2009年12月26日土曜日

Sun Air

今日、ジュバからハルツームに移動してきました。

あと2日間働けば、年末年始のお休みです。

初めてスーダンで長い休みを過ごすので、旅行ガイドブックを眺めながら、どこにいこうかな…とあれこれ考えています。(スーダン国内については移動が厳しく制限されていますのでほとんどどこにも行けないのですが…とほほ。)

ハルツームに移動してきた飛行機(@Sun Air)の中での出来事。

隣に座った女性が、シートベルトの付け方を知らないようなので、シートベルトの着用を手助けしたところ、「ありがとう!私は飛行機に乗るのが初めてなの。だからすごく緊張してしまって…」と意外な反応が返ってきました。

よく見ると、まだ少女のような顔つき。

ジュバに住んでいるかどうかを尋ねると、

「ウガンダの高校に行っているのよ。お父さんはジュバに住んでいて、親戚がハルツームにいるにで、生まれて初めてハルツームに行くの。実はジュバに来たのも去年が初めて。それまでは、エチオピアで生まれて、ケニアの小・中学校を卒業して、ウガンダの高校に通っているの。お母さん?生きているか死んでいるかも分からないわ。私が生まれたときはスーダンは戦時中だったから、お母さんは私をエチオピアで産んだけれど、その後スーダンに戻ったかどうかも知らないの。私は教会のシスターに育てられたのよ。17歳のときに初めて父親と出会い、大学生になったらスーダンに戻ることにしたの。父親やその他の家族と出会うまでは、『自分が何者か』ということが分からなくて怖かった…でも、去年父親やその他の家族と出会って、やっとその恐怖から自由になれたわ。」

戦争はこうやって一人の少女の人生も大きく変えてしまうようです。

でも、彼女の素敵な笑顔を見ると、きっといいシスターさんに育てられてきたのだろうなと感じました。

宗教はこのような形でスーダンではSafety Netの役割も果たしています。

彼女に「大学では何を勉強したいの?」と聞くと、「お医者さんになりたいの。」という答えが返ってきました。

このように、海外で学ぶ機会を得たスーダン人たちが、今後スーダンに戻ってきて、様々な形でスーダンの発展に貢献してくれれば…と願うばかりです。(ちなみに、USAIDはそのような人々の帰還を促進するプログラムを実施していたりします。)

ハルツームの空港に飛行機が到着し、彼女が席を立った時、あまりにも背が高いので、私がびっくりしていると、「これがスーダン人というものよ!」と彼女は笑いながら去って行きました。

海外で生まれて育っても、「スーダン人であること」はしっかりと彼女には刻まれているようです。


◎ジュバの建設中の空港(1年前から全く進捗がないようです。来年には完成するのでしょうか…)

◎久々のハルツームの街並み

2009年12月23日水曜日

Money Money Money

今週の月曜日に教育省に行ったとき…

教育省の周りにいつもより警察官が多いな…思いきや、ちょっと前にジュバ大学の学生によるデモがあったとのこと。

学生の要求内容は、クリスマス休暇でHometownに帰るための交通費を支給しろ!というもの。

確かに、南部スーダンでは、大学生には寮(住むところ)と食事は政府が提供することになっていますので、それがベースになると、交通費も政府が当然支給するもの…という考えに行きつくのでしょうか…


一方、南部スーダン政府教育省。

現在2か月分の給料の支払いが遅延しているとのこと。

クリスマス休暇前でいろいろ出費がかさむこの時期に、手ぶらでは帰省できない…と多くの職員が給料の支払いを待っています。


話は変わってうちのスーダン人職員。

2人の職員は家族がウガンダにいるため、スーダンポンドでもらった給料をどうやってUSドルに変えるかということに必死です。

やっぱりスーダンの通貨(スーダンポンド)はなかなか高く買ってもらえないようですし、隣国では両替は難しいようです…

また、うちのドライバーは家族が地方都市にいて、小さな子ども3人が彼の帰りを待っています。

「子供たちへのクリスマスプレゼントは買った?」と聞くと、「たくさんの欲しいものリストが送られてきたよ。新しい靴、服、ケーキ、そしてソーダ…」と嬉しそうに話し、12月分のお給料を大事そうに持って帰っていきました。


