教育セクターの他にもう一つ、農村の生計向上の事業も担当することになりました。南スーダンは野菜、穀物、家具、建設資材などすべてを外国から運んでくるため、輸送料と手数料が含まれる物価は他の国と比べると驚くほど高いです。例えば、学校建設には東南アジアの5倍以上の値段がかかります。このような環境の中で、少しでも地産地消のサイクルを生み出せたら、農村における食糧の安全保障及び農民の収入増加が見込めるということで、南部のジュバの近郊で農業を通じた生計向上事業が2009年から開始されました。
今回はその現場視察として、事業対象地域の一つであるカプリ村を訪問しました。訪問時には、Community Development Officer(コミュニティ開発官:農村の生活の改善全般にアドバイスや技術支援を行う公務員)と呼ばれる人がこの村を案内してくれましたが、このコミュニティ開発官を事業に巻き込むために、実はこれまでに多くの時間が費やされました。20年以上内戦をしていたこの国では、何もしなくても公務員であれば給料がもらえるという状況が長年続きました。そのため、内戦が終わっても働かずに木の下で時間を過ごして、給料をもらい続けている人たちが大勢いるのです。「内戦が終わったので、これからは国家再建のためにがんばろう!」という志高い人もいるのですが、一方で、何もせずにお給料をもらえたのになぜ何かしなければならないんだ、何かしなければならないのであれば追加で給料を払え!という人も大勢います。そこで、木の下に座っているような人たちを動機付けし、事業に巻き込んでいくところからはじめなければならなかったのです。
南部スーダン政府はこのような公務員を数多く抱えるため、公務員の給料の支払いだけで年間の予算のほとんどを使ってしまいます。今後、給料だけをもらい続けて働かない人たちをどう扱っていくかということは、兵士の数を減らすことと同じぐらい南部スーダン政府にとっては大きな課題です。
さて、話は変わりますが、このコミュニティ開発官のような人は、戦後の日本にもいたということを私は初めて知りました。日本では「生活改良普及員(通称:生改さん)」という名前で呼ばれ、日本の戦後の農村開発(食糧安全保障、保健、栄養、衛生、女性を取り巻く環境改善)に大きな役割を果たしたようです。生改さんはほとんどが女性で、日本の農村の女性の話を自転車で聞いて回り、アドバイスやサポートを提供しました。一説によれば、1960-70年代の日本の高度経済成長の果実を農村の隅々まで届けるための土台が生計改善運動によってつくられたということです。現在でもその制度は残っているようですが、今はより農業関連の活動に重点を移しているようです。もちろん、スーダンに日本の例をそのまま当てはめるのはナンセンスですが、スーダンでの活動のヒントはいろいろ得られそうですので日本の経験からまずは私が学ぶ必要がありそうです。
◎カプリ村のおばさんたちと彼らの住む家
◎技術支援をしている農村