2014年1月5日日曜日

祈る平和

南スーダンの西エクアトリアで見た夕日

年末から第二の故郷・南スーダンの事態が気になっています。

去年の12月は、年明け早々立ち上げ予定だった南スーダンの起業家支援のプログラムの中身の詰めを行っていました。その詰めも終わろうとしていた矢先に、南スーダンの首都ジュバで、(元副大統領率いるグループによる)クーデター未遂があったという情報が入ってきて・・・

一方で、元副大統領はクーデターの試みはなかったと主張しています。

その後大統領と元副大統領の政治的な対立は、大統領の属するディンカ族と元副大統領の属するヌエル族との間の民族的な闘い(殺戮のしあい)に一気に拡大しています。

死体の山が首都ジュバや他の州の州都でも見つかっているというニュースや記事も目・耳にしています。死者は1,000人以上にのぼるという情報もああります。

元々反政府勢力が存在し、また、牛・女性・子どもの民族間の奪い合い等で治安がなかなか安定していなかったジョングレイ州の州都ボーが元副大統領グループの手に落ち、石油資源が豊富にあるユニティ州都も反政府勢力の手に落ちたという情報もあり・・・戦火は全10州のうち、半分に及んでいるようです。

更には、スーダンやウガンダの介入の可能性もゼロではないという話しもあり・・・

エチオピアで和平交渉が行われるようですが、大統領側は「反政府勢力とのパワーシェアリング(副大統領や大臣といった主要ポストの提供といったようなこと)はあり得ない」と明言しており、一方、元副大統領側はクーデター未遂犯として逮捕された仲間たちが解放されなければ、そして、和平合意事項の実行及びモニタリングが確実に行われるという保障がなければ、停戦には応じないとしているため、両者が合意に達することができるのか―かなり不透明だと言わざるを得ません。

駐在していたときに一緒に働いていたローカルスタッフ、そして、政府の役人の人たち、NGOの人たち、更には、近隣諸国から出稼ぎにきてドライバーやホテルスタッフとして働いていたケニア人やウガンダ人たち―飛行機で外に脱出することが容易でない人たち―彼らは無事なのでしょうか。

もう戦いはいやだと心から思っていた南スーダンの人たちをたくさん知っているだけに、現地の情勢は彼らの思いからはあまりにもかけ離れ過ぎていて、言葉を失ってしまいます。

2005年の南北スーダンの停戦合意以降、インフラ建設、政府システムの構築、そして、人々の間の信頼情勢などが急ピッチで行われてきました・・・停戦合意後たったの9年間しかなかったので多くのことが達成できたとはとても言えない状況です。でも、今のままではこれらが一瞬にして無に帰してしまうかもしれません。それでは、あまりにも悲し過ぎます。

首都ジュバから車で一時間走れば、保健システムも教育システムも安全な水へにアクセスもないところはそこらじゅうにあります。だからこそ、これからも「戦い」以外にやることが山ほどあるこの国で、のちのちに禍根を残すような民族同士の殺し合いが行われて、内戦に発展しそうになっているという現状に対して、現地の人たちが誰よりも心を痛めているに違いありません。

南スーダンで働いているとき、心とビジョンあるリーダーに出会うことが何度もありました。
どうか、彼らの声が、大統領側にも元副大統領側にも届き、大統領と元副大統領が思いきった、かつ、現地の人たちに共に生きる勇気と希望を与える決断を促しますように。

大学時代の恩師がいろんなところで口にしている言葉「必要なのは祈る平和ではなくつくる平和」という言葉が好きで、平和構築に携わることを希望してきましたが、今の私が(南スーダンの現状について)できることは祈ることだけだという現実がとてももどかしいです。

エチオピアでの和平交渉がうまくいって、一日も早く南スーダンの人たちとの国づくりに向けた作業が再開できますように。

2014年の年始に願ってやみません。

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