2010年8月15日日曜日

ウガンダ北部の復興支援

1980年代から2006年にかけて内戦が続いたウガンダ北部で、うちの組織を含むドナーのサポートが提供されながら復興支援が進められています。


北部ウガンダは南部スーダンと隣接しており、また、民族的にも近いようなので、その復興支援の様子も南部スーダンでの復興支援に通じるところがあります。


毎月、本部から送られてくる『国際開発ジャーナル』という業界紙で「UGANDA通信-北部復興支援の現場から-」という記事が連載されており、隣の国での復興支援の様子を雑誌の記事を通じて学んでいます。


何十年と内戦が続いた後の土地では、行政区域が曖昧だったり急に分割されたり…

現地の人々は治安の安定が確認できた後は安住の地を求めて移住するため、復興支援当初の地域計画が有効でなくなってしまったり…

紛争で影響を受けた地域全体に対するバランスのとれた支援が必要だったり…

長期にわたる紛争の影響で道路・橋といった基本的なインフラが整備されていなかったり…

乾期・雨期という自然環境の影響をプロジェクトがじかに受けたり…

「平和の配当」を現地の人々に実感してもらうためにスピーディーな支援を求められたり…

建設業者はやっぱりインド系が強かったり…


と南部スーダンと状況はかなり似ています。

「違い」といえば、ウガンダはウガンダ北部だけにこのような風景が広がっていて首都カンパラ等には近代的な都市の風景が広がっているものの、南部スーダンでは南部スーダン全体にこのような風景が広がっているといったところでしょうか。


以前、このウガンダ北部の小学校を舞台にした映画『ウォー・ダンス』を見て、この地域出身の子供たちが内戦によって受けた影響のすさまじさ(反政府軍に誘拐されたり、両親を殺されたり、反政府軍から逃げるためにかなり長い間茂みに隠れるという生活を強いられたり…)に声を失ったことがありますが、まさに今その地域の人々も平和の配当を受けるときがきたようです。


今、ウガンダ北部の内戦で反政府軍として闘っていた「神の抵抗軍(LRA)」は、南部スーダン及びコンゴ民主共和国にその拠点を移し、現地住民の生活を脅かしています。

南部スーダンでは毎週のようにLRAによる村々の襲撃のニュースを耳にします。

以前はLRAは南部スーダンの支援を得ていたときもあったようですが、現在は南部スーダンの不安定化を狙った北部スーダンから支援を受けているという情報もあります…


ウガンダ北部はLRAを国内から追い出すことによって、内戦を「解決」しましたが、その隣国の南部スーダンとコンゴ民主共和国ではまだその恐怖におびえる人々がいることからLRAの問題は解決したとは言えず、現地の状況は複雑です。


陸続きで国境が繋がっていると、人・物・金・情報だけでなく、紛争までが国境を行き来してしまう…という島国の日本からだとなんだかピンとこないような話が、この地域には現実の話としてあります。




◎ウガンダにも広がるというナイル川の風景(上)と土壁&藁ぶきの屋根の家屋(下)(どちらも南部スーダンのジュバ近郊で)

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