南部スーダンにはキリスト教徒が多いため、クリスマスは一大イベントのようです。

長い内戦が終わった今、それぞれの人たちが心温まるクリスマスを過ごせますように…


◎ジュバのナイル川沿いのレストランにあるクリスマスツリー

2009年12月19日土曜日

面接

この週末にドライバーの面接をしました。

今までは誰かに面接される側だったのですが、誰かを面接して評価をするということは初めての経験だったので新鮮でした。

質問事項はいたってシンプル。

-これまでのバックグラウンド

-なぜこの組織で働きたいのか

-働く条件(給与等も含めて)

必ずしも雄弁であることは必要ないこと、必ずしも経験豊富であることは+に働くわけではないということ、やっぱりFirst Impressionは大事だということ…等々いろいろ勉強になりました。

大体の場合は面接を受けに来ている人たちは同じようなレベルだったりするわけで…

最後は「面接官との相性」や「採用のタイミング」といったような事前の準備やその人の能力とは関係ないところで決まったりするものなんですね。

そう考えると、私が今の組織で働いているのも、そういったいくつもの偶然が重なった結果であるわけで、このご縁を大事にしなければ…と面接をする側になったからこその気づきがありました。

◎事務所の庭の車両

2009年12月16日水曜日

1/4

この家族に生まれたということ。この国に生まれたということ。この時代に生まれたということ…

これらの偶然に感謝。


女性であること。アジアの出身であること。まだ若いということ…

ここではまだまだマイノリティ。


積み重なった過去。現在進行形の今。繋がっていく未来…

逃れられない連鎖の中にいる私たち。やっぱり歴史は重い。


どのような状況にも屈せずに、自分を磨いて他者のために働いて、そして愛とユーモア忘れずに生きる人たち…

今スーダンの国づくりを支えている人たちの共通点。


初めての海外生活で、大事な人たちから遠く離れて、文字通り一から国づくりをしている人たちと一緒に働く中で、こういったことを断片的に考える今日この頃。


スーダンに来てちょうど半年。2年の任期だとしたら、もう1/4が終了。


さて、これからの3/4はどんなことが待っているのかな。



「僕のした単純作業が

この世界をまわりまわって

まだ出会ったこともない人の

笑い声をつくっていく」

『彩り』Mr.Childrenより

人生に意味を与えてくれる道は

人を愛すること、

自分の周囲の社会のために尽くすこと、

自分に意味と目的を与えてくれるものを創り出すこと」

『モリー先生との火曜日』ミッチ・アルボムより

2009年12月13日日曜日

アフリカに光を

「アフリカに光を(邦題:Lighting Africa)」は、2030年までに、アフリカの電力インフラが整備されていない25千万人の照明のニーズに応えて、高価で有害な燃料への依存を解消しようという世銀主導のイニシアチブです。サブサハラアフリカでは、個人の収入の10-30%が高価で有害な燃料を使用する照明に費やされていると言われています。そのため、安価で安全な照明をマーケットを通じて個人に届けることをサポートするために、このイニシアチブが立ちあげられました。

先月頭にこのイニシアチブを担当する世銀のミッションが南部スーダンに来て調査を実施しました。

南部スーダンはほとんどの電力がジェネレーター(発電機)によって供給されています。そのため、ジェネレーターやその燃料を購入することができない人々は、基本的には電力へのアクセスがありません。ちなみに、省庁の人々や運転士が朝職場に来て真っ先にやることと言えば…携帯の充電です。

南部スーダンのジュバ及び地方都市を調査した世銀のミッションの人々は「南部スーダンほど、オフグリッド(※電力網に連結されない独立型電源)の電力システムを普及できる可能性がある国はないと思います。なぜなら、全くと言っていいほど、電力供給システムが確立されていないからです。ほとんどの組織や店、ホテルがジェネレーターに依存する中で、オフグリッドのソーラーシステムが電力市場に入っていける余地は大きいでしょう」と話していました。

