2010年6月22日火曜日

ワールドカップ

4年前のワールドカップの時に自分がどこで何をしていたのか…全然思い出せなくて、そんな自分は大丈夫なのかと心配になったりもするのですが、今回の南アフリカでのワールドカップは忘れられないものになりそうな気がしています。


なぜなら、このアウェイ感


日本を応援しているアフリカ人は皆無で、日本戦の相手がアフリカの国でなければ、ここでは誰も興味を示しません。

うちで雇用している南部スーダン人スタッフだけがかろうじて日本戦の行方を気にかけてくれている程度…

日本対カメルーンの試合で日本が勝った時にも、日本人選手へのインタビューは全く放映されず、試合後すぐに「なぜカメルーンは日本に負けてしまったのか」という分析が始まりました…


BBCアフリカでは、「ワールドカップはアフリカの生産性を下げるか否か」という議論が盛り上がっています。

また、省庁の人たちはこの期間は皆足早に帰ってしまいます。

ホテルのカフェテリアのテレビの周りではラッパの音が鳴り響きます。


このように、お祭り騒ぎは当分の間続きそうです。


◎ホテルのカフェテリアでワールドカップの観戦

2010年6月21日月曜日

毎週金曜日の作戦会議

ジュバの近郊にある村の代表者がぞろぞろやってきて、支援をしてくれないかと相談されました。


ここまでだったらよくある話なのですが、更に話を聞いてみると、村人から少しずつお金を集めて貯めた資金もあるとのこと。


支援を受け身で待っている人々が多いこの南部スーダンで、こういうケースは珍しいため、そのうち村の視察に行くことを約束しました。


視察の日----

ジュバから片道2時間半かけて到着した村は、林の中にありました。


内戦中はその村から住民は避難していたようなのですが、内戦が終わって少しずつ帰還が進み、今では1,000人程度の住民が戻っています。

林の中の本当に何もないところに家を建てて住んでいる様子を見て、外部の人間としては「こんな大変なところに戻ってこなくても…」と思ってしまうのですが、やっぱり「故郷」は何にも代えがたいものなのでしょう。


さて、この村出身の政府役人や国連職員は、ジュバで毎週金曜日の夜にミーティングを行っているそうです。

自分たちの村をよくするための作戦会議。

国連にかけあって住民の食糧を確保したり、この地区出身の政治家にかけあって村へのアクセス道路の建設を依頼したり…


こういう人たちの存在がコミュニティの命運を左右するのだなぁ…と彼らのたち振る舞いを見て実感。


我々援助機関もこのようなリーダーシップに寄りそうような支援を行っていきたいものです。


◎林の中にある村の様子


2010年6月19日土曜日

目に見える変化

今日、ジュバ-ハルツーム間の飛行機に乗ったところ、1年前に初めて乗ったときと比べて、見違えるほど機体とサービスが進化していて驚きました。


1年前に乗ったときには、機体は古いし汚いし、食事はパサパサのパンといつ揚げたかわからない油だらけのお肉がでてきて、頭上の荷物入れにはふたがなくて紐だけで(バスの荷物入れみたいなイメージ)…

でも今日は、キレイな機体で、スチュワーデスもやさしくて、食事もパスタが出され、頭上の荷物入れにももちろんふたがついていました。

同じ会社のサービスとは思えない変わりよう…(※でもやっぱり席は自由席ですが。)


ケニア航空も今月からジュバまで飛行機を飛ばすようになり、競争が激しくなって、飛行機のサービスが全般的に向上しているのでしょうか。


昔、インドの担当をしていたときも、2年ちょっとの間で飛行機のサービスがかなり向上したことを覚えています。


はじめの頃は、待合室で飛行機を待っていると、掲示板の表示がいつの間にか「Delay(遅れます)」になっていて、何時間も待たされた挙句、掲示板の表示が最後には「Cancel(欠航)」にかわったものの、何のアナウンスや説明もなく…航空会社に怒鳴り込んでも、謝罪も言い訳もなく…結局、夜中に車で4-5時間かけて移動したこともあります。

でも、私がインド担当を離れる頃には、新しい航空会社がどんどん入ってきていて、インドでは珍しいミニスカートをはいたスチュワーデスも現れ(※インドでは足をみせることがタブー視されます)、飛行機もかなり時間通りに飛ぶようになり、また、「遅れること」について謝罪をするようになりました。


このように飛行機事情ひとつとってもその国の変化を肌で実感することができます。


ジュバもこうやってどんどん変わっていくのでしょうか。


2006年ごろはテントが事務所や住居だったそうなので、そしたら今のコンテナでの生活やプレハブの事務所は大きな進歩ですよね。


ジュバは今街中至るところで道路や建物の建設ラッシュなのですが、きっと数年後には穴だらけの土道や3階以上がない建物群が懐かしくなるのかもしれません。


南部スーダンも内戦が終結して6年目に入り、少しずつ南部スーダンなりに「ふつうの国」に近付いてきているのでしょうか…


1年前に乗った飛行機の機内(上)と今日乗った飛行機の機内(中)、ジュバの工事中の道路(下)



