2009年11月27日金曜日

Security Training

今週は3日間ケニアでSecurity Trainingを受けてきました。

基本的には、うちの組織のアフリカ地域駐在員(管理職)及びSecurity Advisor向けの研修だったのですが、ジュバという特殊な場所にいることもあって、私も参加させてもらいました。

最も驚いたことは、フランス語を話す参加者が半分程度いたことです。あぁ、アフリカって本当にフランス語なんだなぁ…と実感しました。

20人の参加者の管轄下にある日本人は1200人以上。つまり、1200人以上の日本人の安全をこれらの参加者が担っていることになります。

ブルキナファソ、ザンビア、セネガル、ブルンジ…聞いたことはあるけれど、場所をはっきりとイメージすることができない国々からの駐在員が参加していたため、いつもは接点のないアフリカの他の国々を身近に感じることのできるいい機会になりました。

研修の内容は、ケーススタディを用いながら、脅威を特定し、その脅威を「インパクト」と「起こりうる確率」という二つの物差しで測り、マトリックスにはめ込んでいく作業を行ったり、緊急事態の際にどのような備えが必要かということをシミュレーションしたり、緊急時のメディア対応を学習したり…ケーススタディがスーダンの事例を多く扱っていたこともあり、大変勉強になりました。

また、研修の合間にケニアの病院に行って様々な検査を受けてみたところ…おなかをこわしがちだった理由がやっとわかりました。薬を二日間飲めば完治するようなものだったのですが、これが原因で食欲がなかったり、お腹をこわしたり、太らなかったりしたようです。お医者さんに、「どうしたら再度この病気にかかることを防げますか?」と聞いたところ、「Go back to Japan!」と一言。うーん、日本に帰らないからこそ聞いているのに…

ついでに、髄膜炎と腸チフスの予防接種も受けてきました。これでスーダンに来ることが決まってから打った予防接種の数は11本。あと4本打たなくては…

今回ケニアの病院に行って、スーダンからの研修生がケニアで病院に行きたがる理由がわかった気がしました。誰だってよりよい医療サービスを受けられるチャンスがあれば行きたいですよね…私もその例に漏れず…

今回のケニアの研修は、Security Training受講し、健康チェックを受けて、そして、フランス語を学ぶぞ!という意欲をたっぷりもらったため、一粒で三度美味しかったです。

ジュバ大学に夜間にフランス語を教えるコースがあると聞いたので、来年からそこに通ってみようかな…


◎病院で受け取った薬

2009年11月22日日曜日

平和構築とは?!

 職場の同僚が『平和構築-アフガン、東ティモールの現場から』(東大作著)という本をジュバまで送ってくれたので、一気に読みました。

 大学院の頃から将来は紛争後の国家の国づくり、つまり、平和構築に携わりたいと思い、大学院では、カンボジアのクメールルージュ後の正義と和解の問題についてペーパーを書きました。

 その後、日本が平和構築で大きな役割を果たせるのは、軍事面でもなければ、政治面でもなく、開発面だろうと考え、日本の開発援助機関に就職し、今スーダンにいるわけですが、その中で「平和構築」という言葉を定義するのはなかなか難しいと感じていました。なぜなら、平和構築とは多くのこと(例えば、法整備、インフラ整備、武装解除、和解の促進、選挙支援、警察や軍の整備、社会資本の整備等々)を同時並行的に進める作業であることから、一言では説明しにくいのです。

 しかし、この本は、国連の「平和構築(Peacebuilding)」の定義を引用し、平和構築とは「紛争後の地域において、国家の再建を通じ、紛争の再発を防ぎ、平和を定着化させる活動」と明確に定義し、この活動が日本においてはまだ広く認識されていないと考える著者は、アフガニスタンと東ティモールの事例を紹介しながら、これまで平和構築という名の下で行われてきたこと、そして、これから平和構築において日本の果たすべき役割を記しています。

 冷戦後、日本は、カンボジア、コソボ、東ティモール、パレスチナ、スーダン、アフガニスタン、イラク等において、平和構築に関わってきました。また、世界中(スーダンも含む)に展開している国連PKOの予算の15-20%を日本が財政負担してきました。このような中で、今後日本がどのような形で平和構築に携わればいいかということを、著者はアフガニスタンや東ティモールでの聞き取り調査に基づき、次のように結論づけています。

「基本的には、次のような二段構えの方法を取ることが効果的ではないだろうか。

(一) 平和構築の初期の段階では、外部アクターが中心になってでも人道支援など緊急援助に加え、①水道、②電気、③医療、④道路、といった比較的短期間で改善可能で、住民のニーズが高いものについて大規模な援助を実施し、「平和の配当」を人々が直接感じることができるようにする。

(二) それと平行して、なるべく早く現地政府や現地住民の主体的な参加や決定によって実施できるプログラムを立ち上げ、より長期的な開発に向けた事業ができるよう、移行していく。」

