2010年3月27日土曜日

サステイナビリティ

最近、サステイナビリティ(Sustainability、持続可能性)についてよく考えます。


持続可能な開発、持続可能な社会、持続可能な環境、持続可能なビジネス…

日本にいたときには、途上国開発とビジネスの接点を考える「サステイナビリティ研究会」というものに私も参加していました。


このように、ここ10年以上「サステイナビリティ」は開発や環境を考える上での一つのキーワードになっています。


では、途上国で事業を行う上で、「サステイナビリティ」をどう定義すべきでしょうか。


例えば、事業の期間を2-3年で区切ってしまえば、どう考えて「サステイナビリティ」がないことが明らかな事業であっても、それを1020年のスパンで考えれば、「サステイナビリティ」が生じるかもしれない事業もあります。


最近読んだNGOによる南部スーダンの農村開発の事業(3年間のプロジェクト)の評価レポートには、農業関係の支援内容について、「サステイナビリティがない」ということで手厳しいコメントが書かれていましたが、そもそもこれまで本格的に農業をやったことがない人々に鍬を供与することからはじまって、3年間で「農民」になってもらうというのは、無理のある話なのかもしれません。


でも、先進国のドナー(日本を含む)からの資金で事業を行う際には、だいたいの場合4-5年のスパンで事業形成・事業実施・事業評価を行う必要があり、このことが長期的な視野で「サステイナビリティ」を考えることを難しくしています。

(特に、食糧支援や帰還民支援などの緊急援助の場合、事業のスパンは1-2年であり、長期的視野に立つことはなおさら難しくなります。)


また、途上国での事業は先進国での事業と比べた場合に不確定要素があまりにも多く、この不確定要素が「サステイナビリティ」に大きく影響してきます。


例えば、政府の役割について。


現政権や現在の政府ができていないことは将来もできないと仮定するか、それとも、510年後には今できていないこともできるようになると仮定して事業を形成するかによってアプローチも全く異なってきます。

でも、現場を知れば知るほど、「将来はよくなるだろう」というような希望的観測を持つことが難しくなってしまったり…


ある国際NGOの方から最近いただいたメールには、「(農村開発の場合)コミュニティのエンパワメントなしには事業のサステイナビリティを確保できない」と書かれていましたが、同じように「地方行政のキャパビルないしは事業のサステイナビリティはない」ということが言えて(保健や基礎教育はどうしても政府の役割は欠かせません)、そのどちらかにではなく、きっと両者のバランスのようなところに回答はあるのでしょう。


このような中では、自らが支援する事業のことだけを考えるのではなく、いかにBig Pictureを描いて、その中に自らの事業を位置付けて途上国の支援を行っていくかがとても大事になってきます。


南部スーダンのように、緊急援助と開発援助の両方が入り乱れ、また、NGOや先進国政府、中国やインドなどの新興国政府、国連機関による援助合戦が繰り広げられ、人の出入りも激しいところでこそ、Big Pictureを関係者で共有できているかについて、丁寧に確認する作業が重要だと痛感しています。



◎(上)BRAC(バングラデシュのNGO)のCommunity Girls School、(下)BRACの都市貧困層の女性向けHealth Forum(ジュバの町中で)

コミュニティを中心に添えたBRACの活動。「サステイナビリティ」を考えると、政府との協働が欠かせず、NGOといえども南部スーダン政府と密なコミュニケーションをとっているとのこと。

2010年3月26日金曜日

Box For Two

去年の今頃、NGO Table For TwoTFT)の事務局長をされている小暮さんを呼んで、東京で勉強会をしました。

(勉強会の様子 http://compasspoint.asia/archives/940


TFTの活動は、途上国の飢餓と先進国の飽食を同時に解決しようとする日本初の社会運動です。


TFTと提携している日本の会社の社員食堂でヘルシーメニューを1食分購入すると、その食事代金うちの20円分がアフリカの子供たちの昼食分として寄付されます。

そうすることで、ヘルシーメニューを食べる日本人はメタボリックになるのを予防でき、同時にアフリカの子供たちは学校でお昼ごはんにありつけます。

また、学校給食の導入は子供たちの就学率の向上にもつながることから、お昼ごはんの提供を通して、日本にいながらも途上国の子供たちのエンパワメントを行うことができます。


このユニークな仕組みの導入を日本各地で促しているTFTの事務局長の小暮さん。


ちょうど去年の今頃は、小暮さんの本も発売されたので、その本の内容を紹介していただきつつ、

TFT5年後どうなっていたら面白いか?」

TFTの活動をもっと広げるためにはどうしたらいいか?」

「アフリカ側での活動をより拡大していくためにはどうしたらいいか?」

For Twoというコンセプトをより多くのものに展開していけないか?」

「小暮さんのような人材を日本でもっと輩出していくにはどのようなしかけが必要か?」

ということについて、勉強会でアイデアを出し合いました。


その勉強会では、

Medicine for Two(日本で薬を買うと、その代金の一部が途上国の人々の薬代として支払われる)

