2011年2月27日日曜日

生まれもった川

ジュバにいるといつでも読みたい本が読めるわけではないので、読みたい本についてはリストをつくったり、amazonの買い物かごに入れたりして日本に帰国した時に買えるようにしています。


最近読みたいと思っていた本について、たまたま夕食のときに同僚に話したところ、「あ、それ僕持ってますよ」と言われ、次の日事務所に行くとその同僚は机の上にその本を置いておいてくれました。それがこの本、『旅をする木』。


アラスカの大自然の中で暮らし続け、その自然の中で亡くなってしまった星野道夫さんのエッセー集。


読み進めていくにつれて、私が高校生のときから様々な場所を巡り続けていること、この仕事を選んで今ここにいること、そして、最近ずっと頭にひっかかっていることについて、いくつか答えをもらったような気がしました。


アラスカの大自然の中で生きた星野さんの人生と、アフリカの田舎町のプレハブで生活している私の人生とがクロスするというのはとても不思議なのですが…


すっかり星野さんとアラスカのファンになってしまいました。いつか写真展にも行ってみたいです。



「このプロジェクトに参加する前、コロンビアも、いや南アメリカそのものがつかみどころのない世界でした。しかし今は少し身近に感じます。親友となったアルドウの物語があるからです。人と出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってきます。」(ガラパゴスから)


「千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。つまり、正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出してゆく責任はあるのではないかということです。」(オールドクロウ)


「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。」(アラスカとの出合い)


「旅を終えて帰国すると、そこには日本の高校生としての元の日常が待っていた。しかし世界の広さを知ったことは、自分を解放し、気持ちをホッとさせた。ぼくが暮らしているここだけが世界ではない。さまざまな人々が、それぞれの価値観をもち、遠い異国で自分と同じ一生を生きている。つまりその旅は、自分が育ち、今生きている世界を相対化して視る目を初めて与えてくれたのだ。それは大きなことだった。なぜならば、ぼくはアラスカに生きる多様な人間の風景に魅かれ、今も同じような作業を繰り返している気がするからである。」(十六歳のとき)


「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」(ワスレナグサ)


『旅をする木』 星野道夫 より



◎セスナから見た風景@南部スーダン

ナイル川
ココナッツ・リバー
出張に使うセスナ機

2011年2月13日日曜日

南部スーダンx中国

南部スーダンでの中国人の活躍はすごい。


中華料理屋がジュバだけに6件あることからも中国人の多さが分かる。

首都ハルツームの国内線ターミナルでは、ダルフールや南部の地方都市に行く飛行機に中国人が列をなしている。

南部スーダンの独立後の大型インフラ整備に係る契約を得ようと、中国企業は住民投票の数年前から南部スーダンに入って南部スーダン政府と交渉を始めている。

更に、中国は南部スーダンにPKOを出して現地で表彰されている。

我々日本人が道端を歩いていて、いつも言われる言葉は「ニーハオ!」「チャイナ!!」


そのような中、中国は南部スーダンの農業支援にも乗り出そうとしている。


彼らの基本的な方針は民活だ。

中国政府は南部スーダンと中国の投資家とを繋ぐ役割を担う。

まずは、中国側は農業機械の販売及びメンテナンスのための拠点をジュバに設置し、その後、地方にも拠点を築いていきたいという。そして、その拠点を通じて将来的には余剰生産物を地方から買い取り、南部スーダンから中国に輸入するというダイナミックかつ長期的な構想を持っている。


もちろん、南部スーダンでは物事はそんなにスムーズには進まない。

それは彼らも十分承知している。

そもそも南部スーダン政府の農業省庁の中でカウンターパートを見つけるのも一苦労。

そして、地方の拠点を設置するためには、それなりの数の農民へのアクセスが必要だが、そもそも農民は組織化されていないし、農村から拠点にアクセスするための道路もない。

農民が農業機械を購入するためのファイナンスがない…などなど。


しかし、中国の構想にはスケールがあるし、お互いがWin-Win関係を築けるという夢がある。


確かに中国は一般的な意味での「援助協調」には与していない。

でも、「中国での経験」に基づき、独自路線を突き進み、それが実際に現地では歓迎されている。

世銀(World Bank)の副総裁が南部スーダンを訪問した際のレセプションでも、中国領事館には特別席と発言の機会が用意されていた。


「安かろう、悪かろう」の時代は終わって、中国の援助はtry&errorを繰り返しながら確実に実力をつけてきている。

それを現場で間近に見て感じるのも、なかなか面白い。


南部スーダン政府の建物では中国政府の人たちをよく見かけるし、声をかけられる。

話を聞くたびに、日本と似たような発想(※外からシステムを持ち込もうとするのではなく、先方政府側のイニシアチブを大事にして、得意な分野で支援を行う)で南部スーダン政府に対する支援を行っているなと思う。


