2010年8月24日火曜日

今宵の月のように

8時前に仕事を終えて、同僚と車に乗り込もうとしたら、月がきれいに輝いているのを見てなんだかほっとした。


日本以外のところにいるときに、まるで日本で見るような風景を目にすると、一瞬どこにいるのかわからなくなるような感覚に陥る。


その後車に乗り込んで(舗装されていない)デコボコ道を四駆で走ると、すぐにジュバにいることを思い出すのだけれど…



「人知では計れない。そういう言葉がある。今この世界に起こっている様々な事件を見聞きするたびに思う言葉。その中に、わたしもいる。あなたもいる。嬉しい事も哀しい事もひっくるめて、その中にいるということ。その中で生きているということ。」

『此処 彼処』川上弘美より

2010年8月23日月曜日

Putting the Last First

『第三世界の農村開発-貧困の解決-私たちにできること』ロバート・チェンバース著



4年前の初夏に社会人になって初めて出張に行った際に先輩に勧められた、開発援助の教科書的な位置付けの本。

少ないながらも南アジア、サブサハラで目の当たりにしてきたいくつかの事例を踏まえて読むと、頷いてしまうことが多い…

1980年代に書かれたことが今でも妥当性を持つということは驚きです。


我々援助関係者は未だに同じ過ちを繰り返している/ 繰り返していく可能性があるということ。

もちろん、著者自身の考え方もこの本以降変わっている部分もあるでしょうし、この本が書かれたときと現在とではそもそもの前提条件が異なる部分もあるでしょう。

それでも…多くの言葉が胸に刺さるのは、私だけではないと思います。



インドの農村部で大きな藁ぶき屋根の下薄暗い中で勉強をしていた小さな子供たち…

インドの西部で飲料水から高濃度のフッ素を取り除くために様々なしかけを生み出し人々をエンパワーしていたNGO

インドの南部の低所得者層の多い地域で、参加型開発により村々を蘇らせたソーシャル・ワーカーたち…

ネパールで、農村開発を現地の人々主導で、それぞれの村の長所に注目して行おうとしていた先生たち…

ネパールで何時間もかけて山頂の小学校に通う子供たち…

スーダン南部の都市部で内戦中から一貫して女性をエンパワーメントするための活動を続けてきた女性たち…



これまで現場で見てきたものが本を読み進めるとともに一気に蘇ってきます。


「農村の貧困とその本質について正しく理解すること、学者、実践者、農村の人々の三つの文化をつなげること、農村の実態を知るために費用効果の高い方法を考案して使うこと、農村の人々と共に腰を降ろして、彼らの言うことに耳を傾け、彼らから学ぶこと、農村の貧しい人々が有利な立場に置かれるよう工夫すること、何をなすべきかを良く考えて見極めること、誰が得をし誰が損をするか、そしてどうすれば最後の人々を最初に持ってくることができるのかを問うニュー・プロフェッショナリズムを育成すること」 『第三世界の農村開発-貧困の解決-私たちにできること』ロバート・チェンバースより


常に立ち戻る必要のある、重い重い問いかけです。

2010年8月21日土曜日

水に沈む街

マラカルという南北スーダンの境界線に近い都市に出張してきました。


南部スーダン10州のうち、このアッパー・ナイル州が7つ目の訪問州ですが、今まで訪れたどの州よりも街中の雰囲気は北部スーダンに似ています。そして、どの地方都市(ジュバを除く)よりも発展していました。

2005年の南北和平合意後も2007年ごろまではアッパー・ナイル州は北部スーダンからの財政支援を受けていたとのこと。発展の理由はそこらへんにもあるようです。


ジュバにもない空港のベルトコンベアーや小型タクシーを見ると、北部の支援の影や北部との経済的なつながりを感じます。

きっと、北部スーダンとの境界に位置する州は少なからずそういった側面を持つのでしょう。


白(南)黒(北)はっきりしないグレーゾーンに位置する人々。

彼らは来年1月の南部スーダンの独立を問う住民投票でどのような決断をするのでしょうか。

なかなか南部スーダン政府からの支援がいき届かない境界の地で、南部スーダン政府に対する不満や不安を口にする州政府高官も少なくありませんでした…


USAID(アメリカ政府の援助機関)は北部との境界線に位置する4つの州に対して、集中的に投資・支援を行うプロジェクトを実施中ですが、ここには「平和の配当」をこれらの地域の人々に感じてもらうことによって、南部スーダン政府への支持を確保しようという政治的な意図が見え隠れしています。


