2011年11月20日日曜日

ロシナンテス@東北

閖上(宮城)にて



2週間ほど前に東北(名取)で活動するロシナンテスにコンパスポイントのみんなでお世話になりました。
震災後の復興支援を現地密着型かつ型にはまらず自由な発想で行っているロシナンテス。


「まずは現地に行って見ればいい。自分に何ができるかは、それから考えればええ。」代表の川原さんの言葉。


この言葉がきっかけで東北で活動するロシナンテスのドアをたたく人たちも多いのではないでしょうか。


日本中から老若男女問わずさまざま人たちを引き寄せ、現地のニーズに合った活動を皆で力をあわせて行っていくためのプラットフォームを提供し続けているロシナンテス。


このスタイルはスーダンでも東北でもかわらないなぁ。


きっと、東北の被災地の方々の人生だけでなく、そこに関わった多くの人たちの人生を変え続けている団体。


今後も様々な形で東北・ロシナンテスと繋がって行ければと思った二日間でした。




現地で感じたことをうまく言葉に表すことは難しく…そんな中で上野千鶴子さんの「原爆のあとで、ホロコーストのあとで、大震災と津波のあとで、原発の恐怖のなかで、コトバは無力か?と問いかけられたら…無力だとおもう。でも無力でないとも思う。乾いた魂に水が吸い込まれるようなコトバが書けたら…書き手のすべてにとってのねがいをこめて、被災地に送りたい。」という言葉を思い出したり。




そして、言葉にならない思いをシンプルに、でも、力強く歌った加藤登紀子さんの歌『今どこにいますか』とMr.Childrenの歌『かぞえうた』に励まされた私自身がいました。




忘れずに、感じつづけること・考え続けること・そして行動すること。




そうありたい、そうあろうと思います。

2011年11月8日火曜日

Then & there, and now & here

南スーダンのジュバの空と虹



駐在を終えて南スーダンから戻ってきて1か月が経ちました。


戻ってきた当初は、東京のスピードについていくのがなかなか難しく、電車をあわてて反対方向に乗ってしまったり、自動ドアにぶつかったり、交差点の人の多さに驚いたり(思わず写真をとりたくなりました)…


一方で、南スーダンでは絶対無理だった、夜の一人歩きや自由な買い物、そして、料理や湯船に浸かることを堪能していました。


駐在の総括はなかなか難しいのですが、思いついたことをメモのような形でもいいので残しておきたいと思い、ブログを書いています。


まず、南スーダンに2年4か月滞在し、また、その間にスーダン・ケニア・エチオピア・ウガンダを訪問することができたため、アフリカへの心理的距離がぐんと近づいたなぁと感じています。
必要なら、または、望めば、明日にでも飛行機でふらっと行くことができる…それぐらい身近な場所になりました。
メディアを通して知るアフリカのイメージはどうしてもネガティブで、私自身行くまでは、「大丈夫かな?」と思っていたところもあったのですが、ちゃんとした情報ソースからタイムリーに治安情報を得ていれば、特に危ない目にあうこともないということを経験から知りました。
スーダンの首都ハルツームなんて本当に平和で、私のアフリカのイメージを根本から変えてくれました。


また、仕事で自分自身が使う言葉にとても敏感になったと思います。
新入社員のころにインドを担当して出張にでかけていたときには、自分が英語で話すときに使う単語にまで気を使う余裕はありませんでしたが、他のドナーの態度を見ることで、どの単語を使うかによってその言葉を発している人の持つ思想が読み取れるということを痛感したため、気をつけるようになりました。
Help/ Aidという言葉は使わず、Cooperateと言う。
Problemsを聞くことはせず、Challengesを聞く。 などなど。
とっても単純なことなのですが、現場で様々なドナーの会話を聞いていると、結構これをできてない人は多いのです。
いきなり外からやってきた豊かな国の人たちに「あなたを助けにきました」「あなたの抱える問題はなんですか?」と言われたらどのような気持ちになるだろう…そういった想像力をずっと忘れずにいたいです。


長年の夢でもあった平和構築の現場での仕事にどっぷり浸かり、国づくり支援の醍醐味と難しさも実感しました。
醍醐味は、やはり、国際社会の支援なしには総選挙、住民投票、そして独立といったステップをたどることはほぼ無理だったであろう南スーダンを目の当たりにし、国際社会が介入することによって実現する平和があることを教科書だけではなく現実の世界のこととして知ったこと。
一方、数十年も内戦をしていた国・人達と、国の制度やシステムをつくり動かしていくという作業は数年単位でできることではなく、何十年かけてトライ&エラーを繰り返しながらつくりあげていくものであるにも関わらず、ドナーの都合でつぎはぎだらけのいびつな制度が急ごしらえで用意され、文字通り「形」だけが整えられていったこと―これには一抹の寂しさ・むなしささえ感じました。


更には、今の組織に属しながらも、現地NGO、国際NGO、国連、大使館等の仕事内容を垣間見ることができたのも大きな収穫でした。
例えば、UNDPやUNICEFなんかはうちの組織と近く、先方政府の能力強化にフォーカスした事業をいくつもやっていますが、WFPやUNHCRは緊急支援的要素が強いため、やはりうちの組織とはかなり色が異なることなど、勉強になりました。
UNHCRは「今そこにある危機」への対応が求められる、そして、何万人もの命を短期間に救って明日に繋げて行くことが求められる仕事ですが、そういうものに対する憧れの気持ちは未だあるものの、一方で、自分自身は中長期的に現地の人たちと向き合っていきたいタイプですので、きっとそういう意味では緊急支援系の仕事は向かないのだろうなぁと気づいたり。


あとは、プロジェクト型支援の難しさについて。
平和構築の現場では、政府の制度や組織さえも流動的で、政策もあるようでなかったりします。そのような中で、例えば3年のプロジェクトをつくって、ある程度の仮説をたて、達成目標を設定していく―絵にかいたらとても美しいかもしれませんが、現実の世界ではそんなにうまくいくはずもなく…
まさに「事件は現場で起こっている」のですから、また、現地の状況は日々変化していくのですから、我々の協力内容もそれに合わせて流動的であるべきです。
でも、どのドナーも成果を求めすぎるあまり、硬直的な時間設定とフレームで現実を無理やり切り取ろうとする…その弊害をいくつも見てきました。


最後は、やはり、現地で起こっていることの責任をとることができるのは現地の人なので、外部者は外部者としての役割に徹することが大切だと強く感じました。希望を持ち続けながら、現地の人たちをエンパワーしていく―主役はあくまでも現地の人たち。
そういった意味では、平和構築の現場では「平和の配当」を人々に実感してもらうためにスピーディな支援が求められていますが、一方で、中長期的な国づくりの視野にたった、人づくりに貢献することも同じぐらい大切なことだと思いました。


他にも、ずっとプレハブ・コンテナに住んでいたためあまり物を必要としなくなった等、自分の中での小さな変化や気づきはいくらでもありますが、それはまたの機会に。


日本に舞台は移しましたが、今後も私のアンテナにひっかかったことについて、ブログで記録をつけていければと思っています。


これからもよろしくお願いいたします。