Stay for Two(ホテルに一泊泊まるとその代金の一部が途上国の人々の家の屋根代として提供される)

など、面白いアイデアがいくつもでてきたのですが、その中に、


Box for Two(お弁当箱を買うとその代金の一部が途上国の人々の昼食代として支払われる)


というものがありました。


このBox For Twoのアイデアが、その勉強会のメンバーの手によって1年後に実現することに…


Box For Twoの実用化に興味のある若手社会人が集まり、日中は忙しく会社で働きつつも、社会がよくなるために何かをしたい!アイデアを行動に!と動いてきた結果、Box For Two(お弁当箱)が誕生したのです。

若手社会人のパワーってすごいなぁ…


ロフト渋谷店でも販売されるということなので、次の一時帰国の時に実際に商品を手にとるのを今からとても楽しみにしています。


Box For TwoHP

http://www.tablefor2.org/bft/index.html



4種類のお弁当箱

キャッチコピー:「ひとつで一食、世界に届くお弁当箱」

2010年3月14日日曜日

予算

先日、教育省のカウンターパートナーが疲れた顔をしているのでわけを聞いてみると、議会で2010年の予算が承認されたので、財務省に予算執行依頼のレターを書くことに追われているとのこと。


スーダンの会計年度は1月から12月です。

2010年の予算が3月になってやっと議会で承認されました。


2010年の南部スーダンの予算のテーマは“Utilizing our Resources for Peace and Prosperity of the people of Southern Sudan”(南部スーダン人の平和と繁栄のための財源利用)。

そのために、‘Broad-based economic growth’(広い分野にわたる経済成長)、’Budget Discipline’(規律ある予算編成)、‘Delivery of Basic Services’(基礎的社会サービスの提供)に重点を置きます。


2010年に利用可能な財源は、4,503,000,000スーダン・ポンド(約17USD)。

このうち、98%が石油収入です(その他は、所得税、税関収入など)。

南部スーダンは石油がなかったらどうなるのでしょう?

そもそも、石油がなければ「独立」を考えることさえしなかったかもしれません。

去年は、アフリカ開発銀行によって、石油外歳入を増やすための調査が行われましたが、石油への依存度が高いことについての危機感は南部スーダン政府の中でも共有されています。


2010年の財源の約半分は政府が雇う人々の給与に充てられます。

また、財源の4分の1は軍人の給与を含む軍事費に充てられ、4分の1は州に配分されます。


ちなみに、私の担当する教育省の予算は、324,000,000スーダン・ポンド(国家予算の約7%)。2010年は、教育施設のリハビリと大学教育の強化に重点を置きます。


一方、南部スーダン政府によってサインされた未払いの契約は、9,801,000,000スーダン・ポンドに達し、これは2010年に利用可能な財源の2倍以上の額です…

これらの契約をすべて支払っていたら、南部スーダン政府の財政は破たんしてしまうため、個々の契約を吟味するための委員会が設置されました。


南部スーダンらしい予算配分としては、アビエイ(南北スーダンで支配権を争っている地域。石油の産地でもあります。)に南部スーダン人が帰還するための費用として約10億円が計上されている点、また、兵士の武装解除後の社会復帰のための費用として約4.2億円が計上されている点が挙げられます。


2010年のドナーからの支援予定額は719百万USD2010年の南部スーダン政府予算の4割の額に匹敵します)。

ドナー支援の重点分野は保健とインフラ。

719百万USDの内訳としては、5つのプール・ファンドが180百万USD、アメリカが200百万USDと、アメリカの援助の存在感が数字にも表れています。


2009年は石油価格の下落で、南部スーダン政府の財政はかなり深刻な状況に陥りました。2010年の予算も石油価格が安定推移すること前提に組まれていますので、石油価格の行方に南部スーダンの2010年の財政も大きく左右されることになりますね…

2010年3月12日金曜日

女性のちから

南部スーダンのジュバにWSHDOという女性と子供の生活環境改善を目指すNGOがあります。


1970年代にGTZ(ドイツ政府の援助機関)の支援によって設立されたこのローカルのNGOは、スーダンの内戦中も、保健・農業・植林・識字教育・小規模ビジネスの分野で南部スーダンの女性支援を行ってきました。


