2009年12月26日土曜日

Sun Air

今日、ジュバからハルツームに移動してきました。

あと2日間働けば、年末年始のお休みです。

初めてスーダンで長い休みを過ごすので、旅行ガイドブックを眺めながら、どこにいこうかな…とあれこれ考えています。(スーダン国内については移動が厳しく制限されていますのでほとんどどこにも行けないのですが…とほほ。)

ハルツームに移動してきた飛行機(@Sun Air)の中での出来事。

隣に座った女性が、シートベルトの付け方を知らないようなので、シートベルトの着用を手助けしたところ、「ありがとう!私は飛行機に乗るのが初めてなの。だからすごく緊張してしまって…」と意外な反応が返ってきました。

よく見ると、まだ少女のような顔つき。

ジュバに住んでいるかどうかを尋ねると、

「ウガンダの高校に行っているのよ。お父さんはジュバに住んでいて、親戚がハルツームにいるにで、生まれて初めてハルツームに行くの。実はジュバに来たのも去年が初めて。それまでは、エチオピアで生まれて、ケニアの小・中学校を卒業して、ウガンダの高校に通っているの。お母さん?生きているか死んでいるかも分からないわ。私が生まれたときはスーダンは戦時中だったから、お母さんは私をエチオピアで産んだけれど、その後スーダンに戻ったかどうかも知らないの。私は教会のシスターに育てられたのよ。17歳のときに初めて父親と出会い、大学生になったらスーダンに戻ることにしたの。父親やその他の家族と出会うまでは、『自分が何者か』ということが分からなくて怖かった…でも、去年父親やその他の家族と出会って、やっとその恐怖から自由になれたわ。」

戦争はこうやって一人の少女の人生も大きく変えてしまうようです。

でも、彼女の素敵な笑顔を見ると、きっといいシスターさんに育てられてきたのだろうなと感じました。

宗教はこのような形でスーダンではSafety Netの役割も果たしています。

彼女に「大学では何を勉強したいの?」と聞くと、「お医者さんになりたいの。」という答えが返ってきました。

このように、海外で学ぶ機会を得たスーダン人たちが、今後スーダンに戻ってきて、様々な形でスーダンの発展に貢献してくれれば…と願うばかりです。(ちなみに、USAIDはそのような人々の帰還を促進するプログラムを実施していたりします。)

ハルツームの空港に飛行機が到着し、彼女が席を立った時、あまりにも背が高いので、私がびっくりしていると、「これがスーダン人というものよ!」と彼女は笑いながら去って行きました。

海外で生まれて育っても、「スーダン人であること」はしっかりと彼女には刻まれているようです。


◎ジュバの建設中の空港(1年前から全く進捗がないようです。来年には完成するのでしょうか…)

◎久々のハルツームの街並み

2009年12月23日水曜日

Money Money Money

今週の月曜日に教育省に行ったとき…

教育省の周りにいつもより警察官が多いな…思いきや、ちょっと前にジュバ大学の学生によるデモがあったとのこと。

学生の要求内容は、クリスマス休暇でHometownに帰るための交通費を支給しろ!というもの。

確かに、南部スーダンでは、大学生には寮(住むところ)と食事は政府が提供することになっていますので、それがベースになると、交通費も政府が当然支給するもの…という考えに行きつくのでしょうか…


一方、南部スーダン政府教育省。

現在2か月分の給料の支払いが遅延しているとのこと。

クリスマス休暇前でいろいろ出費がかさむこの時期に、手ぶらでは帰省できない…と多くの職員が給料の支払いを待っています。


話は変わってうちのスーダン人職員。

2人の職員は家族がウガンダにいるため、スーダンポンドでもらった給料をどうやってUSドルに変えるかということに必死です。

やっぱりスーダンの通貨(スーダンポンド)はなかなか高く買ってもらえないようですし、隣国では両替は難しいようです…

また、うちのドライバーは家族が地方都市にいて、小さな子ども3人が彼の帰りを待っています。

「子供たちへのクリスマスプレゼントは買った?」と聞くと、「たくさんの欲しいものリストが送られてきたよ。新しい靴、服、ケーキ、そしてソーダ…」と嬉しそうに話し、12月分のお給料を大事そうに持って帰っていきました。