2010年6月13日日曜日

Desert Children

この本の表紙を飾る美しい女性 Waris Dirie


この本の著者でもあり、また、元スーパーモデルでもあります。


そして今はFGM (Female Genital Mutilation: 女性器切除)の慣習の根絶を目指す活動家でもあります。


スーダンやソマリアなどのサブサハラ・アフリカ地域を中心として、現在でも世界中で毎日約6,000人の女性に対してFGMが行われているとの国連の統計がありますが、女性の性に関するセンシティブな問題であるだけに、実態は明らかになっていません。


自らもFGMの被害者であるWarisは、ソマリアの遊牧民の家族の娘として生まれます。

13歳のときに祖父と同じぐらいの男性と強制的に結婚させられそうになった彼女は、自分の故郷を離れて首都に逃げ、その後、親戚を頼りにロンドンに渡ります。

ロンドンでマクドナルドの店員をしていたときに、彼女の美しさが写真家の目にとまり、スーパーモデルとしての道を駆けのぼったWarris


その後、彼女は幼少期のFGMの経験を雑誌のインタビューで語り、また、『Desert Flower (砂漠の花)』という彼女の自伝が世界中でベストセラーになることで、FGMの身体的・精神的負の影響が明らかにされ、世間でこの問題への関心が高まることになります。


FGM根絶のための国連親善大使も務めたWarris


時にはジャーナリスト等の心ない言葉に深く傷つきながらも、時には幼少期のFGMの経験がフラッシュバックする悪夢に苦しめられながらも、FGMという慣習が「過去のもの」になることを夢見て、彼女の闘いは今も続いています。


Desert Flower』『Desert Dawn』『Desert Children』と3部作の1部である、この『Desert Children』は、「先進国」と言われるヨーロッパで今でもFGMが行われている実態を明らかにしています。


アフリカから自由を求めてヨーロッパに渡った人々の子孫であり、かつ、ヨーロッパの市民権を持つ女性でも、この慣習から逃れることができないという現実。


Warisは、FGMは「文化」ではなく明らかな「人権侵害」であると言い切り、ヨーロッパの国々でFGMを罰する法律の制定とその適切な執行を求めます。


FGMの対象となった女性は一生その後遺症に身体的にも精神的にも苦しめられますが、なかなかそれを語ることはできず、同じ苦しみを娘や孫娘に与え続けることになります。


この苦しみの連鎖を止めるために立ち上がった勇気ある女性Warris


世の中には「影」があれば、「光」もあるのだなぁと彼女の姿を見て思います。


彼女の自伝『Desert Flower』は今度映画にもなるようです。

http://www.desertflower-movie.com/

日本でも公開されますように…



‘In history, changes are brought about by the actions of individuals – by individual heroes and heroines’ (「これまでの歴史の中で、変化というものは個々人の行動によってもたらされてきたのよ、個別のヒーローやヒロインによってね。」)


‘My journey is over but my mission is only just beginning. I pledge my strength and energy to the cause of eradicating genital mutilation throughout the world and particularly in Europe.’ (「(ヨーロッパでのFGMの実態調査を終えて)私の旅はここで終わりだけれど、私のミッションははじまったばかりよ。私は世界中で、特にヨーロッパでFGMを根絶するために闘うことを誓うわ。」)

Desert ChildrenWarris Dirieより

2010年6月10日木曜日

日本食

最近、私たちの住んでいるホテルのレストランメニューに日本料理を加えるために、ホテルマネージャー(インド人)が奮闘しています。


レストランの名前から、料理のメニュー、価格設定までいろいろと質問してきます。

そして、宣伝や集客まで依頼されます。


でも、私たちもしっかりお金をとられます。

さすがインド人…ジュバまで来てビジネスをしているだけあります。


サーモン寿司と焼き飯をセットで売ろうとするなど、ちょっとセンスがない感じですので、私たち日本人の技術移転がここでも必要そうですね…


◎日本料理をつくるケニア人のシェフとカリフォルニアロール

2010年6月6日日曜日

ポートスーダン

出張でジュバからハルツーム行きの飛行機に乗ったら、ハルツームではなくポートスーダンという別の都市に到着

ツームは砂嵐がひどく着陸できなかったとのこと…


スーダンで海に面しているのはこの都市だけで、石油もここまで運ばれて輸出されています。海沿いはクレーンだらけ。


飛行機で一緒にジュバからポートスーダンに連れてこられた南部スーダンの人たちは親切に、「あれが海って言うんだよ」

とか「あれは船って言うんだよ」と教えてくれました。海に接していない南部スーダンから来た人たちにとって、

海は珍しいのでしょう。飛行機が予定通りにハルツームに到着しなかったことに文句を言う人たちは皆無で、

みんな遠足のように楽しんでいました。


スーダンの人たちは、予定通り物事が進まないことについて「慣れっこ」の様子。


私自身も久々に潮の匂いをかいでリフレッシュ。


翌日に一日遅れてハルツームに到着し、長い旅がようやく終わりました。



◎ポートスーダンの街並み&海沿いのクレーン


2010年6月4日金曜日

一歩一歩

ジュバに新しく赴任してきた広報担当の同僚が作成してくれた広報記事。

http://www.jica.go.jp/topics/2010/20100604_02.html


私の担当プロジェクトの一つ。

やっぱり、一つずつ形になっていく過程を現場で見ることができるのが駐在員の醍醐味です。


10月の収穫祭を今から楽しみにしています。


◎式典の様子