2011年4月29日金曜日

引き受けなければならないこと

休暇で東京に戻っていたときに2本のドキュメンタリー映画を見ました。

どちらも渋谷のミニシアターでかつ平日に上映されているのに満席。地震・津波・原発事故のあと、感じ続けている不安、そして、それに対してどのように対処するべきなのか…東京の人たちも考え続けているということが映画館の中の雰囲気から伝わってきました。

渋谷のUPLINK(映画館)では、映画の上映の後に映画館の社長の方が意見交換の時間を設置し、映画鑑賞をした人たちの中から様々な問いが投げかけられました。映画館をこういう場にするという試みに出会ったのは初めてでしたが、普段接点のない方々がどういうことを考えているのかを垣間見るいい機会でした。東京のような都会のまちでもこういう場がもっともっと増えればいいなぁ。


◎100,000年後の安全
放射性廃棄物(核のゴミ)の危険性は10万年経たないと消えません。10万年って想像力が働かない程の時間。映画の中で言われているように6万年後にこの地球に氷河期が来るとすれば、10万年後は我々人間さえ生きていないというような状況。そんな長い間果たして放射性廃棄物を安全に管理し続けることはできるのでしょうか…

これはたくさんの仮定が必要な問いでもあります。だから映画の中の議論でも「よくわからないけれど…」という正直な発言がでてきます。でも、少なくともフィンランドでは核のゴミについての議論が国家レベルでされて、それに対する''現時点では最も安全と思われる''解決策が模索され、実行に移されています。また、この国家プロジェクトに関わるトップレベルの人たちがオープンにインタビューに答え、また、核のゴミの永久地層処分場の建設現場にカメラが入ることを許しています。

日本の場合はどうでしょう…今回の地震・津波・原発事故を境に、この時代を生きるものとして引き受けていかなければならないことがたくさんあるなぁと感じています。

星野道夫さんの言葉「千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。つまり、正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出してゆく責任はあるのではないか」が今重く心に響きます。



◎ミツバチの羽音と地球の回転
瀬戸内海祝島で対岸に建設される原発に反対し続ける人達とスウェーデンで持続可能な社会づくりに取り組む人達を取り上げたドキュメンタリー映画。

行政や電力会社に対して闘い続ける祝島の住民の人たちの姿が映し出されていて、一見二項対立のように見えますが、実はそうではなく、ましてや、どこかの誰かの話でもないということに気づかされます。

瀬戸内海でとれる海の幸や農産物は私たちの食卓にだって運ばれてきますし、私たちの生活をとても豊かにしてくれます。私は今アフリカの内陸国にいるからこそ、その豊かさについては日々痛感しています。

原子力の話は、「思想」とか「主義」とかの問題として語られがちですが、本当はそういう話ではなく、実生活に根ざしたリアルな問題です。これからどのような世界に生きたいか、これからどのような環境を子供たちに残していきたいかという選択の問題でもあります…

原発をやめたら電力が足りなくなる、そしたら日本の産業そして経済が衰退して失業率が上がってにっちもさっちもいかなくなる…という議論もありますが、きちんとしたデータに基づき、そして、今ある技術とリソースで何が可能かについてあり得る限りのオプションを考えて、選択して、行動を起こしていくことはできるのだと思います。

「東京にいると、そういういろいろなこと…生きる死ぬ老いる産まれる、そういうことが微妙にぼかされているから、みんながみんな少しずつおかしくなって、ますます何がなんだかわからなくなる、ということもわかった。だからこそ、どんな時代でも、生活を続けたいと思うようになった」というよしもとばななさんの言葉がふと頭をよぎりました。

お薦めの2本です。

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