南部スーダンにはキリスト教徒が多いため、クリスマスは一大イベントのようです。

長い内戦が終わった今、それぞれの人たちが心温まるクリスマスを過ごせますように…


◎ジュバのナイル川沿いのレストランにあるクリスマスツリー

2009年12月19日土曜日

面接

この週末にドライバーの面接をしました。

今までは誰かに面接される側だったのですが、誰かを面接して評価をするということは初めての経験だったので新鮮でした。

質問事項はいたってシンプル。

-これまでのバックグラウンド

-なぜこの組織で働きたいのか

-働く条件(給与等も含めて)

必ずしも雄弁であることは必要ないこと、必ずしも経験豊富であることは+に働くわけではないということ、やっぱりFirst Impressionは大事だということ…等々いろいろ勉強になりました。

大体の場合は面接を受けに来ている人たちは同じようなレベルだったりするわけで…

最後は「面接官との相性」や「採用のタイミング」といったような事前の準備やその人の能力とは関係ないところで決まったりするものなんですね。

そう考えると、私が今の組織で働いているのも、そういったいくつもの偶然が重なった結果であるわけで、このご縁を大事にしなければ…と面接をする側になったからこその気づきがありました。

◎事務所の庭の車両

2009年12月16日水曜日

1/4

この家族に生まれたということ。この国に生まれたということ。この時代に生まれたということ…

これらの偶然に感謝。


女性であること。アジアの出身であること。まだ若いということ…

ここではまだまだマイノリティ。


積み重なった過去。現在進行形の今。繋がっていく未来…

逃れられない連鎖の中にいる私たち。やっぱり歴史は重い。


どのような状況にも屈せずに、自分を磨いて他者のために働いて、そして愛とユーモア忘れずに生きる人たち…

今スーダンの国づくりを支えている人たちの共通点。


初めての海外生活で、大事な人たちから遠く離れて、文字通り一から国づくりをしている人たちと一緒に働く中で、こういったことを断片的に考える今日この頃。


スーダンに来てちょうど半年。2年の任期だとしたら、もう1/4が終了。


さて、これからの3/4はどんなことが待っているのかな。



「僕のした単純作業が

この世界をまわりまわって

まだ出会ったこともない人の

笑い声をつくっていく」

『彩り』Mr.Childrenより

人生に意味を与えてくれる道は

人を愛すること、

自分の周囲の社会のために尽くすこと、

自分に意味と目的を与えてくれるものを創り出すこと」

『モリー先生との火曜日』ミッチ・アルボムより

2009年12月13日日曜日

アフリカに光を

「アフリカに光を(邦題:Lighting Africa)」は、2030年までに、アフリカの電力インフラが整備されていない25千万人の照明のニーズに応えて、高価で有害な燃料への依存を解消しようという世銀主導のイニシアチブです。サブサハラアフリカでは、個人の収入の10-30%が高価で有害な燃料を使用する照明に費やされていると言われています。そのため、安価で安全な照明をマーケットを通じて個人に届けることをサポートするために、このイニシアチブが立ちあげられました。

先月頭にこのイニシアチブを担当する世銀のミッションが南部スーダンに来て調査を実施しました。

南部スーダンはほとんどの電力がジェネレーター(発電機)によって供給されています。そのため、ジェネレーターやその燃料を購入することができない人々は、基本的には電力へのアクセスがありません。ちなみに、省庁の人々や運転士が朝職場に来て真っ先にやることと言えば…携帯の充電です。

南部スーダンのジュバ及び地方都市を調査した世銀のミッションの人々は「南部スーダンほど、オフグリッド(※電力網に連結されない独立型電源)の電力システムを普及できる可能性がある国はないと思います。なぜなら、全くと言っていいほど、電力供給システムが確立されていないからです。ほとんどの組織や店、ホテルがジェネレーターに依存する中で、オフグリッドのソーラーシステムが電力市場に入っていける余地は大きいでしょう」と話していました。

電力が供給されることによって、夜間にもちょっとした商売をできたり、家の中で子どもが勉強をできたり、携帯を持つことができたり…と人々の生活の幅が広がります。

このイニシアチブの恩恵が南部スーダンにまで届くようにするためにはどうすればいいか…世銀とのブレストは今も続いています。

◎オフグリッドの照明のもとで勉強する子どもたち(Lighting AfricaのHPより)

