2011年6月30日木曜日

帰り道

フィールドからの帰り道。

牛も帰っている途中だったようで、数多くの牛に道を占領されてしまいました。

大きな角を持った牛は車越しに見てもかなり迫力があります。

南部スーダンならではの光景。

2011年6月26日日曜日

4つの罠

『最底辺の10億人』(ポール・コリアー著)をやっと最後まで読み切りました。
なんだか気が滅入る記述が多いので、これまではなかなかページが進まなかったのですが、南部スーダンの独立を控え、新生「南スーダン共和国」の将来を考える上ではヒントになることが多々書かれていたので、この時期に一気に読んでしまいました。

著者は、10億人の豊かな世界(先進国)と50億人の貧困の世界(発展途上国)という従来の分け方を改め、50億人の繁栄する世界または繁栄しつつある世界に住む人たちと10億人の底辺に閉じ込められたままひしめいている人たちという分け方を採ります。

10億人の底辺の人々のうち、70%はアフリカに住みます。また、全部で58カ国がこのカテゴリーに当てはまります。

では、具体的に底辺の10億人はどのような状態にあるのか―

例えば底辺の10億人の平均寿命は50歳(他の開発途上国では67歳)。
5歳になる前の幼児死亡率は14%(他の開発途上国では4%)。
慢性的な栄養失調の症状を示す子どもは36%(他の開発途上国では20%)・・・・

そして、著者はこれらの国々は、次の1つ以上の罠にはまっていると言います。

①紛争の罠
②天然資源の罠
③(天然資源が豊かでない)内陸国であることの罠
④劣悪なガバナンス(統治)の罠

そして、これらの罠から最底辺の10億人の国々が抜け出すためには、従来通りのアプローチを採っていてはだめで、援助・軍事介入・法と憲章・貿易政策の分野でG8が強力なリーダーシップを発揮することが求められていると著者は結論付けます。


さて、来月頭に誕生する「南スーダン共和国」。
南スーダン共和国では石油がとれますので、このうち、③以外の①②④が当てはまり、南スーダン共和国に住む人々も洩れなく最底辺の10億人にカテゴライズされています。
だいたいこれを聞くだけで不愉快ですし、このように烙印を押すこと自体がその世界の中でよりよい国づくりを目指して格闘し続けている人たちに対して大変失礼だとも思いますが、定量的な研究はあくまでも一つの見方(世界の読み解き方)を提示してくれるだけで、この先の国の行く末を予言できるわけではありません。
そのため、南スーダン共和国の人たちと開発パートナー(ドナー、国際機関及びNGO)は、最底辺の10億人の国々のこれまでの傾向と経験から学べることの中から南スーダン共和国の文脈で有益なものを抽出し、政策に反映させていけばいいだけの話です。

例えば、「失敗国家からの方向転換を達成するためには、国は大量の教育ある人たちに助けられなければならない」(※失敗国家:ガバナンスと経済政策で最低ライン以下にある低所得国のこと。著者の定義によれば、底辺の10億人の国の国民のうち四分の三以上が失敗国家に生きていることになる)と書かれていますが、これについては南部スーダン政府も十分に認識し、政策の一つとして採用し、海外に住む教育水準の高いディアスポラ(内戦中に海外に避難した南部スーダン人)を南部スーダンに呼び込もうとしています。これはもしかしたら、著者の研究等が現実の世界で適用された結果なのかもしれません。

また、南スーダン共和国のように「紛争後」の国であるということはメリットもあると書かれています。
「改革が内戦の後ほど起こりうるという一見奇妙に見える結果があるが、これは決して奇妙なことではない。普通は紛争後の国は恐るべきガバナンスと政策で始まるが、最初の10年間に重要な改善が見られるものである。古い利害関係が刷新されるため、政治はいつになく流動的となり、比較的変化させやすくなるのである」とのこと。ただし、「改革路線の維持が困難」なため、それを維持させるための技術協力(アドバイザーの派遣等の援助)が有効だと著者は説明しています。

また、著者は「内戦中の残虐行為をめぐる相互不信と非難の応酬から、典型的な紛争後の国で、終結後最初の10年間の間に平和を維持できる確率は、五分五分よりも多少良いくらいだ。実際、すべての内戦の半分が、内戦の再発のケースである」と言います。確かに、南北スーダン間の第二次内戦も第一次内戦後約10年経ってから勃発しました。

言いかえれば、これからの10年が新生南スーダン共和国の永続的な平和を構築できるかどうか、そして、これらの罠から抜け出せるかどうかの正念場になるということ。

私たちもそこに寄りそえるような開発パートナーでありたいものです。



◎北部スーダンと南部スーダンとの国境が一時的に閉められた結果、ディーゼルが南部スーダン中で不足。ガソリンスタンドの前で供給を待つ人達。内陸国となる南スーダン共和国の脆弱性が一気に露呈しました(2011年6月)

2011年6月25日土曜日

カフェ

建設中の建物の1階が即席カフェに。

南部スーダンの人たちは空間の使い方の天才だと思う。

二階部分の工事が進んでとりあえずのスペースが確保できたのを先日見たけれど、そしたらそこもすぐにカフェ化してた。

ジュバの街中は突っ込みどころ満載の風景がたくさん転がっている。

だけど、日本も外国人から見たらそんな風景が満載なんだろうなぁ~

2011年6月15日水曜日

学校給食


南部スーダン政府教育省の課長とUNICEFの職員と3人で話していた時のこと。

「南部スーダンで全寮制の大学や教員養成校の運営が止まっているのは、多くの場合食事を提供できないため。これらの運営を開始するためには、食糧を支援してくれるドナーを見つける必要がある。」と教育省課長。

