2011年9月30日金曜日

建国62周年記念




今週は中国大使館のレセプションに参加しました。

数多くの政府関係者、ドナー、PKOに参加する中国人、そして中国の民間企業の人たち(石油関係、建設関係、通信関係等)が参加する華やかなパーティー。

大統領のかわりにパーティーに出席した南スーダン情報省の大臣は、お祝いのスピーチの中で、「中国は建国してから62年。南スーダンは建国してから2カ月と2週間。中国のことをおじいちゃんと呼んでもいいですか?」と話し、会場の笑いを誘っていました。

中国大使のスピーチの中では、南北和平合意後、中国がいかに南スーダンに貢献してきたか(1,000本以上の井戸の建設、PKOの医療・施設部隊の派遣等)が語られ、中国と南スーダンの良好な関係がアピールされました。

パーティーに参加している中国人の数をみると、南スーダンにどれだけ食い込んでいるかが分かります。ほとんどの方が英語を話さないのですが、それでもビジネスが成り立つということなのでしょう。

私が話をした建設関係の会社の現地代表の方は、10以上の中国の建設会社が現地では工事を受注中で、未だ受注していないけれど現地でのビジネスに関心を示している中国の建設会社は数十とあると話していました。そういえばスーダンの空港で中国の人に「何か建設関係の仕事があれば教えてください」と突然声をかけられたことがあったなぁ。やっぱりバイタリティが違います。

パーティーの後半には美味しい中華料理がふるまわれ、素敵な時間となりました。

2011年9月29日木曜日

貧困の本質は可能性の貧しさを受け入れること

アメリカのスラム街でアトリエを設置し、陶芸を教えることを通して、貧しい人々自身が持つ可能性に気付かせ、彼らが豊かな人生を送る手助けを始めたビル・ストリックランド。
その後、彼は職業訓練所やコンサートホールの建設・運営を通じて、多くの貧しい人々をエンパワーし、彼らを成功へと導いていく…


そのようなビルのストーリーを綴った『あなたには夢がある』。


貧しい人々について書かれていることは、アメリカのスラム街だけではなく南スーダンのような途上国文脈にも当てはまるため、我々開発援助に携わる者に対するインプリケーションが多々ありました。


どのような人にも可能性がある。
ただし、貧しい人達はそのような可能性があることを自らは信じられないような環境に置かれている。
そのため、その可能性に気づくきっかけを得られるような環境を用意する。
その体験を通じて、貧しい人達は初めて「貧しい人」ではなくなり、自らの可能性を信じ、行動していけるようになる…


アトリエ、職業訓練所等での活動をとおして、これらのサイクルを見事につくり上げて行ったビル。


このような「きっかけ」を人に提供するような仕事をこれまでどれだけやってこれたか…ビルの本を読みつつ、自問自答を繰り返す私がいました。


素敵な言葉がたくさん詰まった宝箱のような本。以下に少しだけ紹介します。






「私たちはだれもが、夢をかなえる力を秘めている。その力が発揮できない最大の要因は、その夢は非現実的だ、手が届かない、と自分で思い込むこと、あるいは人から思い込まされることだ」




「芸術は架け橋です。より大きな世界、さらに幅広い経験ができる世界への架け橋なのです。路上で生活していた貧しい少年たちが、よい絵を見たからといって必ず芸術を愛するようになるとは思いませんが、人は芸術に接することで、変われると思います。(中略)うちの生徒たちは、『自分にはできない』と決めつけるのをやめます。そして、生きがいのある生き方とはどんなものなのか、おぼろげにではありますが、わかりはじめるのです」




「実際、自分自身を救うまでは、他人は救えない。自分を知り、自分がどんな生き方をしたいのかわかるまでは、他人を救うことなどできないのだ。」




「私は、自分の経験から、また成功した生徒たちや尊敬するたくさんの成功者たちを見て、本物の成功を収めるもっとも確実な道は、心や精神にとって大事なものを知性と責任をもって追求することだと確信している。」




「砂時計の砂は、いつも同じように流れる。他人の成功の定義に従って、貴重な時間を無駄にするのはやめてほしい。今の望みにしたがって生きてほしい。あなたを元気にするもの、悩ませるもの、生きているともっとも実感できるものを見つけよう。そしてそうしたものがあなたの将来を形づくると信じよう。そうすればあなたは、心から望んだことを、きっとかなえることができる。」




「失敗への恐怖は夢の妨げとなる。しかし、失敗を恐れていてはとびきりの人生は送れない。その恐怖に打ち勝つには、自分の情熱を信じることだ。情熱は、失敗を防ぐことはできないが、情熱があれば、何度失敗しても夢が消えることはない。人は失敗することで学ぶ。失敗することで、人はビジョンを立て直し、やり方を考え直し、夢の実現に必要なスキルや能力の向上を図る。」