2009年12月12日土曜日

クリスマスと学校給食

南部スーダンは日ごとに暑くなっていますが、日本はすっかりクリスマスモードなのではないでしょうか。

そのクリスマスにひっかけて、日本では途上国の子どもたちに学校給食を届けるための仕組みづくりがされています。

Table For Two (TFT)

Table For Twoを日本語に訳すと「二人のための食卓」といった感じでしょうか。

TFTは日本のメタボ(肥満)と途上国の食糧不足(Hunger)を同時に解決するための仕組みを日本のレストランやコンビニに提供するNGOです。

こんな言い方をすると、どんなに複雑な仕組みがあるのだろう…と思われるかもしれませんが、TFTに加盟しているレストランでヘルシーな食事をとると、一食分の給食が途上国の子供たちに提供されるという至ってシンプルな仕組みです。

これによって、日本人はヘルシーな食事でメタボを予防でき、一方で、途上国の子どもたちは温かい食事一食分を得ることができます。そのため、日本と途上国の両者にとってこれはWin-Winな仕組みです。

おまけに、TFTの活動は、「ボランティアするぞ」と気合を入れなくても、お昼に食堂に行って、「あー今日はヘルシーな食事をとって、おまけにちょっといいことしようかな」という簡単な気持ちで途上国の子どもたちを助ける活動に参加することができるという「手軽さ」があります。

すでにたくさんの日本の企業がTFTに加盟し、社員食堂にこの仕組みを取り入れています。この活動の輪が日本中にもっともっと広がっていけば、もっともっと多くの途上国の子どもたちに温かい給食を届けることができる…考えただけでワクワクしますよね。

このTFTが今週六本木のオシャレな場所でクリスマスパーティーを開催し、約130人が集まって、約1万人分の学校給食を提供できるだけの資金を集めることができたということを聞きました。

六本木と途上国の子どもたち…イメージとしてはなかなか結びつきませんが、普段「途上国」にあまり関心のない人たちもこういうイベントを通じて途上国の現状に関心を持つことにつながると素敵ですよね。


Love Cake Project

クリスマス用のホールケーキ。このうち、1ピース分を途上国の子供たちのために…

こんなユニークなプロジェクトが日本で開始されました。

このプロジェクトに加盟している7つの店舗でホールケーキを買うと、1ピース分がはじめから欠けています。そして、その1ピース分の金額がWorld Vision Japanを通じて、途上国の子供たちに学校給食等の形で届けられるのです。

なんて素敵なアイデアでしょう…クリスマスの喜びを家族や恋人とだけではなく、途上国の子どもたちとも分かち合う…これこそChristmas Spiritですよね。

今年のクリスマスはこのケーキでパーティーをしてみてはいかがですか?!


先日ジュバで顔を出した教育関係のワークショップで、ある学校の先生と話していたときのこと。

「私の学校では、午後の空き時間にストリートチルドレンを集めて授業をしていました。先生はもちろんボランティアです。でも、その子どもたちに提供する学校給食がなくなった今、授業ができないでいます。子供たちはお腹がすいていると教室で席に座っていることができないのです。せめて学校給食さえ提供できれば、また授業を再開することができるのですが…」と残念そうに話していました。

きっと、このように学校給食が届くことを待っている人たちはアフリカ中にいます。

なので、日本にいながらもぜひ、TFTLove Cake Projectを通じて、途上国の子どもたちに思いを馳せてみてください!!


Love Cake Projectのケーキ

◎南部スーダンの小学校で学校給食を食べる女の子たち

2009年12月8日火曜日

エジプトとスーダン

2年前にたまたま同じ組織の同じ部署で働いていた方とスーダンで再会しました。人の縁とは不思議なものです。

その方はエジプトを拠点に活躍されている方なのですが、エジプトというフィルターから見たスーダン像を知る貴重な機会でした。やっぱり立ち位置によって物事の見え方、捉え方というのは大きく異なるものです。

