2011年4月30日土曜日

変わらないアフリカと変わっていくアフリカ

日本から戻る飛行機の中でアフリカに関する本を2冊読みました。

アフリカの取り上げ方が正反対であるにも関わらず、どちらも私が普段南部スーダンで接しているリアルなアフリカの姿をうまく描いていてとても納得させられました…

アフリカの素顔を知るためにはお薦めの本です。


◎変わらないアフリカを描いた『アフリカ旅日記 ゴンベの森へ』(星野道夫著)

「ぼくがジェーン・グドールに会いたかったのは、彼女を通してアフリカという世界を垣間みたかったからだろう」

「誰かと出合い、その人間を好きになった時、風景は初めて広がりと深さを持つのかもしれない」

「誰にも、思い出を作らなければならない『人生のとき』があるような気がする。わずか十日ばかりにすぎない旅だったが、一日一日が珠玉のような大切な時間なのだ」


という星野さんの言葉がこの本のすべてを物語っているように、これは星野さんがジェーン・グドールという世界的に有名なチンパンジー研究者を通じてアフリカ(タンザニアのタンガニーカ湖岸のゴンベ国立公園、そして、そこで生きるチンパンジー)と出合い、その風景を自分のものにしていく過程を描いた文章と写真が詰まった本です。

大好きな誰かを通じて世界を垣間見ること、そしてそれによってぐっと世界が広がりを見せること―2007年末に私がネパールを旅したときにも同じような経験をしました。その人との出会いがなければ、私のネパール訪問はとても表面的なもので終わっていたでしょう。現地のコミュニティの人たちと共に生き、その過程を楽しみ、また、その過程で多くの人たちを巻き込んでいく彼の姿、そして、彼の言葉は、今でも私の中で生きています。

「エリさん、僕は、人々が自分の中に物事を変える力があると気付いたときに、彼らの表情が変わる瞬間。その瞬間がとても好きなのです」

あぁ、これが「エンパワーメント」ということなのだなぁと私は彼の背中から学びました。

こういう出会いがあったからこそ、私のたった1回のネパールの訪問は、10回以上仕事で訪問したインドに負けないぐらいの輝きを持ち続けるのでしょう。

そういうことを思い出させてくれる一冊でもありました。


「見知らぬ異国にやって来て考えることは、そこで暮らす人々と自分の埋めようのない距離感と、同じ時代を生きる人間としての幸福の多様性である。どれだけ違う世界で生まれ育とうと、私たちはある共通する一点で同じ土俵に立っている。それは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いなのだ。そう思った時、異国の人々の風景と自分が初めて重なり合う。」

「タンガニーカ湖のほとりのキゴマの町は、ぼくが抱いていたアフリカだった。四輪駆動のジープで、でこぼこ道を揺られながら、道沿いの人々の暮らしを眺めていた。質素な土の家、背中にいっぱいの果物をかつぐ行商人、ウシを引く人、裸足で遊び回る子どもたち…アラスカであれ、アフリカであれ、それぞれの運命の中で生きる人間の風景は、いつもぼくを励ましてくれる。」

「どんな人生を送ってきたのか、どんな夢を抱いているのかも知らぬ人間同士が、ふと、おたがいの人生の一点で交差する。そればかりか、おそらくもう二度と出合うこともない。その一瞬は考えてみると、限りない不思議さをも秘めている。旅のスリルとは、思わぬ出来事が起こることではなく、何でもない一瞬一瞬の中にあるのかもしれない。」

『アフリカ旅日記 ゴンベの森へ』星野道夫より



◎変わっていくアフリカを描いた『アフリカ 資本主義最後のフロンティア』(「NHKスペシャル」取材班著)

携帯電話を駆使するマサイ族―ケニア、ウガンダ
「悲劇の国」が「奇跡の国」に―ルワンダ
中国企業 アフリカ進出最前線―エチオピア、ザンビア
地下資源はアフリカを幸福にするのか―タンザニア、ボツワナ
経済が破綻した国の日常―ジンバブエ
「格差」を経済成長のドライブにする国―南アフリカ

