。その時の本木さんのお話で面白いと感じた点をいくつか挙げてみると…

① 途上国でつくった製品を日本で売らない理由は、「顧客の顔が見えないと生産者が顧客を意識しない製品をつくってしまうから。」

② 共同経営者は3人。3人という人数は経営者の人数として適切というデータがある。当事者意識の醸成させつつ、明確な役割分担が可能。「ビジョン担当」「戦略担当」「調整・IT担当」。組織を成り立たせるためには、どれが欠けてもだめ。

③ 社会的弱者を救うために、資本主義の仕組みを徹底活用。(資本主義の辺境的なところにサービスを行き渡らせるという発想。)

④ NGOで働いている人間のマーケット価値を高めるためにはどうしたらいいかという視点。

⑤「最終目標」を常に忘れないようにする。迷ったり、もめたら、「誰のため」「何のため」という視点に戻る。

⑥じっくり考えつつ、行動を。(行動がないと何も生まない。)

⑦ 株主総会は広く意見を求める場に。(ただの「恒例の会議」という惰性の行動をやめる。サポーターの視線を有効活用。)

⑧民間活動は顧客に拒否の自由があるものの、NGOの活動は無償なので押し付けになる可能性があることを常に意識する必要あり。

「戦略担当」の本木さんに「調整・IT担当」の青木さん。そして、「ビジョン担当」の村田さん。その村田さんのお話だけはお伺いしたことがないので、いつかお伺いしたいなと思っています。

去年見た映画やドキュメンタリーの中で、一番衝撃的で心に残ったのが「闇の子供たち」(http://www.yami-kodomo.jp/ )でした。アジアの児童買春や臓器移植問題を扱ったもので、子どもたちが貧しさゆえに親に売られ、そして、売春宿で働かされたり、臓器を提供するために殺されていく話。そして、そこに日本社会や日本人がどのように絡んでいるのかということをするどく描いた作品です。見終わった後には、本当にぼーっとしてしまい、「怖い」という気持が抜けませんでした…人を商品としてしか扱わない世界…でも、「怖い」でおわらせずに、その世界に果敢に挑んでいるかものはしプロジェクトがあるということが、私たちにとっては希望のひかりだな…と感じています。私と同年代の3人に心からのエールを送るとともに、私もスーダンでできることからがんばろうと思います。


一人一人が行うことの影響力の大きい・小さいは問題ではない。行うことが大切。

                                                          ロシナンテス 川原尚行 より

2009年10月10日土曜日

週末の一コマ

今週末は首都のハルツームに出張だったのですが、飛行機に乗る前に、滞在しているホテルで日本人や従業員で集まってバレーボールをしました。私の滞在しているホテルの従業員はほとんどケニアからの出稼ぎ労働者なのですが、彼らは本当に運動神経がいいのです。はじめはバレーボールのプレイの仕方を分からなかった人たちも、10-15分の練習の後には、もう立派なプライヤーになっているから驚きです。途中から、日本人チームvsアフリカ混成チームで闘い、チームプレイの日本と個人プレーのアフリカという差が如実に表れていました。結果は、僅差で日本人チームの勝利!やっぱり最後はチームプレイが勝つのでしょうか。また来週末が楽しみです。

◎バレーボールの風景

2009年10月9日金曜日

難解なパズル?!

2005年に内戦が終結し、2010年には総選挙、そして、2011年にはスーダン南部の独立を問う住民投票が実施される予定のスーダンには、様々な国や国連機関、そしてNGOが援助を実施しています。南部スーダンを支援するドナー国会合には、世銀、国連機関、European Commission、アメリカ、ヨーロッパ諸国、中国、アフリカ諸国などからの参加者が集まるため、南部スーダンを支援する関係者の幅広さを実感します。

