2011年5月29日日曜日

アフリカの真珠にて

白ナイルの源流



「アフリカの真珠」と言われるウガンダに出張に行ってました。

エンテベの空港はビクトリア湖に面していて、山と湖に囲まれた風景にはとても癒されました。
南部スーダンと比較して、道路や電力などのインフラも整備されており、また、建物も多く、なんだかキョロキョロしっぱなしでした。
気候も汗をかかない程度の暑さで、一年中こんな気候だというのは羨ましい限りです。


さて、出張中に聞いた興味深い話があります。

ある日系企業の若手数名が私費で休暇を使ってウガンダに農業機械の販売の可能性を模索しにやってきたとのこと。

この企業の東アフリカ代表の方に去年お話を伺う機会がありましたが、「これからのアフリカでのビジネスは、単に外から物を持ってきて売るというのではだめで、現地の人たちのニーズにあった商品を開発してそれを売るということが必要だと感じている」と熱く語っていらっしゃったのが印象に残っています。

きっとこういった熱い思いと現地での地道な情報収集がwin-winの関係を築くビジネスの基礎になっていくのでしょう。

日本でもBottom of Pyramid (BoP)層を対象としたビジネスの議論が盛んに行われていますが、やっぱりスタート地点は日本の会議室で議論されることではなく、アフリカやアジアの人々の生活そのものですので、それを垣間見に現地まで足を運ぶということは基本的なことですがとても大事なことだと思います。

ウガンダでは今はほとんどの農家が農業機械を使わずにマニュアルで農作業をしているようですが、10年後、20年後にこれが機械化されることで生産性がぐっと上がるだろうと言われています。

小規模農家が農業機械に継続的にアクセスできるためのルートをいかに確保するか…派手なビジネスではありませんが、これらのルートが確保できればアフリカの人たちにはとっても感謝されるビジネスになるでしょう。


南部スーダンの南側はウガンダの経済圏に含まれていると言っても過言ではありませんので、ウガンダでこのようなビジネスモデルが日本企業によって確立されたら、この恩恵を南部スーダンで受けられる日はそう遠くないかもしれない…そういう意味でも今後の成り行きをとても楽しみにしています。

2011年5月28日土曜日

スーダン・東日本大震災 ~光を求め続けて~

ロシナンテス(スーダンと東北で医療活動等を行う本邦NGO)の代表の川原さんが東京で講演会をします。

震災後すぐに東北入りして、医療活動やがれきの撤去作業をロシナンテスのメンバーと継続している川原さん。

前回日本に帰国した際にもお会いしましたが、「いくら寄付したかとか、そういうことももちろん大事だけれど、もっとマクロな視点で、これからの日本をどうしていかないけんかという考えがなきゃいかん。」と疲れた体に鞭を打ちながらも熱弁されている姿がとても印象的でした。

川原さんのお話を伺うといつもいろんな発見があります。

ぜひ6月第一週目の週末に川原さんと一緒に東北と日本の未来について考える時間を持ってみてはいかがでしょうか。

ちなみに、今回の講演会のまとめ役の宮内くん(以下の案内の最後の方にも名前が出てきます)。
スーダンへの航空券が安かったという理由でなんとなく春休みにスーダンに遊びに来て、その後川原さんとロシナンテスと出会い、今ではロシナンテスの強力なサポーターになっています。

人の縁ってとっても不思議だなぁと…

そして、川原さんはそういう「縁」というものもを引き寄せる人だなとも思います。



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ロシナンテス東京講演会
「スーダン・東日本大震災 ~光を求め続けて~」
6月4日(土)13:00~
武田先端知ビル・武田ホール@東京大学浅野キャンパス

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6月4日(土)に、アフリカ・スーダン、及び宮城県名取市・岩沼市で活動する、
NPO法人ロシナンテス代表理事 川原尚行の東京講演会を開催いたします。

