南スーダンを長年研究されている文化人類学者の方からお話をお伺いする機会がありました。
そのとき、今まで南スーダンに滞在してずっと疑問に思っていたことを聞いてみました。
「現地の人にとって『国(=南スーダン共和国)』とはどのようなものなのでしょうか。」
K先生の研究されている南スーダンのパリ人の使うパリ語には、そもそも『国』という言葉がないとのこと。また、内戦を契機に難民として国境を越えて''外国人''になることによって初めて『国』というものを意識した南スーダン人が多いのではないか(内戦前には''スーダン人''という意識もなかった)というお話でした。
一方、パリ語の中には『政府』という言葉はあり、政府=軍という意味で使われているそうです。
パリ人にとって、国ができるということは(主権を持つ、条約を独自に結べるようになる、大使館を設立する等いろいろあるものの)「アラブがいなくなる」ということとほとんど同義なのではないか―という解説には、大変納得させられました。
その他にも、パリ人の住むパチディ村では住民投票の際約2000人の有権者全員が(南スーダンの)独立に投票したというエピソードや、勤勉が得にならず嫉妬の対象になるというお話、また、内戦が終了した現在でも軍隊による村人のリクルートは続いており、仕事のない村人にとっては「兵隊になる=出稼ぎに行く」という感覚なのだというお話等々は大変興味深く、2年以上南スーダンに滞在する中で私自身が感じていたことに通じることも多く共感の連続でした。
以前読んだK先生の著書『民族紛争を生きる人びと』からは、私にとって長い間疑問だった南スーダンの内戦の在り方(多くの南スーダン人が内戦中に北部スーダン(''敵陣'')に''避難''していたという事実をどう解釈するか)について、新しい視座を与えてもらい、読んだ後霧がパーっと晴れるような気分になりました。この本は南スーダンに関わる人(特に現地で活動する人)にはお薦めの一冊です。
いつか私も南スーダンの農村に滞在して、現地の人々の視点からこの国を眺めてみたいと思う今日このごろです。
左:西エクアトリア州のバラク
2 件のコメント:
いよいよ帰任ですね。
また新しい毎日がはじまる前のひととき、特別な日常の日々が続いていることでしょうね。
よい旅で日本に戻ってください。
しんさん。
2年4か月の滞在後スーダン/南スーダンを去ることについて、いろいろ思いを馳せたいところですが、今はドタバタの毎日で、とりあえず日本に帰る飛行機に無事に乗り込むことが当面の目標です。
ただ、(星野さんの言葉をおかりすれば)私にとってのアラスカは南スーダンだなぁという思いは日に日に強くなっています。
いつかしんさんのレンズで南スーダンの手つかずの自然、きれいな瞳を持つ子供たち、そして、人々の自然とともに生きる姿を切り取ってもらいたいです。
今回は乗り継ぎ条件が悪過ぎてロンドン経由で帰国することができませんでした…
ロンドンか東京でお会いできる日を楽しみにしています!
えり
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