開発援助の世界において、ドナーは、「単に魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教えるのが我々の仕事です」というような言い方をします。私もその考え方には基本的に賛成なのですが、南部スーダンのようなところで仕事をしていると、本当にそのようなロジックはどのような現場にでも適用できるのか、そして、そもそも適用すべきなのだろうか…と自問自答するときがあります。
先週、うちの組織が支援している農村を見学に行ったのですが、ジュバから1時間ちょっと車で行っただけで、そこでは別世界が待っていました…学校もなく、病院もなく、井戸も壊れていないものは一つしかない…専門家によると、ジュバ近郊の農村の人々はお金も食糧も十分にないため、一日に一度しか食事をとらないとのこと。
それにしても、これまで文字の読み書きも含めた教育の機会を奪われてきた女性たちは、「外部者」である私たちの声に対しては、受け身に反応するのみ。自分たちの中に自らの状況を変えられるような力があることにまだ気づいていないようでした。
子供たちは学校がないため、教育を受ける機会もなく、そのまま大人になってしまい、それらの若者の間での飲酒が農村で大きな問題になっています。
また、部族間の緊張が続いていることから、農村人口もかなり流動的です。部族間の対立が起こりそうなとき、農村の人々は牛を持って自分の村から逃げてしまいます。
このような、Emergencyの状況が続く中で、5年後、10年後を見据えた「開発」援助ができるのか…今お腹がすいている人たちに、「来年作物がとれるから…」と言って農業技術を教えることが本当に可能なのか…現場を見ると、簡単に答えの出ない問いにぶつかります。
我々の提供しようとしているソリューションは本当に有効なのか…
我々のマンデートはどこまでであるべきなのか…
2005年に内戦が終結し、来年には総選挙、再来年にはレファレンダムを控えたこの国は、内戦後5年目に突入しましたが、未だに緊急援助のフェーズを抜けきれておらず、開発援助をマンデートとするうちのような組織にとっては、「緊急援助」の部分をどこまで抱え込むべきなのか…難しい選択を迫られています。
Development is slowly happening… it is a process. If you want to change the attitude of the community, you have to change your own attitude at first.
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