2009年8月16日日曜日

駐在3ヶ月目

昨日で駐在して丸2ヶ月が経過しました。あっという間でまだまだ事務所にもスーダンにも貢献できるようなことができていないなぁと少し焦る気持ちもありますが、相田みつをの言葉にもあるように、「いま ここ」を大事にしてこれからの日々も過ごしていきたいなと思ってます。  

前の部署の先輩から素敵なメールをいただきました。「There is fun to be done!ですよ。自分からどれだけ世の中に働きかけることができるか、その働きかけること自体がとても楽しいことのはず。(中略)せっかく自分の興味のある分野で仕事が出来ているのだから、それに、せっかく他の人々が中々訪れられる場所ではない場所にいることが出来るのだから、何かしら働きかけて、ぜひぜひ楽しんで!」目の前の業務に追われて、こういう「楽しむ」気持ちを忘れてしまいそうな時もありますが、そういう時にはちょっと目線を高くして闊歩していけるようになりたいです。

 出張中に上司に、「きみはどんな課長になるんだろうね。想像してみたけれど、まだイメージつかないな」と言われました。そういう視点を持ったことがあまりなかったので、とても新鮮でした。どういう課長になりそうか、どういう課長になりたいか…そういう視点から今の自分を見てみると新しい気づきがあります。私は明確な目標を持って突き進んでいくというよりも、目の前のことをひとつずつ積み上げていって気づいたらここにいたというタイプなので、未来から今を逆算するということはあまり得意ではないのですが、少しずつそういうこともできるようになりたいです。

(注:今年の春に石垣島でとった写真。スーダンでは残念ながらこういう花にはまだ出会ってません。)

2009年8月14日金曜日

希望のひかり

 この仕事をしていると、ビジョンと行動力を持っている人たちに出会えた時に、希望のひかりがパッと灯って目の前が明るくなる瞬間があります。そして、そのひかりが消えないように…といつも祈るような気持になります。

 昨日、日帰りでワラップ州の州都のクワジョックを訪問しました。ワラップ州はスーダンの中でもっとも新しい州で、最貧困州の一つでもあります。この州を一つのモデル州として取り上げて、小学校の先生を集中的にトレーニングして、教育の質を改善するというような事業が計画されていることから、この地域の安全確認をするために州警察のトップや州の教育大臣と協議をしました。

 州の教育大臣はびっくりするぐらい大きな女性だったのですが(私と並ぶと大人と小人という感じで…こちらに写真がアップされてます http://blogs.yahoo.co.jp/sisido1124/55480548.html )、声や態度はとても穏やかで、州知事代理も務めていらっしゃる方でした。ただしその温和な雰囲気の中で語られる事柄の端々にビジョンや意志が感じられ、久々に「希望のひかり」に出会うことができたなぁと嬉しくなりました。そもそも、3年前にできたばかりの州なので、州政府の建物もコンテナハウス。その周りにはほとんど建物もなく、昔ながらの建物(トゥクル)が並んでいるような状況。州内の別の町へのアクセスも道路がないため難しく、他の州を通っていかなければならず、雨季だと道路が遮断されてそもそも州内の他の地域に行くことはできなくなってしまう…そのため未だに州内の人口の把握も完全にはできおらず…教育については、WFP(国際機関)が学校給食のために食糧の配給を行っているものの、300以上ある小学校の内1/3しかその恩恵を受けておらず、食糧配給のない小学校の生徒たちは、お腹がすくからという理由で学校に来ないとのこと…また、親はなかなか女の子を小学校に行かせたがらないことから、女の子を教育することのメリットを説明することから始めているということでした。このような辺境の地では、国際NGOもあまり活動しておらず、国連の常駐オフィスもないことから、なかなか支援の手が行き届いておらず、小学校の先生たちもhunger for training (研修を心待ちにしている)ということでした。日当がもらえなければ研修に参加しないという政府の役人等もたくさんいる南部スーダンで、このような地域もあるのだなぁと新しい発見でした。首都のハルツームからこの州に行こうとすると丸一日程度かかってしまうのですが、ぜひ今ある「希望のひかり」を灯し続けられるような支援ができればいいなと思いました。この地方に行くために、施設がきちんと整備されていないローカルホテルに久々に泊まっていろいろ苦労したのですが、それでも行って現場を見て協議してきてよかったなと思える出張でした。来年からこの州で始まる予定の研修事業が今から楽しみです。