南部スーダンにいると、南部スーダンの独立は避けられない…という雰囲気なのですが、北部スーダンではそのような雰囲気は全くなく、来年の選挙についても無関心な雰囲気が大半のようです。一方、エジプトからしてみれば、2011年のリファレンダムでいっぺんに何かが決まってしまうことはないだろう…と達観しているような雰囲気です。

エジプトとスーダンの間の歴史がエジプトにそうさせているのでしょうか。

エジプトにとっては、不安定なスーダンは「お荷物」のような存在であると同時に、ナイル川の上流に位置するため「生命線」でもありますので、今後のエジプトの動向が気になるところです。

今日は以下のような面白い話題が出てきました。

イスラム世界における民主化の問題/ 過去のイギリスのスーダンの統治政策 /スーダンにおける中国の進出/ 南部スーダンが独立した場合のシナリオ…

どのテーマを選んでも面白い論文が書けそうですね。スーダンはケーススタディの宝庫です。

◎ハルツームのモスク

◎ナイル川@ハルツーム

2009年12月5日土曜日

赤ひげ

マラウィで青年海外協力隊として小児科で医療活動を行った後に、ラオスでポリオ撲滅のためのプログラムに関わった医師黒岩先生が書かれた本を読みました。

1日に100人近い子供たちが死んでいくマラウィの病院で医療活動を行いながら感じたこと・考えたことが綴られており、南部スーダンの医療現場もこのようなところなのだろうか…と思いを巡らせました。(ちなみに、最近UNICEFより、スーダン(人口は約4,000万人)では毎年予防可能な病気で死ぬ子供は30万人、また、毎年出産で死亡する女性は26千人という統計が発表されました)。

マラウィでは患者と一対一で向き合いながら医療活動を行った黒岩先生でしたが、ラオスでは「ポリオ撲滅」のために調査や予防・啓発活動に携わっていくにつれて、ご自身が政治化されていくのに気づきます。そして、国際協力という美名に隠れて、金儲けに奔走する企業、国益を追求する先進国、富を独占する途上国の権力者層の存在を知ることになります…一方で、何百人の子供の死に立ち会いながらも一人一人の子供の命の尊さを忘れない看護婦さん、中国の農村を地道に渡り歩くことによってポリオに係る統計のトリックを見抜いた医師、貧しい民族出身の子供を自腹で救おうとする看護婦さんとの出会いもあります…国際協力の光と影が実に正直に書かれていました。

「ラオスで会ったオーストラリア人の環境専門家はいった。『私は環境アセスメントの光と影をあなたにささやいた。あなたも私に素朴な疑問を質問した者として、心に浮かぶ疑問について声を出す義務がありますよ。』」

この言葉がきっかけで、黒岩先生はこの本を書き、心に浮かぶ疑問について黒岩先生なりの形で声を出されました。

「援助慣れ」しているのは何も途上国の人々だけではないですよね。自戒の念を込めて…


「確かに僕は子どもの死に麻痺するようになっていた。しかし人の心というものはわからないものだ。知り尽くしたと思っている自分の心が、時には予想もしない反応を起こすことがある。」

「深井(幸四郎)は目を閉じてしばらく考える風であったが、やがて目を開けて僕を直視した。『一人の力は大きいよ。シュバイツアーがそうじゃないですか。彼一人の行動が世界の人々を動かしたんだよ。黒岩先生の一人の活動が大きいんですよ。そんな人がいる、ということが大きな影響力を持ってるんですよ。忘れちゃいけない、一人の力というのは大きいんだよ』」

『小児科医、海を渡る』黒岩宙司より

2009年11月27日金曜日

Security Training

今週は3日間ケニアでSecurity Trainingを受けてきました。

基本的には、うちの組織のアフリカ地域駐在員(管理職)及びSecurity Advisor向けの研修だったのですが、ジュバという特殊な場所にいることもあって、私も参加させてもらいました。

最も驚いたことは、フランス語を話す参加者が半分程度いたことです。あぁ、アフリカって本当にフランス語なんだなぁ…と実感しました。

20人の参加者の管轄下にある日本人は1200人以上。つまり、1200人以上の日本人の安全をこれらの参加者が担っていることになります。

ブルキナファソ、ザンビア、セネガル、ブルンジ…聞いたことはあるけれど、場所をはっきりとイメージすることができない国々からの駐在員が参加していたため、いつもは接点のないアフリカの他の国々を身近に感じることのできるいい機会になりました。

