2011年4月13日水曜日

ひこうきものがたり

南部スーダンのジュバからケニアのナイロビに飛んで、今はナイロビからカタールへの飛行機の中。


隣に座っている女の子が一生懸命「飛行機の緊急時マニュアル」を眺めているので、あぁこの子はきっと飛行機に乗りなれてないのだろうなぁと思っていたら、飛行機が離陸した後、彼女がイヤホーンのプラグをどこに指せばいいのかと聞いてきた。


その後、食事のときに、「どこに行くの?」と聞いてみたら、レバノンだと言う。

「レバノンとドーハは一緒?」と聞かれて、いやいや…と話しこんでいたら、どうやら彼女はレバノンに家政婦として出稼ぎにいくのだということが判明。

今回生まれて初めて飛行機に乗ったのだとか。


一方、私が南部スーダンで働いているということについて、彼女はとても驚いていた。

南部スーダンではまだ人々は闘っているのか、あなたはすごく若く見えるけれど本当に働いているのかなどなど、いろいろ聞いてくる。


彼女は2人の子供とBrothers&Sistersをケニアに残して2年間の契約でレバノンに行くのだという。

噂では、悪い雇用者につかまって、殺された家政婦もいるのだとか。

「でも悪い雇用者だったら、派遣会社に報告すれば問題を解決してもらえるって言うから問題はないと思う」と彼女は言う。

「私の人生を変えようと思って。何をするにでもお金は必要でしょ。」

ケニアのモンバサ出身の彼女は、たくさんの外国人がモンバサに遊びに来るけれど、地元の人たちはお金がないのでビーチ・ライフを満喫することはできないのだと嘆く。


礼儀正しく、控えめで、とても好印象な彼女。

レバノンでどんなおうちに配属されるのか…

彼女が、いい雇用者に恵まれるようにただ祈るばかり。


思えば飛行機は様々な人の人生を乗せている。

必ず何かの目的があって人は飛行機に乗っているのだから、その目的をたどってみたり、乗客それぞれの人生を追っていけば、ひとつの映画ができてしまうだろうな。

2 件のコメント:

ブランか さんのコメント...

スーダンには季節を象徴する花は無いということですが、今我が家の庭では遅咲きの八重桜が濃いピンクの花を満開にしてます。
その八重桜を眺めながらEriさんのブログを読ませて戴いてます。
丁度10年前の同時多発テロの直後、観光でカイロからクアランプールへ向かう飛行機の中でのことです。
経由のベイルートから大きな荷物を抱えた父子が搭乗して私の隣に座りました。
当時ベイルートというと危険な都市のイメージが有ったので緊張しましたが、目が合ったので目礼を交わすとポケットからビスケットを差し出してくれました。そこで私は持ち合わせの柿の種をあげたのです。
父子はそれがエチケットとして心得てか、すぐに封を切り食べ始めました。
残念ながら言語が不自由なので会話はうまく出来ませんでしたが、互いの国の物の交換が友好的な気持ちしてくれました。
外国人の年齢は推し量れませんが、連れてる5,6歳くらいの男の子の父親ですから40代でしょうか。所謂レバノン華僑と言われてる商人で大きな荷物は商品と思われました。
Eriさんが会った女の子は幾つくらいの方でしたか?二人の子供たちと兄弟たち、姉妹たちのために生まれて初めて飛行機に乗り、外国へ働きに行くというけなげさ前向きさは屹度彼女なりの判断で直面する事態を乗り越えていくのでしょう。
何語で会話したのですか?
Eriさんのカタール行きはお仕事だったのですか?
ブログを読みながらイメージは膨らむばかりです。

Eri さんのコメント...

ブランカさん
素敵なコメントをありがとうございます。そして、ブランカさんのメッセージに長い間気づかずすみませんでした。
飛行機の中では様々な出会いがありますよね。私は飛行機の中ですぐに寝てしまうことが多いのですが、それでも、アフリカ滞在中に飛行機に乗ったときには、幸いなことに一度も物を盗まれたり、いたずらをされたりすることもなく、老若男女様々な国籍の人達と会話を楽しむことができました。
私は英語しか話せないため、現地の人達とのコミュニケーションはいつも英語です。スーダンの国内線なんかはアラビア語しか話さない人達もたくさんいるため、お互いに話していることが全然わからないことも多いです。でも、そんな中でも「自分の嫁になれ!」と言ってくる人については雰囲気で分かったりしました(笑)。
ブランカさんがお会いされたレバノン架橋の親子にもいろいろな物語がありそうですね。