私の担当している教育セクターでは、月に一回程度情報交換の場としてドナーミーティングが開かれますが、そこにはアメリカ、北欧諸国、世銀、UNICEF等の関係者が集まり、それぞれのドナーが支援する事業の紹介や進捗状況の共有を行います。それぞれのドナーが教育省とだけ協議を行って事業を形成・実施することによって、支援分野に偏りやダブりがでないように、また、ドナー側が援助の実施方法をできるだけ統一することによって、援助を受け入れる教育省側の手間を省くことができるように、ドナー間の「援助協調」は重要な業務の一つです。特に教育セクターのように、62の事業が同時進行し(2008年)、援助関係者の数が多いセクターでは、どのドナーがどの分野を支援しているのかという全体像を把握するために、パズルのピースを一つ一つはめ込んでいくような作業が必要です。また、復興支援の現場では、プロジェクトの中身自体も状況にあわせてどんどん変わっていくことから、情報を把握するだけでなく、常にアップデートが必要になってきます。

ただ、「援助協調」という名の下で行われている試みが、新たなトランスアクションコストを生み、物事のスムーズな進捗を妨げている例もあり、「援助協調」=素晴らしい、という図式が必ずしも成り立たっていないことも確かです。例えば、南部スーダン政府は各ドナーがそれぞれの関連省庁と勝手に合意を結び、事業を実施することによって、ドナーからの資金の流れ全体を把握することが難しくなっているという状況を打開するために、全ての事業は、財務省が主催する全省庁の次官級レベルの役人が参加する委員会で承認されなければ実施できないというようなルールをつくったのですが、結局忙しい次官が一つ一つの事業の内容を検討するような委員会に参加できるはずもなく、暇な省庁の役人が参加しておしゃべりをするだけの場に委員会がなってしまっていることが挙げられます。

また、援助の現場では、様々なドナーのカラーが見えるため、その比較をするのはなかなか面白いです。例えば、アメリカ。アメリカは南部スーダン政府に資金を直接提供するようなことはあまり行わず、NGOに事業を委託するというような支援方法をとっています。そのため、南部スーダン政府側からしてみれば、アメリカが何をやろうとしているのか、そして、何をやっているのかわかりにくいようです…一方、一つ一つの事業をよく見てみると、例えば、南部スーダン全10州の教育省にコンサルタントを派遣し、そこで一緒に机を並べて相手側の能力強化を実施するといったような、地道だけれども地に足のついたいい支援をしていたりもします。南部スーダン政府は2005年にできた新しい政府のため、政府の役人でさえ、省庁に出勤しても何をすればいいのかわからないといったような人もいます…また、給料の支払いさえも3か月など普通に遅延するような状況では州政府には人件費以外の活動費がありません…そういった状況の中で、ドナーやNGOと州教育省をつないだり、アクションプランを一緒に作成したりするようなコンサルタントの存在は州にとっては大きな助けになっています。

また、南部スーダンでは、世銀は直接融資は行っていないものの、様々な国々が拠出した南部スーダン復興支援向けのファンドの運営を世銀が担っていることから、世銀は大きなプレゼンスを持っています。ファンドの管理者である世銀の姿勢は明確で、「計画者や実施者は南部スーダン政府。我々はお金を管理しているだけです。」一方、このファンドの下では、南部スーダン政府自身がプロポーザルを作成、提案し、そして、調達を実施しなければならないため、予定通りに物事がなかなか進んでおらず、南部スーダン政府側の「オーナーシップ」を尊重することは重要ですが、それをどこまでつきつめるかという難しい課題に現場は直面しています。

一方、UNICEF。南部スーダンの中に3つの拠点を持ち、全10州を対象にGo To School Initiativeを展開し、教師の訓練やChild Friendly Schoolの建設、学校運営の研修、Girls Incentive (女子を学校に行かせることによって家族に食糧がもらえるような仕組み)の実施、英語教育の提供など幅広く初等教育に係る事業を展開しているため、どんなに田舎の学校に行っても、UNICEFのシールやカレンダー、文房具を目にすることができ、UNICEFの影響力は絶大だなとどこに行っても感じます。また、南部スーダン政府の教育に係る政策を後押しするような支援もUNICEFの得意分野で、教育省とUNICEFが主催で様々なワークショップが開催されています。

教育セクターでは、NGOの役割も無視できません。政府の役割が極めて限られている南部スーダンのような地域では、NGOが政府の替わりの役割を果たしたり、政府のサポートを行ったり…例えば、教員研修のための教材づくりなどかなり専門的なことを行っているNGOもいます。