さて、夕方になって雨が降りだすと、突然街が水に沈みだしました。

舗装道路がほとんどないマラカルの街で、雨が降るととたんに道路が泥道になる…

靴を履いたまま泥道を歩くと、靴に泥が次から次にくっついていき、最後には靴が持ち上がらなくなるとか。

だから人々はみんな手に靴をもって、裸足で道端を歩いています。


教育を受けた教師や医師の数はごくわずかで、舗装道路もほとんどなく、北部との境界に位置することから政治的にも火種を抱えるこの土地で、知事になったとしたらどこから手をつけていくべきなのでしょうか…


知事との面談の際にそのようなことを考えながらメモをとっていた私でした。



◎水の中に沈むマラカルの街

◎今年から支援を開始するマラカルの職業訓練センター

2010年8月16日月曜日

Skills for All

紛争後の国づくりで、最も必要とされる支援は何でしょうか。


病院や学校へのアクセスを確保する道路等のインフラ建設か

国の未来を担う人材づくりとしての教育支援か

妊婦や乳幼児の死亡率を低下させるためのプライマリーヘルスサービスの提供か…


その国の現状をどの角度から見るかによって、必要と思われる支援も異なってくるでしょうが、一つの候補としては「職業訓練」が挙げられると思います。


日本だと「職業訓練」と言ってもなかなか具体的なイメージが湧きにくいのですが、高等教育機関がほとんど存在しないような紛争後の国では、人々が普通の暮らしを送ることができるようになるために、「手に職をつける」(訓練を受ける)ことが求められます。


職業訓練を受けて職を得ることによって経済活動に参加できるようになり、衣食住が満たされ、子供を学校に送ることができるようになり、人々は誇りを取り戻し、未来に希望が持てるようになる…



この「未来に希望が持てるようになる」という感覚は実はとても重要です。

未来に希望が持てず、紛争中と何ら生活が変わらないとすれば、人々は紛争に後戻りしても仕方がないと思うかもしれません。また、紛争に再度訴えることによって、現状を変えようと思う人も出てくるでしょう。


一方、未来に希望が持てるようになれば、つまり「平和の配当」を感じることができれば、人々は平和な状態の継続を強く望むようになるでしょう。


このような民意こそ重要で、この民意をつくり出すためにも、「職業訓練」が果たすことのできる役割は決して小さくないと言えます。


2005年の南北スーダンの包括的和平合意の後、20069月から3年半の間、うちの組織は南部スーダンのジュバの職業訓練センターの運営支援及び職業訓練を提供するNGOの能力強化を実施し、このプロジェクトを通じて、3,861人の南部スーダン人が職業訓練の機会を得ることができました(62人の元兵士も含む)。


そして、このプロジェクトのフェーズ2が今月末から開始されます。

フェーズ2では南部スーダンの地方へも支援を拡大していく予定です。


もちろん、前回のプロジェクトからの課題も残されていますが、一人でも多くの南部スーダンの人々に職業訓練の機会を提供できるように、現場での挑戦は続きます。


私も教育・農村開発に加えて、職業訓練(本事業)の担当になりました。


南部スーダン政府、国営の職業訓練所、ローカルNGO、国際機関等、さまざまな関係者がパートナーとして存在するこの事業では、それぞれの組織の強みを生かしながら役割分担を行い、目に見える成果を出していくことが求められています。


プロジェクトの開始が今からとても楽しみです。



◎南部スーダンの地方にある国営の職業訓練所の風景(奥の方に『家具』のモデルが展示されている木工コースのワークショップ)

