2011年8月6日土曜日

緩急自在

◎ハルツーム空港で見た朝日



南スーダンに来て、筑紫哲也さんの本を数冊読みました。

以前、綺麗な美容師さんが「筑紫さんって、相手の話をきちんと聞いてくれそうな気がして、好感が持てるのよね」と話していたのを覚えていますが、この通り筑紫さんの人気は幅広い。

筑紫さんが今も生きていて、東北の地震・津波・原発のことを見られたら、そして、その後の日本の政治や原発をめぐる様々な言論に触れられていたら、一体何を思い、どのような発言をされていたのだろうと思うことがあります。

週末を使って日本全国を訪問し、それぞれの土地のよさを見つけ、愛した方だからこそ、東北の現状にはきっと誰よりも心を痛められたことでしょう…

ひとりひとりが考えて行動をすること、そして、社会がそのような個人を受け入れるキャパを持つことの大切さを繰り返し説かれていた筑紫さん。

今の日本は果たしてその方向に進んでいるのでしょうか。





「大事なのは、私たちがどういう生き方を選択しようとするか、この地球のなかで生き続けるためにどこに価値を認めるかなのである」『スローライフ』より


「だが、それにも増して大切なのは、従来型・多数派の思考に身を委ねるのではなく、自分で考え、行動する個人がどこまで育ち、力を持ち、多様性のある社会を作れるかだと私は思う。」『スローライフ』より


「『論』も愉し 
近ごろ『論』が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの『論』の専制が起きる時、失われるのは自由の気風。
そうならないために、もっと『論』を愉しみませんか。」『この「くに」の面影』より

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