年末に祖母が突然亡くなりました。
私にとっては、こんなに近い人が亡くなったことは生まれて初めての経験であり(そのこと自体がとても幸せなことなのですが)、また、つい2週間前に元気な祖母と電話で話したばかりでまさかこんなことが起こるとは思っていなかったため、亡くなって棺桶の中に入れられた祖母を見ても、そして、骨になった祖母を見ても実感がわかず、今も太宰府の祖母の家に行けば祖母が出迎えてくれるような気がしてなりません。
30年もの間、無償の愛をめいっぱい注いでもらった私はなんという幸せ者なのでしょう。
その愛を「当然」といった感じで受け取っていた自分をとても恥ずかしく思うと同時に、そうさせてくれた祖母に感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に電話をくれたときには、「他の人には言えない話しだから、ここだけの話よ。おじいちゃんがね、『えりは綺麗になったなぁ』って言うのよ。だからね、『あら、えりは昔から綺麗よ』って言ったのよ。ねーおかしいでしょ」とけらけら笑いながら祖母は話してくれ、そして、「じゃあね、かずちゃん(※私の旦那)にもよろしくね」と言ってさっさと電話を切ったのでした。
それがまさか祖母との最後の会話になるとは考えもしなかったため、祖母らしい電話だなぁと思いながらその時はさほど気にも留めていませんでした。
最後に会ったときには、私の結婚のことをとても喜んでくれ、「4月の結婚式のときに東京に行くのを楽しみにしているから」と何度も言ってくれました。そして、「孫娘の結婚式に出席するために来年の春に東京に行くのよ」と祖母が近所中の人たちに嬉しそうに話していたということを、祖母のお葬式に来てくださった近所の方々の話しで知りました。
30歳直前になっても、自分の好きな仕事に邁進し、アフリカの南スーダンという(祖母にとっては)どこにあるかもわからないような国で働く孫に嫌な顔ひとつせずに、「おばあちゃんが若いころは、女は教育を受けなくてもいいと言われ、大学に行かせてもらえなかったけれど、えりの時代は違うものね。えりちゃんは別に結婚なんてせずに仕事を続けてもいいのよ」といつも背中を押してくれていたのも祖母でした。
カタカナ混じりのメールを時々送ってくれた祖母。最後に会ったあと、送ってくれたメール。
題名:二人して、良く来ましたね。
何かと、お忙しい最中でしょうに、有難うね。大変嬉しゅうございました。皆元気でしたし、お料理も、美味しく、●●夫婦(※父親)の、心遣いが、大変嬉しく、胸いっぱいの、ものが、ございました。リングが、一際幸せの、輝きを、放って、いましたね えり、幸せそうでしたね。お祖母ちゃんも、嬉しく、幸せです。●●さん(※旦那)に宜しくね。空の旅は快適ね ●●家(※旦那の家族)の、ご両親ご一家様に、宜しくお伝えください。では、またね。オダイジニ。Bye-Bye
もう祖母からメールを受け取ることはないという事実をなかなか受け止められない自分がいます。
祖母のメガネ、祖母の携帯、祖母のお気に入りの帽子…どれも今後使われることがないという事実。祖母がいなくなることによって、これららのものの持ち主がいなくなり、そのものたちが存在する意味を失ってしまうということ。これらのこと、ひとつひとつがとても悲しく、そういう些細なことに気づく度に涙してしまうどうしようもない私がいました。
死というものを目の当たりにしても、「死」の意味は未だわからずにいますが、祖母のためにかけつけてくれた100名近い友人や近所の人たち、そして、たくさんの家族に囲まれながら、「おばあちゃんね、本当にこんなつもりはなかったの。おじいちゃんより1日でもいいから長く生きるつもりだったのよ。自分でもびっくりしたわ」と笑いながら話す祖母の姿が浮かんできました。とても悲しいけれど、祖母が温かい人たちに囲まれながらこの世とお別れすることができたことについてはとてもよかったと感じました。
90歳近い祖父と1歳のおいっこ。そして、祖母の兄弟や子供たち、そして孫たち。みんなで祖母の骨を拾いました。
祖母がこの世からいなくなっても、祖母の命は繋がっていくのだということ。そして、祖母から受け取った大きな大きな愛情を次に繋げていく役割が残された家族にはあるということ。そのことが私たちを安心させ、そして私たちの気持ちを強くしてくれる気がしています。
感謝の気持ちをめいっぱい込めて…
おばあちゃんへ
えりより