研修の内容は、ケーススタディを用いながら、脅威を特定し、その脅威を「インパクト」と「起こりうる確率」という二つの物差しで測り、マトリックスにはめ込んでいく作業を行ったり、緊急事態の際にどのような備えが必要かということをシミュレーションしたり、緊急時のメディア対応を学習したり…ケーススタディがスーダンの事例を多く扱っていたこともあり、大変勉強になりました。

また、研修の合間にケニアの病院に行って様々な検査を受けてみたところ…おなかをこわしがちだった理由がやっとわかりました。薬を二日間飲めば完治するようなものだったのですが、これが原因で食欲がなかったり、お腹をこわしたり、太らなかったりしたようです。お医者さんに、「どうしたら再度この病気にかかることを防げますか?」と聞いたところ、「Go back to Japan!」と一言。うーん、日本に帰らないからこそ聞いているのに…

ついでに、髄膜炎と腸チフスの予防接種も受けてきました。これでスーダンに来ることが決まってから打った予防接種の数は11本。あと4本打たなくては…

今回ケニアの病院に行って、スーダンからの研修生がケニアで病院に行きたがる理由がわかった気がしました。誰だってよりよい医療サービスを受けられるチャンスがあれば行きたいですよね…私もその例に漏れず…

今回のケニアの研修は、Security Training受講し、健康チェックを受けて、そして、フランス語を学ぶぞ!という意欲をたっぷりもらったため、一粒で三度美味しかったです。

ジュバ大学に夜間にフランス語を教えるコースがあると聞いたので、来年からそこに通ってみようかな…


◎病院で受け取った薬

2009年11月22日日曜日

平和構築とは?!

 職場の同僚が『平和構築-アフガン、東ティモールの現場から』(東大作著)という本をジュバまで送ってくれたので、一気に読みました。

 大学院の頃から将来は紛争後の国家の国づくり、つまり、平和構築に携わりたいと思い、大学院では、カンボジアのクメールルージュ後の正義と和解の問題についてペーパーを書きました。

 その後、日本が平和構築で大きな役割を果たせるのは、軍事面でもなければ、政治面でもなく、開発面だろうと考え、日本の開発援助機関に就職し、今スーダンにいるわけですが、その中で「平和構築」という言葉を定義するのはなかなか難しいと感じていました。なぜなら、平和構築とは多くのこと(例えば、法整備、インフラ整備、武装解除、和解の促進、選挙支援、警察や軍の整備、社会資本の整備等々)を同時並行的に進める作業であることから、一言では説明しにくいのです。

 しかし、この本は、国連の「平和構築(Peacebuilding)」の定義を引用し、平和構築とは「紛争後の地域において、国家の再建を通じ、紛争の再発を防ぎ、平和を定着化させる活動」と明確に定義し、この活動が日本においてはまだ広く認識されていないと考える著者は、アフガニスタンと東ティモールの事例を紹介しながら、これまで平和構築という名の下で行われてきたこと、そして、これから平和構築において日本の果たすべき役割を記しています。

 冷戦後、日本は、カンボジア、コソボ、東ティモール、パレスチナ、スーダン、アフガニスタン、イラク等において、平和構築に関わってきました。また、世界中(スーダンも含む)に展開している国連PKOの予算の15-20%を日本が財政負担してきました。このような中で、今後日本がどのような形で平和構築に携わればいいかということを、著者はアフガニスタンや東ティモールでの聞き取り調査に基づき、次のように結論づけています。

「基本的には、次のような二段構えの方法を取ることが効果的ではないだろうか。

(一) 平和構築の初期の段階では、外部アクターが中心になってでも人道支援など緊急援助に加え、①水道、②電気、③医療、④道路、といった比較的短期間で改善可能で、住民のニーズが高いものについて大規模な援助を実施し、「平和の配当」を人々が直接感じることができるようにする。

(二) それと平行して、なるべく早く現地政府や現地住民の主体的な参加や決定によって実施できるプログラムを立ち上げ、より長期的な開発に向けた事業ができるよう、移行していく。」