外務省の医務官として赴任したスーダン、続く内戦で厳しい生活をしいられる人々を見て、
医師として何かできないかと外務省を退職し、NPO法人ロシナンテスを設立、家族を日本
に残して、スーダンでNGOとして活動を始めました。
その活動は医療にとどまらず、現在では、学校・教育事業、水・衛生事業、交流事業、
スポーツ事業と幅広い分野にわたって総合的に取り組んでいます。

また、本年3月11日の東日本大震災に際し偶然東京に一時帰国していた川原は、
そのまま被災地に向かい、名取市・岩沼市において医療支援活動を開始しました。
医療活動は地元の医療機関に引き継ぎましたが、被災民の依頼もあり、仮設住宅内の
健康管理を行っています。
また、子供たちをの勉強を補助やスポーツ活動などを行う寺小屋事業、そして造園業者と
協同してのガレキ撤去、ドロ除去などの支援活動を行っています。

その精力的な活動は、日本の多くのメディアにも取り上げられてきました。
最近では、日本テレビ「行列のできる法律相談所」や「深イイ話」で、ロシナンテスと
川原尚行の活動が1時間の特集で紹介されました。

今回の東京講演会では、スーダン・東北でのロシナンテスの最近の取り組みや、
川原尚行がスーダン・および東北での暮らしで見つけた、苦境の中の人々の輝きに
焦点をあてて、「スーダン・東日本大震災 ~光を求め続けて~」というテーマ
のもとお話しします。


●時間:6月4日(土)13:00~ (受付 12:30~)
 ※13時には講演会が開始しますので、お時間に余裕を持って会場へお越し下さい。

●会場:武田先端知ビル・武田ホール(東京大学浅野キャンパス)
東京メトロ千代田線 根津駅下車(1番出口)徒歩5分
東京メトロ南北線 東大前駅下車(1番出口)徒歩10分
http://www.vdec.u-tokyo.ac.jp/Guide/access.html

●参加費:無料

●定員:339名

●プログラム
12:30 受付開始
13:00 開会
13:05 講演:「スーダン・東日本大震災 ~光を求め続けて~」
14:30 閉会


【プロフィール】

■川原尚行(NPO法人ロシナンテス・代表理事)
1965年福岡県北九州市に生まれる。
高校、大学時代はラグビーに没頭し、主将を務める。
医学の道を志し、九州大学医学部へ進学。
1998年外務省入省、在タンザニア日本国大使館医務官として赴任。
2002年在スーダン日本国大使館へ医務官として赴任し
スーダンの現状を目の当たりにする。
2005年1月外務省退職を決意し、同年4月よりスーダンにて医療活動を開始。
2007年にはスーダン ガダーレフ州シェリフ・ハサバッラ村に診療所を開設。
2010年3月より、宮城県名取市・岩沼市にて、医療支援・瓦礫撤去作業を開始。
現在はスーダンと宮城県を往復し、両地域の復興に向けて尽力している。

NPO法人ロシナンテス
http://www.rocinantes.org/


●●●お申し込み●●●
https://ss1.coressl.jp/kokucheese.com/event/entry/11891/
(お申込フォームより送信してください)

*本講演会は事前にお申込が必要となります。
定員になり次第、お申込を締め切らせて頂きますのでお早めにお申込ください。

[お問い合わせ]
東京大学国際交流機構(UT-IRIS) 担当:宮内
y.miyauchi@ut-iris.org
http://ut-iris.org/

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2011年5月23日月曜日

コンゴ民主共和国

会社の同期の男の子がコンゴ民主共和国に赴任するというので、「おっ、隣の国だ~ご近所さん」と思って地図を広げてみたら、隣の国であることは間違いないのですが、コンゴ民の首都キンシャサは南部スーダンからはかなり遠く…どちらかというとアフリカの西側という感じです。

