『最底辺の10億人』(ポール・コリアー著)をやっと最後まで読み切りました。
なんだか気が滅入る記述が多いので、これまではなかなかページが進まなかったのですが、南部スーダンの独立を控え、新生「南スーダン共和国」の将来を考える上ではヒントになることが多々書かれていたので、この時期に一気に読んでしまいました。
著者は、10億人の豊かな世界(先進国)と50億人の貧困の世界(発展途上国)という従来の分け方を改め、50億人の繁栄する世界または繁栄しつつある世界に住む人たちと10億人の底辺に閉じ込められたままひしめいている人たちという分け方を採ります。
10億人の底辺の人々のうち、70%はアフリカに住みます。また、全部で58カ国がこのカテゴリーに当てはまります。
では、具体的に底辺の10億人はどのような状態にあるのか―
例えば底辺の10億人の平均寿命は50歳(他の開発途上国では67歳)。
5歳になる前の幼児死亡率は14%(他の開発途上国では4%)。
慢性的な栄養失調の症状を示す子どもは36%(他の開発途上国では20%)・・・・
そして、著者はこれらの国々は、次の1つ以上の罠にはまっていると言います。
①紛争の罠
②天然資源の罠
③(天然資源が豊かでない)内陸国であることの罠
④劣悪なガバナンス(統治)の罠
そして、これらの罠から最底辺の10億人の国々が抜け出すためには、従来通りのアプローチを採っていてはだめで、援助・軍事介入・法と憲章・貿易政策の分野でG8が強力なリーダーシップを発揮することが求められていると著者は結論付けます。
さて、来月頭に誕生する「南スーダン共和国」。
南スーダン共和国では石油がとれますので、このうち、③以外の①②④が当てはまり、南スーダン共和国に住む人々も洩れなく最底辺の10億人にカテゴライズされています。
だいたいこれを聞くだけで不愉快ですし、このように烙印を押すこと自体がその世界の中でよりよい国づくりを目指して格闘し続けている人たちに対して大変失礼だとも思いますが、定量的な研究はあくまでも一つの見方(世界の読み解き方)を提示してくれるだけで、この先の国の行く末を予言できるわけではありません。
そのため、南スーダン共和国の人たちと開発パートナー(ドナー、国際機関及びNGO)は、最底辺の10億人の国々のこれまでの傾向と経験から学べることの中から南スーダン共和国の文脈で有益なものを抽出し、政策に反映させていけばいいだけの話です。
例えば、「失敗国家からの方向転換を達成するためには、国は大量の教育ある人たちに助けられなければならない」(※失敗国家:ガバナンスと経済政策で最低ライン以下にある低所得国のこと。著者の定義によれば、底辺の10億人の国の国民のうち四分の三以上が失敗国家に生きていることになる)と書かれていますが、これについては南部スーダン政府も十分に認識し、政策の一つとして採用し、海外に住む教育水準の高いディアスポラ(内戦中に海外に避難した南部スーダン人)を南部スーダンに呼び込もうとしています。これはもしかしたら、著者の研究等が現実の世界で適用された結果なのかもしれません。
また、南スーダン共和国のように「紛争後」の国であるということはメリットもあると書かれています。
「改革が内戦の後ほど起こりうるという一見奇妙に見える結果があるが、これは決して奇妙なことではない。普通は紛争後の国は恐るべきガバナンスと政策で始まるが、最初の10年間に重要な改善が見られるものである。古い利害関係が刷新されるため、政治はいつになく流動的となり、比較的変化させやすくなるのである」とのこと。ただし、「改革路線の維持が困難」なため、それを維持させるための技術協力(アドバイザーの派遣等の援助)が有効だと著者は説明しています。
また、著者は「内戦中の残虐行為をめぐる相互不信と非難の応酬から、典型的な紛争後の国で、終結後最初の10年間の間に平和を維持できる確率は、五分五分よりも多少良いくらいだ。実際、すべての内戦の半分が、内戦の再発のケースである」と言います。確かに、南北スーダン間の第二次内戦も第一次内戦後約10年経ってから勃発しました。
言いかえれば、これからの10年が新生南スーダン共和国の永続的な平和を構築できるかどうか、そして、これらの罠から抜け出せるかどうかの正念場になるということ。
私たちもそこに寄りそえるような開発パートナーでありたいものです。
◎北部スーダンと南部スーダンとの国境が一時的に閉められた結果、ディーゼルが南部スーダン中で不足。ガソリンスタンドの前で供給を待つ人達。内陸国となる南スーダン共和国の脆弱性が一気に露呈しました(2011年6月)
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