2011年8月20日土曜日

我が運命を決めるのは我なり


インビクタスという映画を見た。


1994年にネルソン・マンデラが政権を握った時…

それまで権力を握っていた白人たちは、自分たちの生活が今後どのように変わっていくのか不安を持っていた。

一方、黒人たちはやっと自分たちの時代が来たと考え、これまで自分たちを抑圧してきた白人たちや彼らの文化を表舞台から退けようとしていた。


そのような中で、マンデラは両者のかけ橋になろうと試みる。


「和解」は自分のまわりから始めるのだということで、自分の仲間を抑圧し殺したであろう前政権の白人ボディガードを継続して雇用することを決める。

また、南アフリカの中では白人からだけ愛されていたラグビーのチーム スプリングボクスを「南アフリカのチーム」として再度位置付け、白人と黒人が混在するこのチームを盛り上げていくことで、ラグビーを通じて「ひとつの南アフリカ」を愛する心が国民の間ではぐくまれるよう仕掛ける。


舞台は1995年のラグビーのワールドカップ…開催地は南アフリカ。

負けてばかりだった南アフリカチームは、大統領と国民の期待に応えて奇跡的に試合を勝ち進み、強豪ニュージーランドと決勝戦を闘うことになる。

マンデラは南アフリカチームの主将フランソワを勇気付けるために、ワールドカップ開催の前日に、これまで自分の人生を支えてきたひとつの詩を贈る。


その詩が「インビクタス(負けざる者たち)」。


Out of the night that covers me,

Black as the Pit from pole to pole,

I thank whatever gods may be

For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance

I have not winced nor cried aloud.

Under the bludgeonings of chance

My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears

Looms but the Horror of the shade,

And yet the menace of the years

Finds, and shall find, me unafraid.

It matters not how strait the gate,

How charged with punishments the scroll.

I am the master of my fate:

I am the captain of my soul.


そして、フランソワは試合の前にマンデラの人生に思いを馳せる。

寝転ぶのがやっとの狭い独房に30年近く閉じ込められたマンデラ。

石を砕き続ける日々の中でも自分を失わなかったマンデラ。

そして今、白人だけの国でなく、黒人だけの国でもない、「ひとつの南アフリカ」を建国しようと闘っているマンデラ…


この思いがキャプテンを動かし、チームを動かし、そして、国民を動かしていく…


実話に基づいた熱い物語。


南アフリカの人たちの新しい国への熱狂が、南スーダンの人々の姿と重なった。

2011年8月6日土曜日

緩急自在

◎ハルツーム空港で見た朝日



南スーダンに来て、筑紫哲也さんの本を数冊読みました。

以前、綺麗な美容師さんが「筑紫さんって、相手の話をきちんと聞いてくれそうな気がして、好感が持てるのよね」と話していたのを覚えていますが、この通り筑紫さんの人気は幅広い。

筑紫さんが今も生きていて、東北の地震・津波・原発のことを見られたら、そして、その後の日本の政治や原発をめぐる様々な言論に触れられていたら、一体何を思い、どのような発言をされていたのだろうと思うことがあります。

週末を使って日本全国を訪問し、それぞれの土地のよさを見つけ、愛した方だからこそ、東北の現状にはきっと誰よりも心を痛められたことでしょう…

ひとりひとりが考えて行動をすること、そして、社会がそのような個人を受け入れるキャパを持つことの大切さを繰り返し説かれていた筑紫さん。

今の日本は果たしてその方向に進んでいるのでしょうか。





「大事なのは、私たちがどういう生き方を選択しようとするか、この地球のなかで生き続けるためにどこに価値を認めるかなのである」『スローライフ』より


「だが、それにも増して大切なのは、従来型・多数派の思考に身を委ねるのではなく、自分で考え、行動する個人がどこまで育ち、力を持ち、多様性のある社会を作れるかだと私は思う。」『スローライフ』より


「『論』も愉し 
近ごろ『論』が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの『論』の専制が起きる時、失われるのは自由の気風。
そうならないために、もっと『論』を愉しみませんか。」『この「くに」の面影』より