でも、南部スーダンの首都ジュバからコンゴ民との国境までは車で約4-5時間程度。

おまけに国境付近には特に柵もなく、人々は両方の国の間を自由に行き来しています。これは裏を返せばそれだけ治安がいいということの現れなのでしょうか

現地の出張に行った時に「この道路の右側はコンゴ民、左側は南部スーダンだよ」と言われてもあまり実感はなく…

でも言われてみれば、コンゴ民側にはコンゴ民の旗を掲げるお店や家屋、政府施設がありました。

それにしても、コンゴ民との国境付近の景色は本当に美しく、車の外の景色に釘付け…これだけ森が深ければ、チンパンジーもゴリラもいくらでもいるだろうなぁ…と景色に納得させられた自分がいました。



◎森の海。手前は南部スーダン。奥の右側がコンゴ民。左側がウガンダ。
◎道の右側がコンゴ民。左側が南部スーダン。

2011年5月22日日曜日

地雷

Yeiという町に出張に行ったときのこと。

JubaからYeiまで車で3時間ぐらいの距離なのですが、途中で4回も地雷除去のために足止めをくらいました。待った時間は合計1時間半。

幹線道路及びその周辺からはすでに地雷が除去されているのですが、もう少しブッシュの中を入っていくと未だ未だ地雷は数多く残っているため、地雷除去の作業は週末も続きます。

内戦中Jubaは北部スーダン政府の占領下にあり、一方で、Yeiは当時の反乱軍(現在の南部スーダン政府の正規軍)の支配下にあったため、Juba-Yeiを繋ぐ道路の周りにはお互いの攻撃や侵攻を防ぐための地雷が多く埋められたようです。


一方で、南部スーダンの中には今でも地雷を埋め続けている人たちがいます。

部族間の紛争が今年になって急増しているのですが、その部族間の紛争を防ぐために(部族の移動を制限するために)一部の地域では地雷が埋められているとのこと。


先週も南部スーダンでは地雷の被害で数人が亡くなり、数人が足を失ったというニュースが聞こえてきました。


南部スーダンのある地域では平和に向けて地雷除去が進められる一方で、同じ国内の別の地域で地雷を埋める人達が同時に存在する…なんとも悲しい現実です。



◎地雷除去中のため道路が封鎖されている様子

2011年5月19日木曜日

確実な変化

ジュバから車で1時間半ぐらいのところに調査にいってきました。

私が南部スーダンに赴任した2009年頃は、ジュバからその町へ行く道路では牛を巡る部族間の争いがあったため、その道路は治安上の理由から度々封鎖されていましたが、今は何の問題もなくその道路を通ることができるようになりました。

当時は、このエリアには小型武器を持つ人達が多く、また、その町の町長さんに当たるような人が現地にはおらずジュバにいたため、治安をコントロールすることができなかったようですが、この2年間で小型武器の回収が進み、また、新しい町長さんが選ばれて現地に滞在するようになり隣の部族とのいざこざを適切に処理できるようになった結果、治安が劇的に改善されたということです。

2005年の包括的和平合意(CPA)後、政府は一体何をやっているのか、南部スーダンの状況は全然改善していないじゃないかという声もよく聞こえますが、こういう変化はなかなか表に出てきにくいのだろうなぁと思いました。

少しずつ、でも確実に変化は起きているのだなぁ…とこの訪問を通して実感したひと時でした。

2011年5月7日土曜日

生命力

空から見たルンベック。木がまばらに散らばる。
人々の住む家。手前は井戸。


南部スーダンの地方のルンベックというところに出張してきました。

街中に木が多いルンベックは森を切り開いてできた町。

もともとは南部スーダンの首都になる予定だったようですが、建物が少ない、また、ある特定の部族が多いなどの理由で結局は首都になりませんでした。

市電もなく、街中には泥と竹と藁でできた家が多数。

この世界がひっくりかえって私たちが便利な暮らしができなくなり瀕死の状態になったとしても、ここの人たちはそれを横目に誰よりもたくましく生き続ける能力を持っているのだろうな…車の中から風景を眺めていてふとそう思いました。