このように「事業」という無数のパズルが散らばっている中で、どこに自らの援助を位置付けて、はめ込んでいくのか…この作業を丁寧に行い、3年、5年後のパズルの絵を描いていけるようになることが駐在員の役割なのかな…と最近は感じています。


「どういうものを支援したら、5-10年後まで途上国の人たちに感謝されるか。それを考えて仕事ができるように。」

上司の一言 より

◎小学校の子供たち




2009年10月5日月曜日

スーダン@日本

日本ではなかなかスーダンに関する情報に出会う機会が少ないと思いますが、ちょうどこの秋スーダンをもっと知ることができる写真展と映画が日本で公開されますので、ぜひ足を運んでみて、よければ感想も聞かせてください!

◎ロシナンテス 川原尚行医師の挑戦 もうひとつのスーダン

JICA広尾 地球ひろば@東京 2009922日~104日(昨日で終了のようです…もっと早くお知らせすればよかったですね。)

□北九州市 小倉 井筒屋8F クロスロード 2009108日~1020

川原さんのスーダンでの活動や北部スーダンの風景がよくわかる写真展です。内藤さんの写真は本当に美しいです。どうしたら、そこらじゅうに散らばっている日常をこんなに綺麗に切り取れるのかなといつも不思議に思います。私もこのような写真の腕があれば、もっとジュバの風景や良さをみなさんにお伝えできるのですが…残念です。ちなみにこのポスターの写真、川原さんとおばあさんのまわりに綺麗な光の輪ができていて、おばあさんがマリア様のように見えませんか?

Sing for Darfur (邦題:ダルフールのために歌え)

「ダルフールで起きていることに無関心だったことにフラストレーションを感じ、本作品に臨んだ」というヨハン・クレイマー監督によって制作された映画です。「現在ダルフールで起きていることの犠牲者を援助する資金を集めるための非営利プロジェクト」という位置付けの作品。映画の内容は、スペインのバルセロナでダルフール難民救済のための慈善コンサートが開かれるという設定のようです。監督の「問題について考える時間を持つ余裕があることは、美しいこと」というメッセージは素敵ですよね。日本では、スーダン=ダルフール=危ないというイメージがどうしても定着していますが、そこを一歩踏み込んで、ダルフール問題って何?と考えられるような余裕を一人でも多くの人が持つようになれると何かが少し変わるかもしれません。社会問題を扱った映画の完成度は作品によってかなりばらつきがありますで、この映画ももしかすると内容はいまいちかもしれませんが(また、集めた資金でどのようにダルフールの犠牲者を支援するのかという点が援助関係者としては気なるところではありますが)、少なくとも制作の意図にはとても共感するなと思ったので、紹介させていただきました。

私も東京にいるときには、仕事の後や休日にはよく紛争関係の写真展やドキュメンタリー映画を見に行って、次の日からまたがんばるためのエネルギーをもらっていたものですが、今は全くそのような機会がないのが少し残念です…今いる場所だと、日常からちょっと距離を置いて、自分の位置を確かめるようなしかけは本ぐらいでしょうか。でも、ジュバには本屋さんもないので、日本から持ってきた本があるだけでも私は幸せですね、きっと。先日「本屋さんにつれていってほしい」とドライバーにお願いしたところ、Notebookがたくさん売られている文房具屋につれていかれました…

2009年10月4日日曜日

『体は全部知っている』

というタイトルの吉本ばななの本をもう10年近く前に読んだのですが、今回病気になってこのタイトルをふと思い出し、「本当にその通りだなぁ」と実感しました(ちなみに本の内容は全く覚えていませんが…)。

一週間お腹をこわしていたのに加え、木曜の晩から何度も吐いていたものの、熱は微熱ぐらいしかないので、疲れがたまってきたのかな…というぐらいに考え部屋で休んでいたのですが、あまりにも体が重いので次の日は一日仕事を休ませてもらいました。しかし、良くなる気配はなく…それでも病院が嫌いな私は「あと一日様子を見てそれでも辛かったら…」と心に決めていたのですが、同僚に「病院に行きましょう」と言われ、ドライバーにも「どこまでも迎えにいくから」と何度も電話をもらったので断りきれなくなり、重い腰をあげて、病院に行くことに…