そして、内戦が終結した現在、植林・小規模ビジネスの分野での活動を続けています。

小規模ビジネス支援としては、パンを焼いて販売したり、シアバター石鹸を卸売したり、フルーツの苗木を育てて売ったりという活動を行っているのですが、それに加えて、生理用ナプキンの生産及び販売を行っています。


スーダンでは、小学校高学年になると女子生徒の就学率ががくっと下がります。その理由はいろいろあるのですが、その一つは生理です。


まだまだ多くの小学生が木の下で授業を受けているような南部スーダンでは、女子生徒が安心して使えるようなトイレがほとんど整備されていません。また、使い捨ての生理用ナプキンは南部スーダンでも販売されていますが、貧しい家の女の子たちの手に届くような商品ではなく、そのため、生理になると彼女たちは学校に行くことができなくなってしまいます。


そのような中で、女性の教育に力を入れている国際NGOWSHDOの女性たちに生理用ナプキン(再利用可能な布製のもの)の生産を委託し、できた製品を買い取って、小学校や中学校の女子学生に配るというようなことを行っています。

WSHDOで実際にナプキンをつくっているところを見せてもらったのですが、布地も肌ざわりがよく、デザインもかわいいもので、女の子の心をつかむことができる商品に仕上がっているなぁと感心しました。


日本では考えられないような理由で、学校に行くことをあきらめてしまう女の子たちがたくさんいる南部スーダン。

WSHDOのナプキンの生産は、生産者である女性の収入向上だけでなく、女の子の就学率向上にもつながり、二重の意味で女性のエンパワメントになっています。


以前、仕事でインドの担当をしていた時に、インド南部のタミルナド州で生理用ナプキンを生産するNGOUNICEFが支援し、事業として大きな成功をおさめたということで、アフリカからも見学者がくるという話を聞いたことがあります。


そういった意味では、WSHDOの活動は他のアフリカの国のモデルになるかもしれません。

ただし、この活動を「ビジネス」として成り立たせるためには(持続可能な事業モデルにするためには)、女の子の家の両親がこの製品を買える位の値段に製品の価格を下げるか、または、南部スーダン政府教育省が女子教育促進の一環として、この製品を買い取って女子生徒に配るシステムをつくるか…とうようなもうひと工夫が求められます。


このNGOの代表を務めていたママ・ルーシーは、今後はレンガづくりとペットボトルの再利用の活動に取り組みたいといいます。

元兵士だった女性たちが手に職を持てるようにするために、また、ジュバの街がペットボトルのゴミで汚れていくのを防ぐために、(NGOの代表を退いた)ママ・ルーシーの挑戦はこれからも続きます。


◎小規模ビジネスの一例:ベーカリー

WSHDOでつくられる布製のナプキン

2010年3月7日日曜日

アフリカン・ドレス

ちょうど一週間前にアフリカン・ドレスを注文したので、それを引き取りに。


屋根しかないところにミシンを持ってきて営業をしていた仕立て屋さんに、生地(約800円で購入)と前払い金(50%分。約800円)を渡して、ドレスの仕立てをお願いしていたのですが、一週間前にお店があった場所には店がなくなっていたため、逃げられたかしら…と思っていたら、「ごめんごめん、店の場所を変えたんだよ」と申し訳なさそうに仕立て屋さんはあらわれてきました。


生地を売るお店の前の通りにミシンを置いて、営業活動をしているところを見ると、ほぼ青空市場に近いような場所でも、自分でお店を抱えるのにはお金がかかるということなのでしょう…


とりあえず、だまされたわけではなかったということに一安心。


頼んでおいたドレスもイメージ通り、かつ、きれいに仕上がっていたので感心しました。

そして、何と言ってもこのアフリカの地で、期日を守って仕立てをしてくれたことに感激。


こういった小さいけれど堅実なビジネスを育てるための支援というとマイクロファイナンスになるのでしょうか。何か仕事のネタはないかな…とマーケットに行くとキョロキョロしてしまう私がいます。


◎仕立ててもらったワンピース

2010年3月6日土曜日

経済改革を通じた国づくり

1965年から6年間、ルワンダの中央銀行の総裁としてルワンダの経済再建に取り組んだ服部正也氏の著書『ルワンダ中央銀行総裁日記』を読みました。


「アフリカなんかへゆくのはやめてよ、たれかほかの人にいってもらってよ」と小声で言う息子さんをあとに、今から40年以上も前のルワンダに服部氏は「中央銀行総裁」として乗り込み、着任早々ルワンダの大統領に「まず私から質問したいのですが、閣下の政策は一体どういうものでしょうか。技術は本来中立性のもので、政策があっての技術ですから。(中略)具体的にいえば、ルワンダ経済の急速な成長を求められるか、それとも成長速度は若干遅くても、国民の恒常的な発展を望まれるかということです」と率直に問いかけます。