「でも、教育省にも学校にもお金がないのだから、そもそも教育省や学校が生徒に3食提供するというところから考え直した方がいいのでは?」と私。日本では大学が生徒に3食提供するなんて考えられないので、日本の常識でコメントしてみた。

するとUNICEFのベテラン職員。「全寮制の大学や教員養成校が生徒に3度の食事を提供するのは、アフリカでは常識。南部スーダンに限った話ではない。食事が提供されなければ、生徒はお腹がすいて授業に出席し続けることができなくなるため、食事の提供は教育省や学校の責任。」と言い切る。

なるほど…日本の常識はアフリカの非常識というわけか…

アフリカでは食べられることが学べることに直結している―このことを改めて実感したやり取りだった。




食事を用意する南部スーダンの女性の姿

2011年6月12日日曜日

We are the World

お気に入りのバー@ジュバ


週末に一人で遅いランチを食べながらビールを飲んでいたら、テレビからWe are the Worldの映像と音楽が流れてきた。

この曲は、15年以上前に英語の授業で紹介されて、覚えた歌。
その時は歌詞の内容もよく理解しないままいつも口ずさんでいたけれど、改めて南部スーダンのジュバで聞くとなんだか心にずっしりきて、かつ、とても懐かしい…

でも、1985年にアフリカの飢餓と貧困の解決を目指してつくられたキャンペーンソングが、今でも色あせずに人々の心を捉え続けるというのはとても皮肉なことだなぁ。

サビのところの歌詞が、Let's start giving ではなく、Let's start sharingだったらもっと素敵なのだけれど。




There comes a time when we heed a certain call when the world must come together as one

There are people dying and it's time to lend a hand to life, the greatest gift of all

We can't go on pretending day by day that someone, somewhere will soon make a change

We are all a part of god's great big family and the truth, you know, love is all we need


We are the world

We are the children

We are the ones who make a brighter day so let's start giving

There's a choice we're making

We're saving our own lives

It's true we'll make a better day

Just you and me


Send them your heart so they'll know that someone cares and their lives will be stronger and free

As god has shown us by turning stones bread so we all must lend a helping hand

When you're down and out, there seems no hope at all

But if you just believe there's no way we can fall

Let us realize that a change can only come when we stand together as one


We are the world

We are the children

We are the ones who make a brighter day

so let's start giving

There's a choice we're making

We're saving our own lives

It's true we'll make a better day

Just you and me

2011年6月9日木曜日

Road is Life


車で片道4.5時間かかるところに日帰りで出張でした。

最近、ジュバから他の村や町に行く道がかなり整備されてきたため(といってもコンクリートの道路ではないのですが…)、そのイメージで出張にでかけたら、体験したことがないぐらいの悪路で驚きました。

いくつもの川の中も車で進みますし、道路の高低差もかなりあるため、常に車の中で飛び跳ねているような状況…
9時間の車の旅を終えた後には、本当にくたくたになり、次の日は全身打撲したかのようにからだが痛くなりました。

やっぱり道路の整備は大切。

今回訪問したカジョケジという町は、かなり農業がさかんなのですが、都市部へアクセスのいい道路がないため、余剰農産物を売ることができないとのこと。きっといい道路ができれば、カジョケジの人達のビジネスチャンスは一気に広がることでしょう。

ちなみに、途中で川に流された車を発見。

運転手に、「もし今よりも川の水位が上がって、川を車で渡ることができなかったらどうするの?」と聞いたところ、水位が下がるまで待つしかないとのこと。

なんだかのんびりした話ではありますが、雨期が本格化する前でよかったなぁ…

2011年6月5日日曜日

国々の生き方

南部スーダンのジュバの道路は、援助機関のランドクルーザーで溢れている。
他の途上国から来た人達もこの状況にはやっぱり驚くのだとか。
国連の車はそこら中走っているし、その他にも各国のドナーや国際NGOの車がたくさん。

もちろん、援助関係者が集まる会合も毎週のようにどこかで開かれている。

現場で2年近く様々なドナーや国際機関、NGOの仕事の仕方を見ているといろんな特徴が見えてくる。

やっぱり米国は市民社会や民間を強く育てるような支援を好む。だから、政府を迂回する支援が多い。そして、ドナーの間では支援額も存在感も圧倒的。

一方、ヨーロッパはチームプレー。EUとして、お金も出すし、口も出す。特に、南部スーダン政府に対する政策面での支援を提供するために数多くのコンサルタントを政府に送りこんでいる。南部スーダンでは、Joint Donor Officeというのをつくってオフィスまで共同。

でもその中でドイツは異質。協力分野を絞って、日本の技術協力に近いことを地道にやっていたりする。

国連は、面的展開に強い。各州にプレゼンスがあるし、インフラから政府の能力強化まで手広く支援を行っている。

そして、国際NGOはコミュニティレベルで政府の役割を一部担っていたりする。例えば、学校や病院の建設と運営。でも、今南部スーダン政府はそれを面白くないと思っているので、現場の人々のニーズと政府の方針(社会サービスは政府のシステムを通して提供されるべき!というもの)との間で国際NGOは板挟みになっていたりする。

日本にいるときには各援助機関の特徴を頭でわかったつもりになっていたけれど、援助合戦の現場で目で見て肌で感じてそれが本当にわかってきたなぁと思う今日この頃。

この中で日本はどう生きていくか―――。

2011年7月9日に南スーダン共和国が誕生したら、もっともっといろんな援助機関の4WDが増えるのかな。


ジュバ市内の看板「南スーダンはやっと自由になれた!!」