最近読みたいと思っていた本について、たまたま夕食のときに同僚に話したところ、「あ、それ僕持ってますよ」と言われ、次の日事務所に行くとその同僚は机の上にその本を置いておいてくれました。それがこの本、『旅をする木』。
アラスカの大自然の中で暮らし続け、その自然の中で亡くなってしまった星野道夫さんのエッセー集。
読み進めていくにつれて、私が高校生のときから様々な場所を巡り続けていること、この仕事を選んで今ここにいること、そして、最近ずっと頭にひっかかっていることについて、いくつか答えをもらったような気がしました。
アラスカの大自然の中で生きた星野さんの人生と、アフリカの田舎町のプレハブで生活している私の人生とがクロスするというのはとても不思議なのですが…
すっかり星野さんとアラスカのファンになってしまいました。いつか写真展にも行ってみたいです。
「このプロジェクトに参加する前、コロンビアも、いや南アメリカそのものがつかみどころのない世界でした。しかし今は少し身近に感じます。親友となったアルドウの物語があるからです。人と出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってきます。」(ガラパゴスから)
「千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。つまり、正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出してゆく責任はあるのではないかということです。」(オールドクロウ)
「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。」(アラスカとの出合い)
「旅を終えて帰国すると、そこには日本の高校生としての元の日常が待っていた。しかし世界の広さを知ったことは、自分を解放し、気持ちをホッとさせた。ぼくが暮らしているここだけが世界ではない。さまざまな人々が、それぞれの価値観をもち、遠い異国で自分と同じ一生を生きている。つまりその旅は、自分が育ち、今生きている世界を相対化して視る目を初めて与えてくれたのだ。それは大きなことだった。なぜならば、ぼくはアラスカに生きる多様な人間の風景に魅かれ、今も同じような作業を繰り返している気がするからである。」(十六歳のとき)
「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」(ワスレナグサ)