「しかし、考慮しなければいけないのは、紛争地域においては、現地政府の機能が崩壊していることが多く、ある程度、外部アクター(国連や支援国など)が主導的な役割を果たさなければ、援助の実施が難しい場合が多いことである。」


 まさに、南部スーダンで(我々を含む)様々な援助機関が実施しようと試みてはいるものの、苦戦していることそのものだなぁ…と感じました。

 できるだけ多くの方がこの本を手にとることで、平和構築への理解が進むといいなと思っています。

2009年11月12日木曜日

選挙登録

 この11月はスーダンでは選挙登録月間です。

 来年の総選挙を控え、18歳以上の選挙権を持つスーダン人は生まれ故郷か現住所かのどちらかで11月中に選挙人登録をする必要があります。

 しかし、当初スーダン政府や国連機関が想定していたよりも、選挙人登録はスムーズに進んでいないようで、その状況を危惧したのか、南部スーダン大統領であるサルバキール氏は突然今週水曜日から一週間をPublic Holidayにしますと宣言し、その間に南部スーダン人は故郷に戻って選挙人登録をするように…とメディアを通じて発表しました。

 ただえさえ、年末に向けて様々な予定と業務が立て込んでいるこの時期に、「一週間も休みになるのか…」と驚いたのですが、この選挙人登録が2年後のレファレンダム(南部スーダンの独立を問う住民投票)の定足数のベースとなることから、南部スーダン政府は選挙人の登録数を増やすことに必死なんででしょうね、と事務所のスタッフとも話していました。

 すると、その2日後に、Public Holidayを一週間設定するというStatementは間違いでした、という発表が南部スーダン政府から出され、木曜からは通常通りの業務が突如再開されたのです…

 大統領のStatementが間違ってましたって…

 一週間は休暇だと想定して故郷に帰ってしまっているようなローカルスタッフもいる中で、このPublic Holidayの扱いをどうするかということが援助関係者の間で話題になっています。

2009年11月8日日曜日

The Blue Sweater


高校生のときにアメリカのバージニアで捨てた青いセーターが、様々な人の手に渡って、9年後にルワンダの首都キガリの少年に着用されているのを偶然発見したとしたら…

この奇跡のような出来事に遭遇したとき、青いセーターの持ち主ジャックリンさんは、「先進国も途上国もすべて繋がっている(we are all connected)」と強く感じたと言います。

彼女の原点とも言えるような青いセーターの話で始まるこの本は、途上国で貧困解決に資するビジネスを展開する企業・NGOに資金面、技術面、マネージメント面でのサポートを提供するAcumen FundというNGOを彼女が設立し、そのNGOが成功するまでのストーリーが綴られています。

ジャックリンさんは、大手外資銀行を退職し、UNICEFのコンサルタントとしてルワンダに乗り込み、ルワンダのマイクロファイナンス機関の設立やパン屋の経営改善に取り組むことを通じて、与えるだけの援助やgood willだけに頼る援助には限界があると感じる一方で、ビジネスを通じた貧困削減の可能性に目をつけます。彼女は「将来、経験を積んでアフリカに戻ってきて、新しい雇用を生み出す工場や大規模なビジネスを始めたい」と決心して、アメリカのビジネススクールに戻り、その後、財団で経験を積み、2001年にAcumen Fundを設立します。

彼女は、Acumen Fundに投資してくれる人や団体に、「この投資からはお金を稼ぐことはできませんが、この投資によって世界を変えることができます。(You do not get any money back from your investment. You get change.)」と宣伝し、Fund設立当初に8億円もの資金を調達します。これだけでも、彼女の人脈、ビジネスプラン、そして、思いのすごさが伝わってきますよね。

Acumen Fundは、リーダーシップ、持続性、そして、社会に与えるインパクト(leadership, sustainability and scale)というクライテリアで投資先(企業・NGO)を選び、インド、パキスタン、アフリカで次々と投資先を見つけ、支援をしてきました。

我々援助機関も同じようなクライテリアで支援先を選定してはいるものの、途上国政府との関係を第一に考える点や、利益を生まない社会資本を提供するという違い、そして、新しいことにはなかなかチャレンジできない(リスクをとれない)等々の制約があることから、Acumen Fundのように支援先を厳選できないのが現状です。一方で、このようなFundとうまく補完関係を築くことができれば、我々援助機関の支援の可能性もよりバラエティが増えるかもしれないなと感じています。

