2011年7月31日日曜日

地方へ延びる道


南スーダンの首都ジュバから地方に延びる道路の中で、初めてアスファルト舗装されたもの。
車で通って感動しました。

道路は発展の鍵だということを、ここでは本当に実感しています。

道路がなければ病院に緊急輸送することもできず、
道路がなければ学校にもアクセスできず、
道路がなければ農産物をマーケットに卸すこともできず、
道路がなければ治安維持を迅速に行うこともできず…

道路はすべてのもののはじまりです。

''connected''(つなげられること)が様々な可能性を広げていく…

もちろん、道路ができることによって、都市の文化が農村にも押し寄せ、その結果、その土地固有の文化や習慣が失われてしまうこともありますので、一概にそのプラスの面だけを強調することはできませんが、それでも、妊産婦死亡率が世界で最も高く、女子が小学校を卒業する確率よりも子供を産んで亡くなる確率の方が高いという現実に直面すれば、''connected''の必要性は明らかでしょう。

2011年7月30日土曜日

お金がすべてを解決するか?! (2)

◎農作業を終えて帰路につく女性


以前「お金がすべてを解決するか?!」というブログを書きましたが、それから数カ月がたち、その間にも南スーダンではCash Transfer(現金給付)の議論は進み、南スーダン開発計画(2011-2013)のソーシャルセクターの優先課題にもCash Transferが挙げられ、今後南スーダン全土で壮大な実験が開始される予定です。

この試みの前提となる問題意識としては(以前も少し書きましたが)以下のようなものが挙げられます。

①政府による統治が地方部には行き渡っていないため、政府がCash Transferを行うことを通じて、政府による統治・サービスが末端まで機能するということを示し、政府に対する信頼を構築する。=政府への信頼醸成/紛争の再発予防の必要性

②Cash Transferによって人々の購買力をあげ、選択の自由を増やし、地方経済の活性化を目指す。=経済の活性化の必要性

現金は南スーダン政府が用意して、その技術的なサポートを国連が提供する予定です。


一方で、基本的な社会サービスを提供するシステムが整っていない南スーダンでは、現金を受け取ってもその現金で買えるものが限られている…

そもそも教育も医療もアクセスがなければ現金を持っていても意味がない…ということで、この試みの効果についてはもう少し丁寧に見て行く必要があるのも確かです。


ただ、誤解を恐れずに極端なことを言ってしまえば、多くの石油収入が汚職で消えていくとすれば、その分をCash Transferで現地の人々に分配するのは、ベストではないかもしれませんが、ベターな選択肢の一つではあるのかもしれません。(もちろん、Cash Transfer自体が汚職を生む可能性も十分にありますので、そのシステムづくりには細心の注意が必要なことは言うまでもないですが…)


ある西洋のドナーは、もう少し複合的なアプローチをとって、食糧の安全保障と女子教育とCash Transferを組み合わせてモデルプロジェクトをつくり、南スーダンの東エクアトリアで試してみるそうです。(農業訓練を人々に提供し、彼らが現金収入を得られるようになるような仕組み作りをしながら、女子教育を奨励する。そして、女子が学校の授業に出席していることが確認できた場合には、その家族にCash Transferを定期的に行う…といったイメージ。)

南スーダンと似たような事例(政府の土台がないところに一から国をつくるという事例)がほとんどない中で、「仮説」をたてることは本当に困難です。国土も広いため、「効果」を生むようなことを始めようとすると大規模な投入が必要。ただし失敗した場合は、そのコストも膨大・・・

でもやはり、後からは何とでも言えるもの。未だ未だ先が見えない中で、どう先を見据えてどのような一手を打つか・・・このプロセスの真っ只中に南スーダン政府の人達も開発パートナー達もいます。

南スーダンのある国際機関のトップの方が、「リスクがあるのはわかっている。でもリスクをとらないとここでは何もできない」と熱弁されていました。これだけ大きな組織で、世界中で様々なTry&errorを繰り返している機関のトップでもそうなのだから、多かれ少なかれみんながそのような状況の中でもがいているのでしょう。

2011年7月22日金曜日

普通の暮らし

先月遊びに行った南スーダン人のお宅では、小さい敷地の中に2つの家族14人が住んでいた。
更にはいろんな人がたくさん出入りしていて、その度に紹介されて、誰が誰だかさっぱりわからなくなった。

子供たちはやっぱりTVで放映されるアメリカ映画に夢中。
そして、女性たちはキッチンの周りでお茶を飲みながらおしゃべり。
男性陣は庭で晩酌。

日本も南スーダンも家庭の中の風景はあまり変わらないなぁと実感。

子供たちもみんないい顔してたなぁ。
70代のお母さんも凛としていた。

これが南スーダン人がほしがっているいわゆる「普通の暮らし」というものなのかもなと直感的に思った。

それにしてもモロヘイヤ、ゴマ、オクラの入ったローカルの食事はどれもとても美味しかった。

あと、お土産で持っていったクッキーとジュースを(大人に言われなくても)小学生以下の子供たちがみーんなでちゃんと平等に分け合っているところを見て、なんだか感心してしまった。

