スーダンに赴任するときに、大事な家族に「本当にそんなところにまで行ってしなければならないことなのか。日本でもできることなんじゃないか」と言われ、その時にはその問いに完全にロジカルに答えられたわけではなかった。
結果的には、紛争後の国づくりがまさに目の前で行われている現場で、「現地の人たちの真のエンパワーメントにつながることは何か」ということをとことん考え、それを行動に移す機会を得られていることに感謝している。
また、たまたま同じ時期にスーダンに赴任して一緒に働くことになった上司や同僚のヴィジョンとパッションに触発されることも多い。
そして、本当にいろんな出会いがある。南部スーダンの人たち、援助関係者、ビジネスマン…Good willにも出会うしBad willにも出会う。
人々の強いコミットメントを感じて希望のひかりが見える日もあれば、大量生産大量消費の援助を目の当たりにしてげっそりする日もある。
これらすべてを含めて、「いま、ここ」にいるということ。
何かができるようになったわけではないし、何かを得たわけでもない。
でも、我々の持つ可能性と現地の人々の持つ可能性をつなげる仕事をとても面白いと思う。
「仕事」というより「ライフワーク」という言葉がより合っているかな。
きっと私は何らかの形でこの「つなげる」ということに関わり続けていくのだろうな、そういう予感はある。
でもそれは確信というものからは程遠い。
大事な友人と再会した際に、そういうことを考えた。
きっと私はこれからも様々な予感に導かれながら、世界のどこかで何かをしているのだと思う。
そして、もしかしたらこれからも同じ質問を家族から投げかけられ続けるのかもしれない。
久々に会った友人は、相変わらずキラキラがこぼれ落ちそうな感じだった。
一時間にも満たない時間だったけど、彼女のここでのがんばりを聞いて、私の背筋もピンと伸びた。
それぞれの人が「いま、ここ」を抱えながらそれぞれの小宇宙を生きている。
次にいつ会えるかわからない彼女と別れ際にハグしたとき、なんだか泣きそうになった。
会えてよかった。
◎再会の地
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