ジャックリンさんは、マイクロファイナンスを通じて、女性たちがエンパワーされていく様子を目の当たりにします。

「(女性たちは)収入を得ることによって、自分たちで決断することができるようになります。お金は自由、自信、そして、選択肢を生み出します。選択できるということは、人間としての尊厳を得るということです。そして、女性たちは連帯することによってより強くなれるのです。For the first time, their incomes allowed them to decide when to say yes and when to say no. Money is freedom and confidence and choice. And choice is dignity. The solidarity of the bakery also gave them a sense of belonging that made them even stronger.)」

社会の末端にいる女性たちへ確実な変化を生み出すために、利益を追求するのではなく変化を生み出すための資本を世界中から集め、ビジョンとノウハウを持つ途上国の企業やNGOをサポートする…このような新しいタイプのFundが今確実に途上国の社会を変えていっています。


「これまでの全ての出会いが今の私をつくりあげています。素晴らしい出会いもそうでない出会いもすべて含めて私の一部なのです(One of my favorite lines from Tennyson’s ‘Ulysses’ is ‘‘I am a part of all that I have met.’’ And they – every one of them, good and bad – are a part of me.)」

The Blue Sweater Jacqueline Novogratzより

2009年11月7日土曜日

南部スーダン人の結婚観

ジュバ大学の教官(男性)と南部スーダン政府の教育省の役人(男性)と3人で食事をしていたときのこと。

以前から疑問に思っていたことを聞いてみました。

私:「南部スーダンでは男性は何人でも奥さんを持ってもいいと聞いたのだけれど今でもそうなの?」

相手1:「もちろん。」

私:「じゃあ将来は次の奥さんをもらうの?」

相手1:「今すぐのではないけれど、将来的にはもらいたいと思っている。」

相手2:「二番目の奥さんをもらうなんて考えるべきではないよ。まずは、今の奥さんとの間に男の子をもうけることを一番優先的に考えるべきだ。女の子の子供だけでは将来家族の面倒をみる人がいないだろう。」

私:「男性がたくさんの奥さんをもらえるのであれば、女性もたくさんの旦那さんをもらってもいいのかな?」

相手1:「なんてことを言うんだ。そんなことは口にしない方がいい。」

相手2:「日本では一人の女性がたくさんの旦那さんを持つことがあるのか。」

私:「ないけれど…でも、男性がたくさんの奥さんを持てるのであれば、女性もたくさんの旦那さんを持ってもいいんじゃないかな。それが平等ってことじゃない?」

相手1:「でも、男性の場合はたくさんの奥さんを持っても自分の子供を判別することができるけれど、女性の場合はたくさんの旦那さんを持ったらどれがどの男性の子供かわからなくなるだろう。だから女性の場合は許されない。」

私:「そっか…あと、旦那さんが亡くなった女性は、その旦那さんの兄弟と一緒にならなければならいのはなぜ?」

相手1:「だって、旦那さんが亡くなったからもう家族ではありませんということはできないだろう…一度結婚したらその女性は男性の家族の一員になるのだから、旦那さんが亡くなったからって家族の縁が切れるわけではない。旦那さんが亡くなったとしても旦那の兄弟と一緒になる(兄弟の奥さんになる)ことで家族の一員であり続けることができるんだよ。」

相手2:「もちろん、たくさんの兄弟がいたら、その中から好きな男性を選ぶことができるし、奥さんになる前にHIV検査を男性の側に受けてもらうこともできるんだよ。」

私:「へぇ…プラクティカルだね…」

日本と南部スーダンの結婚観がかなり異なるため、なんだか面喰ってしまった私がいました。ちなみに、割り勘という考え方も理解できないとのこと。「なんで女性にお金を払ってもらわなければならないんだ?!」と考えるようです。私が、「Financially independentな女性だとしても?」と聞いたところ、「そんなことは問題ではない。お金を持っている女性はそれは自分の家族のために使えばいい」と言われました。

でもきっと、私と同じぐらい相手も私の考え方に驚いたんだろうな…

◎南部スーダンの女性たち