なかなか強力な’’ライバル’’だ。

2011年2月6日日曜日

岐路に立つふたつのスーダン

南部スーダンのジュバで見ているBBCやアルジャジーラの番組ではエジプトのデモの話ばかり。


そんな中で「南部スーダンの独立」という''決まり切った''住民投票の結果をメディアはあまり取り上げないかもしれないが、住民投票の暫定結果に対する異議申し立てがなかったようなので、明日27日に南部スーダンの独立が正式に決まる予定。南部スーダンでは明日午後が祝日になり、ハルツームで発表される住民投票の結果を、ジュバの人たちはTVやラジオを通して聞くらしい。


住民投票では、投票した人のうち、98.83%の南部スーダン人が独立に票を入れた。これは南部スーダン全10州、北部スーダン、そして海外での投票を全て合わせた結果だ。南部スーダン全10州だけを見ると、99.57%の南部スーダン人が独立に票を入れたというのだから圧倒的である。


あとは、79日の独立の日を待つのみといったところか。もちろん、北部スーダンと南部スーダンとの間で政治家・官僚レベルで解決しなければならない問題(国境線の画定、債務分割、北部スーダンに住む南部スーダン人の市民権、アビエイの帰属等)は山積みだが、一般市民レベルでは明日の結果発表をもって「ほぼ終わった!」と晴れ晴れした気持ちになるに違いない。


今月から南部スーダン政府は、2011年から2013年までを対象としたSouthern Sudan Development Planの作成を開始し、これまで打ち出してきた短期的な計画を補完するような長期的な展望を持つ計画をつくる予定。この中長期的な計画づくりがうまくいけば、南部スーダンが北部スーダンから承継するであろう債務の免除への道が開けるため、南部スーダン政府も気合いが入っている。

債務免除は、文字通り債務が免除されるだけでなく、その後に優遇金利のローンを借りるための道が開けるというところがポイント。ジュバ意外にほぼ舗装道路がない南部スーダンでは、今後地方も含めたインフラづくりをするためには大量の資金が必要で、そのためには優遇金利のローンが欠かせない。ジュバを灯す電気だって今は大きな発電機。将来的に発電所をつくるためにはやっぱりローンが必要になるだろう。

だから、今からそのための準備をしているのだ。


今回、個人的に一番驚いたのは、1月の住民投票、そして、その結果集計というプロセスに北部スーダンが全く介入しなかった点。ただえさえ最近北部スーダンでは物価が上昇し、人々の不満がたまっているとのことだが、住民投票の結果油田が多く存在する南部スーダンが独立してしまえば北部スーダンの歳入は激減するため、北部スーダン政府はますます窮地に立つことになる。そうなったとしても、包括的和平合意(CPA)に従った方がいいと北部スーダン政府が考えた理由は何か…?そこにどんなメリットを見出し、そして、どのように北部スーダン政府内の強硬派を説得したのか…?それとも選択肢がないぐらい国際社会に追い詰められているのか…?

悪名高い北部スーダンのバシール大統領。もちろんダルフールでの非人道的な行為は断罪されるべきものではあるものの、南部スーダンについてはこのまま平和裏に独立すれば、これはバシール大統領の「功績」として、国際社会はより北部スーダンを評価し、それを契機に、国際社会は北部スーダン政府が国際社会に歩み寄れるようなオプションを提示する必要があるのではないか…このタイミングだからこそ、非関与政策ではなく、関与政策が求められているのではないか…


そんなことを考える日曜の夜。明日の結果発表を現地で見守りたいと思う。


◎空港からジュバ市内に向かう道路にある看板「アフリカで最も新しい国へようこそ」気が早い?!