2010年8月15日日曜日

ウガンダ北部の復興支援

1980年代から2006年にかけて内戦が続いたウガンダ北部で、うちの組織を含むドナーのサポートが提供されながら復興支援が進められています。


北部ウガンダは南部スーダンと隣接しており、また、民族的にも近いようなので、その復興支援の様子も南部スーダンでの復興支援に通じるところがあります。


毎月、本部から送られてくる『国際開発ジャーナル』という業界紙で「UGANDA通信-北部復興支援の現場から-」という記事が連載されており、隣の国での復興支援の様子を雑誌の記事を通じて学んでいます。


何十年と内戦が続いた後の土地では、行政区域が曖昧だったり急に分割されたり…

現地の人々は治安の安定が確認できた後は安住の地を求めて移住するため、復興支援当初の地域計画が有効でなくなってしまったり…

紛争で影響を受けた地域全体に対するバランスのとれた支援が必要だったり…

長期にわたる紛争の影響で道路・橋といった基本的なインフラが整備されていなかったり…

乾期・雨期という自然環境の影響をプロジェクトがじかに受けたり…

「平和の配当」を現地の人々に実感してもらうためにスピーディーな支援を求められたり…

建設業者はやっぱりインド系が強かったり…


と南部スーダンと状況はかなり似ています。

「違い」といえば、ウガンダはウガンダ北部だけにこのような風景が広がっていて首都カンパラ等には近代的な都市の風景が広がっているものの、南部スーダンでは南部スーダン全体にこのような風景が広がっているといったところでしょうか。


以前、このウガンダ北部の小学校を舞台にした映画『ウォー・ダンス』を見て、この地域出身の子供たちが内戦によって受けた影響のすさまじさ(反政府軍に誘拐されたり、両親を殺されたり、反政府軍から逃げるためにかなり長い間茂みに隠れるという生活を強いられたり…)に声を失ったことがありますが、まさに今その地域の人々も平和の配当を受けるときがきたようです。


今、ウガンダ北部の内戦で反政府軍として闘っていた「神の抵抗軍(LRA)」は、南部スーダン及びコンゴ民主共和国にその拠点を移し、現地住民の生活を脅かしています。

南部スーダンでは毎週のようにLRAによる村々の襲撃のニュースを耳にします。

以前はLRAは南部スーダンの支援を得ていたときもあったようですが、現在は南部スーダンの不安定化を狙った北部スーダンから支援を受けているという情報もあります…


ウガンダ北部はLRAを国内から追い出すことによって、内戦を「解決」しましたが、その隣国の南部スーダンとコンゴ民主共和国ではまだその恐怖におびえる人々がいることからLRAの問題は解決したとは言えず、現地の状況は複雑です。


陸続きで国境が繋がっていると、人・物・金・情報だけでなく、紛争までが国境を行き来してしまう…という島国の日本からだとなんだかピンとこないような話が、この地域には現実の話としてあります。




◎ウガンダにも広がるというナイル川の風景(上)と土壁&藁ぶきの屋根の家屋(下)(どちらも南部スーダンのジュバ近郊で)

2010年8月8日日曜日

平和構築における第三者の役割

7月の半ばにAUAfrican Union)サミットを前にして、26NGOが合同で’Renewing The Pledge: Re-Engaging the Guarantors to the Sudanese Comprehensive Peace Agreement’(和訳:誓いを新たに-スーダンの包括的和平合意の立役者たちは再び関与を-)というレポートを発表しました。


アフリカの首脳陣にスーダンの包括的和平合意履行への関与を求めるのが主な目的のレポートだったようですが、住民投票まで半年を切って時間がない中で、スーダンに対してどのようなアクションが今必要とされているかが簡潔にまとめられています。


201019日に予定されている南部スーダンの独立を問うための住民投票を前に、南北スーダン間の駆け引きは段々活発化しています。


南北スーダンの国境線が画定しなければ住民投票は実施できないという声が北部スーダンから聞こえてきたり、一方的に独立を宣言する選択肢もなくはないという声が南部スーダンから聞こえてきたり…