「貧困とは、無秩序な思考だ。貧困とは、人生のもっとも深いところにある可能性とのつながりを失うことだ。マンチェスター・ビッドウェイルでは、生徒がそうしたつながりをふたたび取り戻す手助けをしようとしている。壊れた人生を修復するために、豊かで意味のあることに夢中にさせ、彼らのほんとうの潜在能力に気づかせようとしているのだ。」




「どのセンターにも、私たちのスクールの次のような基本理念を行きわたらせる。『どんな環境に生まれても、人はだれもがすばらしい力を秘めて生まれてくる。生徒を健全な環境に置き、心の栄養となるような刺激的、創造的体験をさせることで、生徒はその秘めた力を開花させる』」




「世の中には、『ほしいもの』がわかっている人はたくさんいる。でもそれをストーリーとは言わない。あなたが『なりたいもの』がわかっていることを人に示せるものがストーリーなのだ。あなたが自信を持って真摯に、そんなストーリーを語れるなら、いずれはそれを聞くのにふさわしい相手をつかまえ、とびきりの時間と本物の成功を手に入れることができるはずだ。」

2011年9月17日土曜日

現地の人々の視点から

南スーダンを長年研究されている文化人類学者の方からお話をお伺いする機会がありました。


そのとき、今まで南スーダンに滞在してずっと疑問に思っていたことを聞いてみました。
「現地の人にとって『国(=南スーダン共和国)』とはどのようなものなのでしょうか。」


K先生の研究されている南スーダンのパリ人の使うパリ語には、そもそも『国』という言葉がないとのこと。また、内戦を契機に難民として国境を越えて''外国人''になることによって初めて『国』というものを意識した南スーダン人が多いのではないか(内戦前には''スーダン人''という意識もなかった)というお話でした。


一方、パリ語の中には『政府』という言葉はあり、政府=軍という意味で使われているそうです。


パリ人にとって、国ができるということは(主権を持つ、条約を独自に結べるようになる、大使館を設立する等いろいろあるものの)「アラブがいなくなる」ということとほとんど同義なのではないか―という解説には、大変納得させられました。


その他にも、パリ人の住むパチディ村では住民投票の際約2000人の有権者全員が(南スーダンの)独立に投票したというエピソードや、勤勉が得にならず嫉妬の対象になるというお話、また、内戦が終了した現在でも軍隊による村人のリクルートは続いており、仕事のない村人にとっては「兵隊になる=出稼ぎに行く」という感覚なのだというお話等々は大変興味深く、2年以上南スーダンに滞在する中で私自身が感じていたことに通じることも多く共感の連続でした。


以前読んだK先生の著書『民族紛争を生きる人びと』からは、私にとって長い間疑問だった南スーダンの内戦の在り方(多くの南スーダン人が内戦中に北部スーダン(''敵陣'')に''避難''していたという事実をどう解釈するか)について、新しい視座を与えてもらい、読んだ後霧がパーっと晴れるような気分になりました。この本は南スーダンに関わる人(特に現地で活動する人)にはお薦めの一冊です。


いつか私も南スーダンの農村に滞在して、現地の人々の視点からこの国を眺めてみたいと思う今日このごろです。


左:西エクアトリア州のバラク

2011年9月4日日曜日

パイナップル・シティ



出張で西エクアトリア州の州都ヤンビオを訪問。

南スーダンの中でも最も南西にある州で、コンゴ民や中央アフリカと接する。
ジュバ近郊と比べると緑が濃く、空気中の湿気も多い。

州のシンボルマークはパイナップル。甘くておいしいパイナップルの産地として有名。

南スーダンの独立前までは農村部で散発的に神の抵抗軍(LRA)が出現し、略奪等を行っていたようだが、最近はウガンダ軍の協力も得て、南スーダン政府軍と警察が治安維持に努め、一定の成果をあげているとのこと。

たまたま宿が一緒だった国連のインターナショナルスタッフが、「数日前、日没後に農村部で車がスタックしてしまい、LRAが現れたらどうしようと気が気でなかったよ。ヤンビオまで無事に戻ってこれてよかった…」と胸をなでおろしていたのが印象的だった。

イギリスが数十年前に投資したアグロ・コンプレックスの残骸が大量にあり、その場にいるとまるで博物館かどこかに迷いこんだような気分になった。昔はコットンの生産等をここで行っていたと言うが想像できない・・・

現州知事は欧米帰りのやり手で州内への投資の呼び込みに熱心なのだとか。

立地と自然条件は悪くないこの州が発展するためには、治安維持・農業復興・道路等の基礎インフラ整備が鍵となるか?!

今回の出張で9州目の州都訪問。石油の産地であるユニティ州だけにはとうとういく機会がなかったなぁ。


州農業省の前(パイナップル畑)

 ヤンビオの夕焼け