招待してくれた人が、「グネ(※5人兄弟の末娘)を日本に送って、育ててもらうから。日本は教育もインフラも整っているからね」とジョイ(※5人兄弟の長女)に冗談で言ったら、ジョイは目をウルウルさせて「だめ!」と訴えていて、なんだかかわいかった。

南スーダンでは双子が生まれた後に誕生した男子の名前はモガ、女子はグネと名づけると決まっているらしく、このおうちの末娘のグネちゃんのすぐ上にももれなく双子がいる。
全部で5人兄弟。

まだまだ家族としては小さいのだとか。
こういうところでは家が農家でなくてもやっぱり「数は力なり」なのかな。

とても素敵な時間を過ごした週末だった。


南スーダンの食事。オクラやモロヘイヤがたっぷり。
双子ちゃん。

2011年7月20日水曜日

独立記念(2)

街中でお祝いのダンスを披露する人たち。
飾りのスカートや羽が素敵。

2011年7月19日火曜日

独立記念

独立をお祝いする看板が街中に溢れているのでちょっと紹介。

新しい国に乾杯!

新しい国、ようこそ!

南スーダン独立記念日(過去の英雄の写真とともに)

おめでとう!(左から:英雄ジョンギャラン、サルバキール大統領、リエック・マチャール副大統領、ワニ国会議長)

我々は一緒に抑圧され、そして今一緒に自由になった。ついにみんなにとって幸せな独立へ!

2011年7月18日月曜日

The night may be too long; but the day will come for sure.

2011年7月9日、アフリカで54番目の国、南スーダン共和国が無事に誕生しました。

独立記念式典に向けたパレードの練習をたまたま見かけたときには、様々なグループを代表する人達(軍人、警察、教会、子供、州など)が、独立記念Tシャツや、民族衣装、制服に身を包み、国旗を誇らしげに振るの様子から、これまでの闘いがうようやく終わりを迎え、新しいチャプターがはじまるということを実感し、なんだか涙が溢れそうになりました。

独立前夜は目抜き通りに南スーダンの人達と車があふれ、みんな国旗をふったり、クラクションならしたり、道端を走ったり踊ったりして、独立の喜びをかみしめていることが伝わってきました。

独立記念式典には出席できませんでしたが、独立の次の日に開催された南スーダンVSケニアの親善試合(サッカー)を見に行ったとき、その場で「独立」に沸く南スーダンの人たちとその喜びを少しだけ共有することができた気がしています。サッカーの結果は、南スーダンのチームが2点もオウンゴールをしてしまったため負けてしまいましたが、現地の人たちが誇らしげに国旗を振って、国家を歌い…こんなに南スーダンの人々が熱狂して、また、開放的な雰囲気だったことは過去にはなかったので(常に何らかのテンションが街中にはありました)、あぁ本当にこれが彼らが望んでいたことなのだなぁと肌で感じました。

独立についてはいろんなことを言う人達がいますが、南スーダンのひとたちがずっと望んでいたことなので、今後どんなに長くて険しい道のりが待っていようとも、「自分たちで選んだ」ということがやはり大事なのではないでしょうか。

また、南スーダン共和国の将来に係る話になると、極端に楽観的な議論と極端に悲観的な議論との両方をよく聞きます。メディアも然り、政府の高官も然り。でも、楽観と悲観の間で踊らされることなく、数十年後の国の発展に少しでも繋がるようなドットを現地の人たちと一緒に打ち込んでいければ…と開発援助に関わる者としては思います。

我々外部者にできることと言えば、「希望」を持ち続けながら、この新しい国と向き合っていくこと。そして、「希望」を持って行動し続ける南スーダンの人達の背中をおし続けること―これにつきるのでしょう。

南スーダン共和国大統領の独立記念式典でのスピーチ。
“The night may be too long, but the day will come for sure”.(夜は長過ぎるかもしれないけれど、明けない夜はない)
この言葉をラジオでライブで聞いて、彼らの50年以上に渡る闘いに思いを馳せました。

そして、いろんな思惑があったにしても、(「敵陣」に丸腰で乗り込むような格好になるにも関わらず…)スーダンのバシール大統領が独立記念式典に参加し、スピーチの中で南スーダンの「分離」へのお祝いの言葉を述べ、今後南北スーダンは平和に共存・共栄していかなければならないというメッセージを発信したことは、とても大きな意味があったと思います。

独立を祝う3日間が終ったあと、お祝いの言葉を伝えにいくつかの省庁を訪問したところ、「独立は達成できたので、あとは一生懸命働くことしか残っていないよ」と政府の高官たちは話していました…いつまでも浮かれてはいられないようですね。


サッカースタジアムで応援する南スーダンの人たち