それに対して、大統領から「私は国全体が一時的な急速な成長をすることよりも、ルワンダ人大衆とその子孫との生活が徐々であてもよいから改善されてゆくのを望んでいるのだ」との要請を受けた結果、服部氏は通貨改革に留まらず、倉庫株式会社の新設、コーヒー経済の再編成、そして、バス公社の改革を含む幅広い経済改革に取り組むことになります。


また、服部氏は、現実を丁寧に読み解くことによって、旧宗主国を含むヨーロッパの国々から派遣されている技術顧問のいい加減さを露呈させ、一方で、日本銀行での20年に渡る勤務経験に裏打ちされる金融に係る専門性を十二分に発揮しながら、テクノクラートとして自らのマンデートを忠実にこなしていきます。

「アフリカにしがらみがない日本人だからこそ、現地の人々のことを最優先に考えることができる」という言葉は言いふるされた言葉ではありますが、服部氏の背中はそれを如実に物語っているように思えます。


独立直後のルワンダは極度の貧困状態のため物資調達にも苦労し、ひげを剃るために鏡を買いに出かけたら割れて錆びた鏡しか手に入れることができなかったというエピソードを読んだときには、「私が今いる場所の方がずっと生活環境はいいな」と思いました。


来年南部スーダンが独立するとすれば、中央銀行と通貨が南部スーダンでも新設されますが、そうなった場合、40年以上前のルワンダの教訓が現在の南部スーダンに生きてくるかもしれません。



「私は感心した。世界的企業の子会社で、アフリカに十五年も働いている支配人をもつハトン・アンド・ククソンが資金の使い方を誤っているのに、このみすぼらしいルワンダ人商人が正しい使い方を心得ているのである。この会話を契機に私は、ルワンダ人も商業的能力はあるのではないかという眼でルワンダ人と接するようになった。この姿勢をとると今まで気がつかなかった彼らの能力がわかってくるようになった。」

「通貨改革の意味は、ルワンダを苦しめている複雑怪奇な制度を潰して、働けば栄えるという簡単な制度を新たにつくることなのです。」

「途上国の発展を阻む最大の障害は人の問題であるが、その発展の最大の要素もまた人なのである。」

『ルワンダ中央銀行総裁日記』服部正也 より

2010年3月5日金曜日

キャンパス

業務の関係でジュバ大学の視察に行きました。


内戦中は、ジュバ大学はハルツーム(北部スーダン。首都)に移されていた関係で、現在もジュバに大学を戻す作業が続けられています。

例えば、●●学部はハルツーム、△△学部はジュバという状況だったり、または、□□学部の1,2年生はジュバで授業を受けて、3,4年生はハルツームで授業を受けるという状況だったり…

一方、長年ハルツームで暮らしてきたジュバ大学の教授たちの中には、生活の基盤がハルツームにあるので、ジュバに戻ってくることを渋っている人たちもいると聞きます。

このように大学の運営ひとつをとっても、内戦の影響が垣間見られます。


ジュバ大学は総合大学で、医学部から芸術部まで幅広く学部が用意されており、一学年は約800人。大学のキャンパス内には寮もあり、学生が生活をしていました。


内戦中に大学に通うことができなかった人たちのために、ジュバ大学には夜間コースも用意されており、南部スーダン政府の役人たちの中には、夕方から大学に通っている人たちも少なくありません。(そのため、テスト期間には全く仕事場に現れない役人もいたりします…)


内戦中の話ですが、昔は高校を卒業した後、2年間軍か政府に奉仕しなければ、大学に行く資格がもらえなかったという時代もあったそうです。

うちのドライバーは、軍に奉仕するのがいやで、高校卒業後1年で国外に逃亡したと話していました。

女性の場合は、看護婦としてやCivil Servantとして奉仕させられていたようです。


ジュバ大学の視察中に図書館を見学して驚きました。

ジュバにもこんなに本があるとは…

「(ジュバに本屋がない中で)本はどのように調達しているんですか。」と聞いたところ、アメリカやイギリスから輸送してもらっているとのこと。

でも最近は、インドの書籍が安いので、インドからの輸入も多いようです。

こんなところでインドの存在感を感じるとは…

古い本もかなりあったのですが、内戦中には閉鎖されていたジュバ大学で、本だけは大事に保管されていたようです。


家具を調達するのが難しいジュバなので、ジュバ大学にはお抱えエンジニアがいて、ワークショップまでも完備されていました。

でも一方で、食堂はないとか…


内戦が2005年に終了してから6年目。

大学の復興も少しずつ進められています。


◎図書館

◎キャンパスの風景