この目次からも分かるように、

●携帯電話のネットワークの発達によって変わりゆくアフリカの生活
●ディアスポラ(海外に散らばった自国民)の力をうまく活用して国の成長につなげていこうとするアフリカの姿
●中国企業の進出がアフリカの人々の暮らしをポジティブに変えていく過程
●地下資源開発を管理する力を自ら手にすることで、資源開発によって得られる豊かさを自らの豊かさに変えていこうとする逞しいアフリカ諸国の戦略
●アフリカ諸国の労働力が他のアフリカ諸国の経済成長のドライブになっているという現実

これらがリアルに描かれています。

これらのことは、南スーダンという今年の7月に生まれる新しい国にいても日々実感しています。

アフリカとひとくくりにすることの危険性は十分に認識しつつも、このアフリカ大陸に共通する事象はやはりあるのだなぁということを教えてくれた一冊です。


(携帯電話を使った送金システムは)「2007年のスタート以来、爆発的に普及が進み、すでに700万人以上がこの送金サービスを利用している。(中略)この急速な普及の背景にあるのは、ケニアでは銀行の支店やATMの普及がほとんど進んでいないという実態だ。『何もないからこそ巨大なビジネスチャンスがある』というアフリカにおけるビジネスの鉄則がここでも実証されている。」

「脇目もふらず走り続け、祖国復興の最前線に立つ不動産王・ハタリ。いったい何が彼をここまで激しく突き動かしているのだろうか? 『オレたちディアスポラは、たとえて言うなら、カゴに閉じ込められた鳥だったんだ。もう二度と故郷の空を飛ぶことはないと絶望していた。だから、ひとたび自由になったとき、誰よりも早く、遠くまで飛んでいくことができるのさ』 ハタリがつぶやいたこの一言。それは今、ルワンダの『奇跡の復興』を支えるディアスポラ全員に共通する想いなのだろう。」

「アフリカでは、欧米などの現場とは違って、車両の整備や、鉄塔の建設工事などの仕事も、すべて自力でカバーしなければならない。一方のアフリカ諸国の側にしてみれば、優秀な技術者が大量に現場レベルにまできて仕事をしてくれることは、自国の人材育成や、延いては技術移転にもつなげていけるというメリットがある。アフリカで黙々と何年でも働く優秀な人材がいくらでも確保できるという状況、それが結果として中国がアフリカ大陸で国際的なビジネス競争を行う上で大きな力になっているのだ。」

「タンザニアで''野うさぎ''と呼ばれる小規模な金採掘で成功した男の言葉が忘れられない。『アフリカでは決して一人では夢を見ないのです』。裸一貫で始めた鉱山が軌道に乗ったとき、彼の富の使い道は、村人のために小さな病院を建設することだった。」

『アフリカ 資本主義最後のフロンティア』NHKスペシャル取材班より


南スーダンの田舎町にそびえ立つ携帯電話ネットワークのための鉄塔

2011年4月29日金曜日

引き受けなければならないこと

休暇で東京に戻っていたときに2本のドキュメンタリー映画を見ました。

どちらも渋谷のミニシアターでかつ平日に上映されているのに満席。地震・津波・原発事故のあと、感じ続けている不安、そして、それに対してどのように対処するべきなのか…東京の人たちも考え続けているということが映画館の中の雰囲気から伝わってきました。

渋谷のUPLINK(映画館)では、映画の上映の後に映画館の社長の方が意見交換の時間を設置し、映画鑑賞をした人たちの中から様々な問いが投げかけられました。映画館をこういう場にするという試みに出会ったのは初めてでしたが、普段接点のない方々がどういうことを考えているのかを垣間見るいい機会でした。東京のような都会のまちでもこういう場がもっともっと増えればいいなぁ。


◎100,000年後の安全
放射性廃棄物(核のゴミ)の危険性は10万年経たないと消えません。10万年って想像力が働かない程の時間。映画の中で言われているように6万年後にこの地球に氷河期が来るとすれば、10万年後は我々人間さえ生きていないというような状況。そんな長い間果たして放射性廃棄物を安全に管理し続けることはできるのでしょうか…

これはたくさんの仮定が必要な問いでもあります。だから映画の中の議論でも「よくわからないけれど…」という正直な発言がでてきます。でも、少なくともフィンランドでは核のゴミについての議論が国家レベルでされて、それに対する''現時点では最も安全と思われる''解決策が模索され、実行に移されています。また、この国家プロジェクトに関わるトップレベルの人たちがオープンにインタビューに答え、また、核のゴミの永久地層処分場の建設現場にカメラが入ることを許しています。