「しかし、考慮しなければいけないのは、紛争地域においては、現地政府の機能が崩壊していることが多く、ある程度、外部アクター(国連や支援国など)が主導的な役割を果たさなければ、援助の実施が難しい場合が多いことである。」


 まさに、南部スーダンで(我々を含む)様々な援助機関が実施しようと試みてはいるものの、苦戦していることそのものだなぁ…と感じました。

 できるだけ多くの方がこの本を手にとることで、平和構築への理解が進むといいなと思っています。

2009年11月12日木曜日

選挙登録

 この11月はスーダンでは選挙登録月間です。

 来年の総選挙を控え、18歳以上の選挙権を持つスーダン人は生まれ故郷か現住所かのどちらかで11月中に選挙人登録をする必要があります。

 しかし、当初スーダン政府や国連機関が想定していたよりも、選挙人登録はスムーズに進んでいないようで、その状況を危惧したのか、南部スーダン大統領であるサルバキール氏は突然今週水曜日から一週間をPublic Holidayにしますと宣言し、その間に南部スーダン人は故郷に戻って選挙人登録をするように…とメディアを通じて発表しました。

 ただえさえ、年末に向けて様々な予定と業務が立て込んでいるこの時期に、「一週間も休みになるのか…」と驚いたのですが、この選挙人登録が2年後のレファレンダム(南部スーダンの独立を問う住民投票)の定足数のベースとなることから、南部スーダン政府は選挙人の登録数を増やすことに必死なんででしょうね、と事務所のスタッフとも話していました。

 すると、その2日後に、Public Holidayを一週間設定するというStatementは間違いでした、という発表が南部スーダン政府から出され、木曜からは通常通りの業務が突如再開されたのです…

 大統領のStatementが間違ってましたって…

 一週間は休暇だと想定して故郷に帰ってしまっているようなローカルスタッフもいる中で、このPublic Holidayの扱いをどうするかということが援助関係者の間で話題になっています。

2009年11月8日日曜日

The Blue Sweater


高校生のときにアメリカのバージニアで捨てた青いセーターが、様々な人の手に渡って、9年後にルワンダの首都キガリの少年に着用されているのを偶然発見したとしたら…

この奇跡のような出来事に遭遇したとき、青いセーターの持ち主ジャックリンさんは、「先進国も途上国もすべて繋がっている(we are all connected)」と強く感じたと言います。

彼女の原点とも言えるような青いセーターの話で始まるこの本は、途上国で貧困解決に資するビジネスを展開する企業・NGOに資金面、技術面、マネージメント面でのサポートを提供するAcumen FundというNGOを彼女が設立し、そのNGOが成功するまでのストーリーが綴られています。

ジャックリンさんは、大手外資銀行を退職し、UNICEFのコンサルタントとしてルワンダに乗り込み、ルワンダのマイクロファイナンス機関の設立やパン屋の経営改善に取り組むことを通じて、与えるだけの援助やgood willだけに頼る援助には限界があると感じる一方で、ビジネスを通じた貧困削減の可能性に目をつけます。彼女は「将来、経験を積んでアフリカに戻ってきて、新しい雇用を生み出す工場や大規模なビジネスを始めたい」と決心して、アメリカのビジネススクールに戻り、その後、財団で経験を積み、2001年にAcumen Fundを設立します。

彼女は、Acumen Fundに投資してくれる人や団体に、「この投資からはお金を稼ぐことはできませんが、この投資によって世界を変えることができます。(You do not get any money back from your investment. You get change.)」と宣伝し、Fund設立当初に8億円もの資金を調達します。これだけでも、彼女の人脈、ビジネスプラン、そして、思いのすごさが伝わってきますよね。

Acumen Fundは、リーダーシップ、持続性、そして、社会に与えるインパクト(leadership, sustainability and scale)というクライテリアで投資先(企業・NGO)を選び、インド、パキスタン、アフリカで次々と投資先を見つけ、支援をしてきました。

我々援助機関も同じようなクライテリアで支援先を選定してはいるものの、途上国政府との関係を第一に考える点や、利益を生まない社会資本を提供するという違い、そして、新しいことにはなかなかチャレンジできない(リスクをとれない)等々の制約があることから、Acumen Fundのように支援先を厳選できないのが現状です。一方で、このようなFundとうまく補完関係を築くことができれば、我々援助機関の支援の可能性もよりバラエティが増えるかもしれないなと感じています。

ジャックリンさんは、マイクロファイナンスを通じて、女性たちがエンパワーされていく様子を目の当たりにします。

「(女性たちは)収入を得ることによって、自分たちで決断することができるようになります。お金は自由、自信、そして、選択肢を生み出します。選択できるということは、人間としての尊厳を得るということです。そして、女性たちは連帯することによってより強くなれるのです。For the first time, their incomes allowed them to decide when to say yes and when to say no. Money is freedom and confidence and choice. And choice is dignity. The solidarity of the bakery also gave them a sense of belonging that made them even stronger.)」