◎住民投票のための啓発ポスター

2011年2月5日土曜日

息抜き

週末に仕事でへとへとになった後、何か気分転換をと思い映画『スラムドッグ$ミリオネア』(原題:Slumdog Millionaire)と本『妹たちへ2』の世界へ。

スラムドッグ$ミリオネア』は出張で10回以上訪れたことのあるインドの話だと知っていたのでずっと気になっていたものの、機会を逃して見ていなかった。今回この映画を最後まで見て「あぁ、これはラブストーリーだったのか」とやっと気付いた私だったのであまり偉そうなことは言えないけれど、ストーリーそのものよりもその途中途中で現れるインドの様々な顔の方が印象的だった。


ムンバイに昔出張に行ったときのこと。車で移動している最中に信号で止まった時、窓の外を見てギョッとした。若い女性が抱えている赤ちゃんの肌がぼろぼろで、ハムみたいに紐で縛られて焼かれたような痕がある。これは赤ちゃんを惨めに見せてより多くのお金を集めるために人為的にやったものだなとすぐに分かって、反射的にその若い女性をにらんでしまった。でも、映画の中にも出てくるように、そもそもそういうことを若い女性にやらせている「ボス」が裏にはいたのかもしれない。その女性だって被害者だったのかもしれない。自分のした行動は浅はかだったなと今さらながらに思う。


華々しいTVショーとその裏でつながりのある腐った警察、IT産業を筆頭に発展し続けるインドとその裏で拡大し続けるスラムと闇社会、時々突発的に起こるイスラム教とヒンドゥー教の対立…インドの光と影のどちらかだけを強調するのではなく、ありのままが描かれていた。内容的には決して明るいとは言えないものだったが、一方で、映画全体を通してリズミカルな音楽が流れ、やっぱり最後には主人公とヒロインが踊りだしてインドらしさ炸裂!という感じで終わったため、暗すぎるという印象もなかった。不思議な後味の映画。

他の日本人が置いていった本。たまたまめぐりあったので読んだというだけだったけれど、私たちよりずっとずっと先輩で輝き続けている女性たちの20代・30代の頃の話が飾り気なく紹介されていて、読み進めるうちになんだか肩の力が抜けていくような気がした。特に女優の夏木マリさんと東大教授の上野千鶴子さんの話が素敵だった。

夏木マリさんは今では「個性派女優」として知られているけれど、20代のころは「君は地味で個性がない。小学校の先生みたいだね」と言われたんだとか。そして、8年間地方のキャバレーで歌い続け、今日も嫌だと思ううちに朝がきて、明日がいやだと思って夜眠るような日々を送っていたというから驚きだ。

また、女性学の権威である上野千鶴子さんは、30歳でやっと職を得た短大で、女性学の総合講座をつくろうと教授会に提案したとき、古手の教員から「それって学問ですか」と横やりが入って、人前でめったに泣かない人が悔し涙にくれたと言う。上野さんの授業は私も学生時代に受けたことがある。当時生意気だった私はいろんな質問を先生に投げかけたけれど、その時の上野さんの印象からはとてもとても教授会で泣くなんて想像できず…

今輝いているように見える先輩女性にもいろんな過去があったのだなぁということが分かり、まだまだかっこ悪くてもどこに向かっているかよくわからなくてもいっか…というような前向きな(?)気持ちになれた。業界が違う女性がたくさん紹介されていたのも新鮮だったな。



「先生ねえ、わたしのやりたいことを指導してくれそうな教授が見つからないんですよ」とこぼしたわたしに、木下センセイはこう言い放ったのだ。「バカモン、世の中に自分のやりたいことを指導してくれるような教師などいると思うな。もしいたとしたら、その研究はすでにやるねうちのないものと思え」爾来、このせりふはわたしの座右の銘となった。

『妹たちへ2 上野千鶴子より


当時はひどくアンバランスな人生を送っていました。何せ仕事一直線ですから、プライベートの楽しみなんて何一つない。(中略)友人も減っていく。だからもし当時の自分に何か言葉をかけるとするなら、友人は大事にしたほうがいいよと言ってやりたい。人はひとりでは、やりたいことの半分もできないですからね。

『妹たちへ2』 夏木マリより