◎クワジョックに行く道の風景
◎州の大臣等のオフィス
◎州の中心部の風景

2009年8月12日水曜日

職業訓練センター

地方出張でワウ(南部スーダンの中で3番目に大きな都市)に行きました。そこでイタリアのNGOが運営している職業訓練センターを見学したのですが、そこの生徒たちが生き生きと訓練を受けているのを見て驚きました。これまでにスーダンでは4つの職業訓練センターを見学したことがあるのですが、その中でも、生徒の表情といい、学校の雰囲気といい、施設の整備状況といい、全てがずば抜けているという印象でした。ワウという交通の便もよくない場所で、建物を建てて、物を運んできて、能力の高い先生をリクルートするだけでも大変だと思うのですが、訪問者が惹きつけられるような文化まで築くためには大変な苦労と秘訣があるのだろうな…残念ながら短時間の訪問ではそこまで深掘りはできませんでしたが…学校の中に花があふれていたり、ちょっとした看板がオシャレだったり、バスケットコートがあったり…そういった職業訓練のプログラムとは直接関係ないところにまで気を使っているところが、もしかすると生徒の活力につながっているのかもしれません。どうしてもパブリックセクターはそういったものは「必要不可欠なものではない」と切り捨ててしまいがちですが、そういった一見“余計なもの”と思えるもの(遊び心のようなもの)が事業の成功につながることもあるのかもな…ときれいに整備された花壇をみながら思いました。

◎ワウでイタリアのNGOが運営する職業訓練センターの中の様子

2009年8月9日日曜日

安全確認の方法


先週末に南部スーダンのジョングレイ州で185人の人が殺される(被害者はほとんどが女性と子ども)という事件があり、日本でも新聞に小さな記事が掲載されたようです。BBCでも流れたようで、数名の方が心配してメールを下さいました。ありがとうございます。でも、南部の中心都市(私の所属する組織の事務所があるところ)からは300km以上離れており、また、民族間の闘いなので、基本的に私たちの生活には何も影響はありませんでした。ただ、同じ国で起こっていることとはとても思えない…スーダンでは昔から民族間で牛(スーダンでは牛は大きな財産で男性は牛を何頭持っているかで財力を示します)を奪いあうような闘いを繰り返してきたわけですが、最近は近代的な武器を使って昔からある闘いに挑むため、かなり多くの犠牲者が出てしまうようです。一部の報道では、片方の民族には北部スーダン政府から大量の武器が流れているのではないかと書いてあり、単なる民族同士の闘いでは済まされないところがより状況を複雑化させております。

ある地域では紛争や民族同士の突発的な争いが起こっており、他の地域は極めて安全というような多様性のあるこの国で、国際機関や政府機関、援助関係機関は、国連のSecurity Officerにブリーフィングを受ける形で治安情報を入手しております。私も先週初めてブリーフィングを受けに行ったのですが、国を東西南北に分ける形で、一週間のうちにどのような事件があったかを詳細に報告してもらいました。軽微な交通事故から誘拐まで様々な事件が紹介され、最後には人質になった場合の対処方法まで教えていただきました。人質になった場合は最初の一時間を乗り切れば生存率がぐっとあがるようです…

このようなことを書くと「スーダンはやっぱり恐ろしいところだ」と思われるかもしれませんが、基本的には人は穏やかで、紛争地以外は治安もかなりよく、当然ですが人々は普通の暮らしをしております。夕方になるとアイスクリーム屋さんの周りには人だかりができ、路上のお茶屋さんには朝から晩まで人々が入れ替わり立ち替わり訪れてお茶を飲んでぺちゃくちゃおしゃべりをし、人々は一日に何度もメッカの方を向いてお祈りをする…でも、この「普通のスーダン」は特にニュース性もないのでなかなか世界に伝わらない…残念です。

「どんな町でも人は絶対に生活している。ごはんを食べて、朝と昼と夜を繰り返して、眠って、歳をとっていく。ガイドブックにどんなふうに書いてあっても、人が生活していない国は絶対にない。どんなものすごい暮らしの中でも子供が産まれたり、人が死んだりしている。」

『バナタイム』よしもとばなな より



2009年8月4日火曜日

非国民?!