日本の場合はどうでしょう…今回の地震・津波・原発事故を境に、この時代を生きるものとして引き受けていかなければならないことがたくさんあるなぁと感じています。

星野道夫さんの言葉「千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。つまり、正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出してゆく責任はあるのではないか」が今重く心に響きます。



◎ミツバチの羽音と地球の回転
瀬戸内海祝島で対岸に建設される原発に反対し続ける人達とスウェーデンで持続可能な社会づくりに取り組む人達を取り上げたドキュメンタリー映画。

行政や電力会社に対して闘い続ける祝島の住民の人たちの姿が映し出されていて、一見二項対立のように見えますが、実はそうではなく、ましてや、どこかの誰かの話でもないということに気づかされます。

瀬戸内海でとれる海の幸や農産物は私たちの食卓にだって運ばれてきますし、私たちの生活をとても豊かにしてくれます。私は今アフリカの内陸国にいるからこそ、その豊かさについては日々痛感しています。

原子力の話は、「思想」とか「主義」とかの問題として語られがちですが、本当はそういう話ではなく、実生活に根ざしたリアルな問題です。これからどのような世界に生きたいか、これからどのような環境を子供たちに残していきたいかという選択の問題でもあります…

原発をやめたら電力が足りなくなる、そしたら日本の産業そして経済が衰退して失業率が上がってにっちもさっちもいかなくなる…という議論もありますが、きちんとしたデータに基づき、そして、今ある技術とリソースで何が可能かについてあり得る限りのオプションを考えて、選択して、行動を起こしていくことはできるのだと思います。

「東京にいると、そういういろいろなこと…生きる死ぬ老いる産まれる、そういうことが微妙にぼかされているから、みんながみんな少しずつおかしくなって、ますます何がなんだかわからなくなる、ということもわかった。だからこそ、どんな時代でも、生活を続けたいと思うようになった」というよしもとばななさんの言葉がふと頭をよぎりました。

お薦めの2本です。

2011年4月13日水曜日

ひこうきものがたり

南部スーダンのジュバからケニアのナイロビに飛んで、今はナイロビからカタールへの飛行機の中。


隣に座っている女の子が一生懸命「飛行機の緊急時マニュアル」を眺めているので、あぁこの子はきっと飛行機に乗りなれてないのだろうなぁと思っていたら、飛行機が離陸した後、彼女がイヤホーンのプラグをどこに指せばいいのかと聞いてきた。


その後、食事のときに、「どこに行くの?」と聞いてみたら、レバノンだと言う。

「レバノンとドーハは一緒?」と聞かれて、いやいや…と話しこんでいたら、どうやら彼女はレバノンに家政婦として出稼ぎにいくのだということが判明。

今回生まれて初めて飛行機に乗ったのだとか。


一方、私が南部スーダンで働いているということについて、彼女はとても驚いていた。

南部スーダンではまだ人々は闘っているのか、あなたはすごく若く見えるけれど本当に働いているのかなどなど、いろいろ聞いてくる。


彼女は2人の子供とBrothers&Sistersをケニアに残して2年間の契約でレバノンに行くのだという。

噂では、悪い雇用者につかまって、殺された家政婦もいるのだとか。

「でも悪い雇用者だったら、派遣会社に報告すれば問題を解決してもらえるって言うから問題はないと思う」と彼女は言う。

「私の人生を変えようと思って。何をするにでもお金は必要でしょ。」

ケニアのモンバサ出身の彼女は、たくさんの外国人がモンバサに遊びに来るけれど、地元の人たちはお金がないのでビーチ・ライフを満喫することはできないのだと嘆く。


礼儀正しく、控えめで、とても好印象な彼女。

レバノンでどんなおうちに配属されるのか…

彼女が、いい雇用者に恵まれるようにただ祈るばかり。


思えば飛行機は様々な人の人生を乗せている。

必ず何かの目的があって人は飛行機に乗っているのだから、その目的をたどってみたり、乗客それぞれの人生を追っていけば、ひとつの映画ができてしまうだろうな。