電力が供給されることによって、夜間にもちょっとした商売をできたり、家の中で子どもが勉強をできたり、携帯を持つことができたり…と人々の生活の幅が広がります。

このイニシアチブの恩恵が南部スーダンにまで届くようにするためにはどうすればいいか…世銀とのブレストは今も続いています。

◎オフグリッドの照明のもとで勉強する子どもたち(Lighting AfricaのHPより)

2009年12月12日土曜日

クリスマスと学校給食

南部スーダンは日ごとに暑くなっていますが、日本はすっかりクリスマスモードなのではないでしょうか。

そのクリスマスにひっかけて、日本では途上国の子どもたちに学校給食を届けるための仕組みづくりがされています。

Table For Two (TFT)

Table For Twoを日本語に訳すと「二人のための食卓」といった感じでしょうか。

TFTは日本のメタボ(肥満)と途上国の食糧不足(Hunger)を同時に解決するための仕組みを日本のレストランやコンビニに提供するNGOです。

こんな言い方をすると、どんなに複雑な仕組みがあるのだろう…と思われるかもしれませんが、TFTに加盟しているレストランでヘルシーな食事をとると、一食分の給食が途上国の子供たちに提供されるという至ってシンプルな仕組みです。

これによって、日本人はヘルシーな食事でメタボを予防でき、一方で、途上国の子どもたちは温かい食事一食分を得ることができます。そのため、日本と途上国の両者にとってこれはWin-Winな仕組みです。

おまけに、TFTの活動は、「ボランティアするぞ」と気合を入れなくても、お昼に食堂に行って、「あー今日はヘルシーな食事をとって、おまけにちょっといいことしようかな」という簡単な気持ちで途上国の子どもたちを助ける活動に参加することができるという「手軽さ」があります。

すでにたくさんの日本の企業がTFTに加盟し、社員食堂にこの仕組みを取り入れています。この活動の輪が日本中にもっともっと広がっていけば、もっともっと多くの途上国の子どもたちに温かい給食を届けることができる…考えただけでワクワクしますよね。

このTFTが今週六本木のオシャレな場所でクリスマスパーティーを開催し、約130人が集まって、約1万人分の学校給食を提供できるだけの資金を集めることができたということを聞きました。

六本木と途上国の子どもたち…イメージとしてはなかなか結びつきませんが、普段「途上国」にあまり関心のない人たちもこういうイベントを通じて途上国の現状に関心を持つことにつながると素敵ですよね。


Love Cake Project

クリスマス用のホールケーキ。このうち、1ピース分を途上国の子供たちのために…

こんなユニークなプロジェクトが日本で開始されました。

このプロジェクトに加盟している7つの店舗でホールケーキを買うと、1ピース分がはじめから欠けています。そして、その1ピース分の金額がWorld Vision Japanを通じて、途上国の子供たちに学校給食等の形で届けられるのです。

なんて素敵なアイデアでしょう…クリスマスの喜びを家族や恋人とだけではなく、途上国の子どもたちとも分かち合う…これこそChristmas Spiritですよね。

今年のクリスマスはこのケーキでパーティーをしてみてはいかがですか?!


先日ジュバで顔を出した教育関係のワークショップで、ある学校の先生と話していたときのこと。

「私の学校では、午後の空き時間にストリートチルドレンを集めて授業をしていました。先生はもちろんボランティアです。でも、その子どもたちに提供する学校給食がなくなった今、授業ができないでいます。子供たちはお腹がすいていると教室で席に座っていることができないのです。せめて学校給食さえ提供できれば、また授業を再開することができるのですが…」と残念そうに話していました。

きっと、このように学校給食が届くことを待っている人たちはアフリカ中にいます。

なので、日本にいながらもぜひ、TFTLove Cake Projectを通じて、途上国の子どもたちに思いを馳せてみてください!!


