2010年1月10日日曜日

「一隅を照らす」

パキスタン北西辺境州のペシャワールで(そしてその後はアフガニスタンで)1984年から「らい(ハンセン病)」の治療のために現地で活動される中村哲医師の本『アフガニスタンの診療所から』を読みました。

2001911日の同時多発テロ事件が起こるよりもかなり前から、パキスタン及びアフガニスタンの国境地域でらい根絶のために現地の人々と奮闘し、ソ連やアメリカ、そして古くはイギリスといった大国の代理戦争に苦しめられてきた現地の人々とその苦悩までも共有してきた中村医師。

らい患者の足を保護するための「らい用サンダル」をつくるために、現地で売っている既存のサンダルをこつこつとこわしつづけた中村医師。

日本で中村医師の活動を支えるペシャワール会の理念は「無思想・無節操・無駄」の三無主義と答えて人をケムにまく中村医師。

パキスタンのペシャワールからアフガニスタンへと活動を拡大する際に、「報いてこの世にひとつ明るいものを残せるなら、これだ。この人々と事業のためなら自分の命も軽い」と本気で思った中村医師…


パキスタンやアフガニスタンの人々と本気で向き合った一人の人間の後ろ姿を本を通して見た気がしました。

外部から突然やってきて介入し、数年で去っていく援助関係者の活動がどれだけ既存のコミュニティや文化といったものに悪い影響を与えてしまっているか…私たちが真剣に耳を傾けなければならない現地からの声です。


「『アフガニスタン―それは光と影です』というのが、私の好む一見まじめなはぐらかし文句である。現地にいて人情の機微を解する者は苦笑いしてうなずくことだろう。だが、光が強ければ影も強い。強烈な陽光と陰影のコントラストは、現地の気風である。暗さが明るさに転ずるという奇跡を私は信ずるものである。このことを一人のパシュトゥンの女から学んだ。」

「名誉、財産はもちろん、いこじな主義主張を人が持ちはじめると、それを守るためにどこか不自然ないつわりが生まれ、ろくなことはないものである。良心や徳とよばれるものでさえ、『その人の輝きではなく、もっと大きな、人間が共通に属する神聖な輝きである』というある神学者の説はうなずけるものがある。」

「我われは貧しい国へ『協力』にでかけたはずであった。しかし我われはほんとうにゆかただろうか。ほんとうに進んでいるのだろうか。本当に平和だろうか。胸を張って『こうすれば幸せになります』といえるものを持っているだろうか。」

『アフガニスタンの診療所から』中村哲 より

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