病院に行っても、待合室にいるときには何度も帰ろうと思ったのですが、ドライバーが私を見ていたので逃げられず…呼ばれて診察室に行くと、しばらくしてサッカーのユニフォームのようなTシャツとジーンズを着たウガンダ人の男性が現れ、「妊娠してる?これからする予定はある?」といきなり聞かれ面喰いました…「いや、将来的には子供は欲しいですが…」とかぶつぶつ言っている間に、診察はすぐ終わり、検査をすることに。ちょっと心配になって、日本の父親に電話して「大丈夫かな?検査するって言っているけれど受けた方がいいかな?」と聞くと、「そういう医療施設しかないようなところに行くっておまえが決めたのだから、そこでみてもらうしかないだろう」と言われ、その通りだ…と心を決めて診察室へ。さっそく採血をしたのですが、その途中でも嘔吐…意識が朦朧とする中、ベッドに連れて行かれ、点滴を何本も受けることに…

上司には「駐在は、3日目、3週間目、そして、3ヶ月目が病気になりやすいみたいだから」と言われていたのですが、駐在して3ヶ月たった今、ついに病院のお世話になることに…

高い熱や関節痛はないため、マラリアではないと思っていたのですが、先生の診断結果はマラリア…ただし、下痢と嘔吐で薬も飲める状態ではないため、まずは薬を飲める状態に体をしましょうということで、お尻に注射をされてその日は帰りました。吐き気がなくなるだけで、絶望的な気持ちもどこかにいってしまったことが驚きでした。やっぱり病院に行ってお医者さんの言うことはちゃんと聞くものですね…点滴も注射も拒んだのですが、私の力ない言葉には耳を傾けようとせず、お医者さんや看護婦さんは容赦なく採血や注射や点滴を繰り返し、いろんな液体が私の体の中にどんどん入っていくのを見ながら、私の小さな体の中によくもこんな大量の液体が入っていくものだなぁと朦朧とした意識の中で見ていました。この処置だけで、かなり体が楽になり、体が楽になると心も楽になって…次の日に病院に行って、点滴をしてもらった時にお医者さんから「Your life is back!」と言われて心からホッとしました。マラリアの薬を3日分もらい、今はホテルでおとなしくしています(※現地のお医者さんはマラリアと言っていますが、日本人のお医者さんや看護婦さんにメールや電話で相談したところ、「その症状はマラリアではないと思います」と言われたので、やっぱりマラリアではないのかもしれません…)。

体は私の気付かない不調に先に気づいていろんな信号を送ってくれていたのだなぁと振り返って思いました。ちょっと疲れているだけかな…なんて思わずに、体が送ってくれる信号をきちんと受け止めてもっと早く対処していれば、こんなに苦しむ必要もなかったかもしれないので、今後はもっと気をつけます…

体調をずっと崩していた一週間、体も小さければ体力もあまりない私がこのような環境で仕事をするということ自体に少し無理があるのかな…と弱気になっていたのですが、体が回復してきて、逆に、このような環境で元気に働けること自体にもっともっと感謝しなきゃなと思いなおしました。駐在が決まったときに、「なかなかタイミングがあわないと女性は駐在する機会も逃してしまうものだから、この機会を大事にね」と女性の先輩がエールのメールを下さったことを思い出し、いろんなことを「当然」と思ってはいけないなと、今回の病気を通して再確認しました。

久々に病気になって、異国の地で病院に行ったら、大学4年生のときにバックパッカーでブラジルを歩き回ったときに、最後にサンパウロで病院のお世話になったことを思い出しました。あの時も採血のときに気を失ってしまい、ベッドに運ばれたな…そのせで、ブラジルの最大の観光スポットのイグアスの滝を見る機会を失ってしまったんだったなぁ…それにしても、病院を出た後にサンパウロにある日本人街に行って食べた日本料理は本当においしかったな…

ジュバには、残念ながら日本料理はないのですが、看護婦さんには「もう、好きなものを好きなだけ食べてもいいですよ」と言われたので、食べられることの幸せ、そして食べたいと思えることの幸せをかみしめながら、今晩は何を食べようかなと考えています。

◎私の部屋の前でたくさん実をつけているマンゴ