Love Cake Projectのケーキ

◎南部スーダンの小学校で学校給食を食べる女の子たち

2009年12月8日火曜日

エジプトとスーダン

2年前にたまたま同じ組織の同じ部署で働いていた方とスーダンで再会しました。人の縁とは不思議なものです。

その方はエジプトを拠点に活躍されている方なのですが、エジプトというフィルターから見たスーダン像を知る貴重な機会でした。やっぱり立ち位置によって物事の見え方、捉え方というのは大きく異なるものです。

南部スーダンにいると、南部スーダンの独立は避けられない…という雰囲気なのですが、北部スーダンではそのような雰囲気は全くなく、来年の選挙についても無関心な雰囲気が大半のようです。一方、エジプトからしてみれば、2011年のリファレンダムでいっぺんに何かが決まってしまうことはないだろう…と達観しているような雰囲気です。

エジプトとスーダンの間の歴史がエジプトにそうさせているのでしょうか。

エジプトにとっては、不安定なスーダンは「お荷物」のような存在であると同時に、ナイル川の上流に位置するため「生命線」でもありますので、今後のエジプトの動向が気になるところです。

今日は以下のような面白い話題が出てきました。

イスラム世界における民主化の問題/ 過去のイギリスのスーダンの統治政策 /スーダンにおける中国の進出/ 南部スーダンが独立した場合のシナリオ…

どのテーマを選んでも面白い論文が書けそうですね。スーダンはケーススタディの宝庫です。

◎ハルツームのモスク

◎ナイル川@ハルツーム

2009年12月5日土曜日

赤ひげ

マラウィで青年海外協力隊として小児科で医療活動を行った後に、ラオスでポリオ撲滅のためのプログラムに関わった医師黒岩先生が書かれた本を読みました。

1日に100人近い子供たちが死んでいくマラウィの病院で医療活動を行いながら感じたこと・考えたことが綴られており、南部スーダンの医療現場もこのようなところなのだろうか…と思いを巡らせました。(ちなみに、最近UNICEFより、スーダン(人口は約4,000万人)では毎年予防可能な病気で死ぬ子供は30万人、また、毎年出産で死亡する女性は26千人という統計が発表されました)。

マラウィでは患者と一対一で向き合いながら医療活動を行った黒岩先生でしたが、ラオスでは「ポリオ撲滅」のために調査や予防・啓発活動に携わっていくにつれて、ご自身が政治化されていくのに気づきます。そして、国際協力という美名に隠れて、金儲けに奔走する企業、国益を追求する先進国、富を独占する途上国の権力者層の存在を知ることになります…一方で、何百人の子供の死に立ち会いながらも一人一人の子供の命の尊さを忘れない看護婦さん、中国の農村を地道に渡り歩くことによってポリオに係る統計のトリックを見抜いた医師、貧しい民族出身の子供を自腹で救おうとする看護婦さんとの出会いもあります…国際協力の光と影が実に正直に書かれていました。

「ラオスで会ったオーストラリア人の環境専門家はいった。『私は環境アセスメントの光と影をあなたにささやいた。あなたも私に素朴な疑問を質問した者として、心に浮かぶ疑問について声を出す義務がありますよ。』」

この言葉がきっかけで、黒岩先生はこの本を書き、心に浮かぶ疑問について黒岩先生なりの形で声を出されました。

「援助慣れ」しているのは何も途上国の人々だけではないですよね。自戒の念を込めて…


「確かに僕は子どもの死に麻痺するようになっていた。しかし人の心というものはわからないものだ。知り尽くしたと思っている自分の心が、時には予想もしない反応を起こすことがある。」

「深井(幸四郎)は目を閉じてしばらく考える風であったが、やがて目を開けて僕を直視した。『一人の力は大きいよ。シュバイツアーがそうじゃないですか。彼一人の行動が世界の人々を動かしたんだよ。黒岩先生の一人の活動が大きいんですよ。そんな人がいる、ということが大きな影響力を持ってるんですよ。忘れちゃいけない、一人の力というのは大きいんだよ』」

『小児科医、海を渡る』黒岩宙司より