政治は妥協の産物だとは思いますが、特定の集団に大きな不満を残さない形で物事を進めなければ、必ず後でしっぺ返しがきます。


北部スーダンの人々の中には、戦争ばっかりやっていた南部スーダン人が油田とともにスーダンから独立するなんて許されるわけがない…と思っている人たちが少なからずいます。また、北部スーダンに不利な包括的和平合意が2005年に締結されたのは、かなりの圧力がアメリカからかけられたからだと言われていますが、北部スーダンは譲歩して包括的和平合意を締結したものの、ICCから大統領に対して逮捕状は出され、南部にばかり国際社会の援助が入り、アメリカは引き続き経済制裁を解除せず…譲歩した意味は果たしてあったのか?という議論が北部スーダン内部でなされているはずです。


南部スーダンの人々の中には、たとえ戦争になったとしても独立以外の選択肢はないと考える人たちが少なからずいます。また、2005年の包括的和平合意以降北部スーダンは南部スーダンに対して何をしてくれたのか、結局「一つのスーダンを魅力的な選択肢にする」という約束は口だけだったじゃないか…という不満が南部スーダンの中ではくすぶっています。一方で、南部スーダン内部にも数多くの部族が存在しますので、南部スーダン内部の意見も一枚岩ではありません。


このような中でどこを着地点として目指しながら南北間の協議を進めていくのか…


そして、国際社会も南北スーダン関係者に、「戦争」よりも「平和」の方がメリットが大きいのだということをどのようにして認識してもらうのか…


南北スーダンの指導者たち、そして、国際社会は今難しい舵取りを求められています。



「ふだん雑談のときの話題なら、奇抜さを争い、風変りをきそって、その場かぎりの笑い草とするのももちろん結構だが、いやしくも国家百年の大計を論ずるようなばあいには、奇抜を看板にし、新しさを売物にして痛快がるというようなことが、どうしてできましょうか。」

『三酔人経綸問答』中江兆民より

2010年8月6日金曜日

プロフェッショナル

先々週は南部の地方都市アウェイル、ワウへ出張。

先週はケニアの首都ナイロビに出張。

今週はスーダンの首都ハルツームに出張。


…と久々に出張が続きました。何度飛行機&プロペラ機に乗ったことか…


やっぱり自ら動くことによって「発見」「出会い」「収穫」はかなり増えます。

どんなにインターネットや携帯電話網が発達しても、Face-to-Faceでしか得られない情報や見えない事情、そして伝えきれない思いというものは確実にある…


このようにしてバラバラにかき集めてきたパズルのピースをどう組み合わせて一枚の絵を描いていくか…

ここは我々「援助屋」の腕の見せどころといったところでしょうか。


「頼まれたらついついいいよって言ってしまうんだよね」

「何でもできることがあれば言ってください」


こういった前向きな周辺国のサポートにどれだけ助けられたことか…


何もリソースのないこの地(南部スーダン)で何かを始めようとすると、「できない理由」や「失敗する原因」はどれだけでも挙げることができます。

リスクが高すぎるので行動を起こさない方がいいという意見が支配的…


それでも、この地でたくましく生きて自分たちの生活を良くしていこうと思いながら行動を起こしている人たちがいる中で、「全部」はサポートできなくても「何か」はサポートできるはず…


こうして「可能性のかけら」を拾い集める作業は今日も続きます。



「(プロフェッショナルとは)やらない言い訳をしない人、ただえさえ難しい仕事をやらない言い訳をするとただえさえ難しいミッションがさらに困難になるのですね。それをせずに改善するための方法を考えて実行するのがプロフェッショナルだと思います。」

日本紛争予防センター事務局長 瀬谷ルミ子より



◎南部スーダンの地方空港(赤土の滑走路とプロペラ機。※建物は一切ありません。)

◎プロペラ機から見える風景