社会の末端にいる女性たちへ確実な変化を生み出すために、利益を追求するのではなく変化を生み出すための資本を世界中から集め、ビジョンとノウハウを持つ途上国の企業やNGOをサポートする…このような新しいタイプのFundが今確実に途上国の社会を変えていっています。


「これまでの全ての出会いが今の私をつくりあげています。素晴らしい出会いもそうでない出会いもすべて含めて私の一部なのです(One of my favorite lines from Tennyson’s ‘Ulysses’ is ‘‘I am a part of all that I have met.’’ And they – every one of them, good and bad – are a part of me.)」

The Blue Sweater Jacqueline Novogratzより

2009年11月7日土曜日

南部スーダン人の結婚観

ジュバ大学の教官(男性)と南部スーダン政府の教育省の役人(男性)と3人で食事をしていたときのこと。

以前から疑問に思っていたことを聞いてみました。

私:「南部スーダンでは男性は何人でも奥さんを持ってもいいと聞いたのだけれど今でもそうなの?」

相手1:「もちろん。」

私:「じゃあ将来は次の奥さんをもらうの?」

相手1:「今すぐのではないけれど、将来的にはもらいたいと思っている。」

相手2:「二番目の奥さんをもらうなんて考えるべきではないよ。まずは、今の奥さんとの間に男の子をもうけることを一番優先的に考えるべきだ。女の子の子供だけでは将来家族の面倒をみる人がいないだろう。」

私:「男性がたくさんの奥さんをもらえるのであれば、女性もたくさんの旦那さんをもらってもいいのかな?」

相手1:「なんてことを言うんだ。そんなことは口にしない方がいい。」

相手2:「日本では一人の女性がたくさんの旦那さんを持つことがあるのか。」

私:「ないけれど…でも、男性がたくさんの奥さんを持てるのであれば、女性もたくさんの旦那さんを持ってもいいんじゃないかな。それが平等ってことじゃない?」

相手1:「でも、男性の場合はたくさんの奥さんを持っても自分の子供を判別することができるけれど、女性の場合はたくさんの旦那さんを持ったらどれがどの男性の子供かわからなくなるだろう。だから女性の場合は許されない。」

私:「そっか…あと、旦那さんが亡くなった女性は、その旦那さんの兄弟と一緒にならなければならいのはなぜ?」

相手1:「だって、旦那さんが亡くなったからもう家族ではありませんということはできないだろう…一度結婚したらその女性は男性の家族の一員になるのだから、旦那さんが亡くなったからって家族の縁が切れるわけではない。旦那さんが亡くなったとしても旦那の兄弟と一緒になる(兄弟の奥さんになる)ことで家族の一員であり続けることができるんだよ。」

相手2:「もちろん、たくさんの兄弟がいたら、その中から好きな男性を選ぶことができるし、奥さんになる前にHIV検査を男性の側に受けてもらうこともできるんだよ。」

私:「へぇ…プラクティカルだね…」

日本と南部スーダンの結婚観がかなり異なるため、なんだか面喰ってしまった私がいました。ちなみに、割り勘という考え方も理解できないとのこと。「なんで女性にお金を払ってもらわなければならないんだ?!」と考えるようです。私が、「Financially independentな女性だとしても?」と聞いたところ、「そんなことは問題ではない。お金を持っている女性はそれは自分の家族のために使えばいい」と言われました。

でもきっと、私と同じぐらい相手も私の考え方に驚いたんだろうな…

◎南部スーダンの女性たち

2009年11月1日日曜日

ネパーリーランチ@スーダン

私の人生を大きく変えたネパール人の友人がいるのですが、その友人から、「僕の親友がスーダンの国連機関で働いているから会ってみて!名前はラジェンドラ」というメールを受け取りました。でも、日本の約7倍もあるスーダンで、数多くの国際機関が活動しているのですから、「国連機関で働くネパール人のラジェンドラさん」という手がかりだけでは会うのは難しいだろうな…と諦めていたのですが、スーダンは広し、けれども外国人コミュニティは狭し…ふとしたきっかけでラジェンドラさんとつながったのです。

ネパール人は、中国人や韓国人やインド人と同様、どこにいっても自らの食文化を保っているようで、スーダンでもネパール料理を毎日つくっているとのこと。週末にジュバに滞在する他のネパール人に混ざって、ラジェンドラさんの国連の宿舎にお邪魔して、ネパール料理をごちそうになりました。

人の縁って不思議だなぁ…と思いながら、おいしいネパール料理で幸せな週末の午後を過ごしました。