今日のランチの時間…うちの大家の娘さんが「私はオブドゥルマン(貧しい人たちが多く住む地域)が大嫌い。4年間イギリスに住んでいたのだけれど、私にとっての最大の悲劇はスーダンに帰ってこなければならなかったことよ。」と話していたことを話すと、スーダン人とご結婚された日本人女性スタッフの方が、「非国民!たまにスーダン人なのにスーダンに帰りたくないって人がいるんですよね~」と発言。お金持ちかどうかによって、同じスーダンにいてもきっと見える風景が違ってくるんでしょうねという話になりました。また、昨日NHKの方が国際協力省(援助の窓口)の局長にインタビューしたとき…ダルフールはお荷物だという趣旨の発言があったとのこと。スーダン全体が発展するためにはどうしたらいいかという議論ではなく、貧しかったり紛争が起こったりしている地域を「迷惑」だと思う人々…。なかなかスーダン内部も一枚岩ではないようです。もう少し政治家や官僚やお金持ちの人たちが、スーダン国内の課題に目を向けるようになったら…この国に必要なのは卵型のホテルではなく「スーダン人である」という自己認識なのかもしれません。 でもそもそも植民地支配を経て独立したスーダンは機械的に国境が決められたわけですので、そういう意味では「スーダン人である」という自己認識を持つことが自体が本当は不自然なことなのかもしれません。アフリカではどの部族出身かということが何よりも大事だということを聞いたことがありますが、そうだとすればスーダン人であるということはむしろどうでもいいことないのかもしれません…うーん難しい。

◎スーダンの様々な顔(上から:スーダン北部でよく見かける民族衣装を着たおじさん、スーダン南部の女性の服装、ハルツームの超高級ホテル、ジュバのテントホテル)

2009年8月1日土曜日

農村開発

教育セクターの他にもう一つ、農村の生計向上の事業も担当することになりました。南スーダンは野菜、穀物、家具、建設資材などすべてを外国から運んでくるため、輸送料と手数料が含まれる物価は他の国と比べると驚くほど高いです。例えば、学校建設には東南アジアの5倍以上の値段がかかります。このような環境の中で、少しでも地産地消のサイクルを生み出せたら、農村における食糧の安全保障及び農民の収入増加が見込めるということで、南部のジュバの近郊で農業を通じた生計向上事業が2009年から開始されました。

今回はその現場視察として、事業対象地域の一つであるカプリ村を訪問しました。訪問時には、Community Development Officer(コミュニティ開発官:農村の生活の改善全般にアドバイスや技術支援を行う公務員)と呼ばれる人がこの村を案内してくれましたが、このコミュニティ開発官を事業に巻き込むために、実はこれまでに多くの時間が費やされました。20年以上内戦をしていたこの国では、何もしなくても公務員であれば給料がもらえるという状況が長年続きました。そのため、内戦が終わっても働かずに木の下で時間を過ごして、給料をもらい続けている人たちが大勢いるのです。「内戦が終わったので、これからは国家再建のためにがんばろう!」という志高い人もいるのですが、一方で、何もせずにお給料をもらえたのになぜ何かしなければならないんだ、何かしなければならないのであれば追加で給料を払え!という人も大勢います。そこで、木の下に座っているような人たちを動機付けし、事業に巻き込んでいくところからはじめなければならなかったのです。

南部スーダン政府はこのような公務員を数多く抱えるため、公務員の給料の支払いだけで年間の予算のほとんどを使ってしまいます。今後、給料だけをもらい続けて働かない人たちをどう扱っていくかということは、兵士の数を減らすことと同じぐらい南部スーダン政府にとっては大きな課題です。

さて、話は変わりますが、このコミュニティ開発官のような人は、戦後の日本にもいたということを私は初めて知りました。日本では「生活改良普及員(通称:生改さん)」という名前で呼ばれ、日本の戦後の農村開発(食糧安全保障、保健、栄養、衛生、女性を取り巻く環境改善)に大きな役割を果たしたようです。生改さんはほとんどが女性で、日本の農村の女性の話を自転車で聞いて回り、アドバイスやサポートを提供しました。一説によれば、1960-70年代の日本の高度経済成長の果実を農村の隅々まで届けるための土台が生計改善運動によってつくられたということです。現在でもその制度は残っているようですが、今はより農業関連の活動に重点を移しているようです。もちろん、スーダンに日本の例をそのまま当てはめるのはナンセンスですが、スーダンでの活動のヒントはいろいろ得られそうですので日本の経験からまずは私が学ぶ必要がありそうです。

◎カプリ村のおばさんたちと彼らの住む家

◎技術支援をしている農村