2010年11月22日月曜日

100人のジャーナリスト養成

国連は南部スーダンでMiraya FMというラジオ局を運営しており、南部スーダンでは最も人気の高いラジオ局の一つ


南部スーダンの70%の地域をカバーしていることから、テレビや新聞にアクセスがない地方の人々の情報源として重宝されている。


このラジオ局は、国連の指揮命令下にあり、「平和」を促進するために包括的和平合意(CPA)に係る啓発を行ったり、ニュースを流したり、若者や女性をターゲットにした特別番組を制作したり…


10人のInternational Staff(インド人等)と100人のNational Staff(南部スーダン人)で運営し、この100人の南部スーダン人については、南部スーダンの事情を鑑みて、基礎教育課程を終了し、時事に関心があり、英語や現地の言葉ができるやる気のある若者であれば、ジャーナリズムのバックグラウンドがなくても雇用し、On the Job Trainingを通じて能力強化を図っているようだ。


将来的に国連が撤退しても、現地で自由で公正な報道を担うジャーナリストとして独り立ちできるよう、様々なトレーニングの機会が彼らには与えられている。


時々南部スーダン政府から、放送内容に係る照会があることもあるようだが、そのような場合には事実関係を確認するということで対応し、国連としての中立性を保っているとのこと。


南部スーダンの人々もこのラジオ局でいきいきと働いているところを見ると、いい試みだなと思う。


ジャーナリストの卵たちが今後どのように育って行くか、楽しみである。

2010年11月20日土曜日

国境の町

今日は日帰りで二ムレというウガンダとの国境の町に出張。


行きは陸路で3.5時間。帰りは空路で30分。


ジュバから二ムレまでUSAID(アメリカの援助機関)が道路整備を行っていることから、(未だコンクリートの舗装はされていないものの)道路の状態もよく、途中地雷除去のために15分程度足止めをくらったものの、それ以外はかなりスムーズに国境までたどり着くことができた。


国境の税関施設を見学したが、それがなかなか立派で、同行していたケニア人は「ケニアのどの税関施設よりも素晴らしい」と話していた。もちろんオペレーションについては多くの改善点が見つかったのだが…


生きた牛、果物、飲み物などほとんどのものが陸路でウガンダからジュバまで運ばれていく。

そしてそのトラックの多くはこの二ムレを経由する。


ケニアからであれば、本当はナダパルというケニアと南部スーダンの国境の町を通るのが最短距離らしいが、ナダパルについては今は未だ道路と治安状況が悪いことから、ほとんどのケニアのもの(モンバサ港で陸揚げされたものも含む)はウガンダを経由してジュバまで運ばれるのだと言う。


来年南部スーダンが独立した場合には、これらの国境の町の税関の能力強化が治安維持という側面からも、また、石油以外の税収確保という側面からも重要になってくる。


近隣諸国の優等生のケニアと協力して何ができるか…検討中。



◎ウガンダと南部スーダンの国境付近を流れる白ナイル。途中に滝があることから、ウガンダから南部スーダンへは水路で貨物輸送をすることはできない。

◎二ムレ税関にて。日本の中古車トラックがここでも大活躍。

2010年11月19日金曜日

Once in a life?!

東京からの調査団と一緒に、東エクアトリア州の州都トリットに出張したときのこと。


住民投票のための登録を促すためのキャンペーンに知事を含む政治家が駆り出されている中、その合間を縫って面談を行った副知事によると…


村にキャンペーンに行っても、住民投票の趣旨を人々にわかってもらうのに苦労する。「選挙はもう4月にやったじゃないか。なんで1年に2度も選挙をしなければならないんだ。俺はお前を選んだんだからもうそれでいいじゃないか…」と言われる。「今回は誰かを選ぶための選挙ではなく、人生に一度しかない、独立するかどうかを選択するための選挙なんだ。そして、その投票を行うためには『登録すること』が必要なんだ」と説明しても、村人たちにはピンとこない様子…


なんだとか。これが地方の一般市民の感覚なのかと興味深く聞かせてもらった。


キャンペーンを行う政治家にとっては長い道のりに違いない。



◎登録を促すポスター

2010年11月15日月曜日

Your Vote, Your Voice

住民投票の登録作業がようやく開始された。


当初は数カ月前に開始される予定だったものの、登録用紙の準備の遅れ、登録所の設置の遅れ(※南部スーダン全土に2,600箇所以上の登録所を設置)、そして、登録作業員の研修の遅れ等により、登録作業の開始が11月半ばまで押してしまうことに。


淡々と登録作業は行われているようで、特に熱狂もない様子。

街中には登録を促すアラビア語及び英語のポスターが並び、登録所も様々なところで見かける。

でもこれはジュバだからで、他の地方に行くと「そもそも住民投票って何?」というところから始まるのだろう。


121日までが登録期間。


南部スーダンだけでなく、北部スーダンや海外(※例えば、難民として移住してきた南部スーダン人の数が多い、米国、オーストラリア、ウガンダ等)にも登録所は設けられている。


南部スーダンの人口は約800万人と言われているが、登録者数はどれぐらいになるか。


日本を含む国際社会は、登録作業のモニタリングのための調査団を南部スーダンに送る予定。



◎登録キャンペーンの横断幕

◎登録センター

2010年11月13日土曜日

蜘蛛の巣くぐって…

南部スーダンのジュバ近郊で実施中の生計向上のプロジェクトの中間評価で、事業対象地域をいくつか視察。


今年は雨が多かったおかげでたくさんの収穫があったよう…

来年のために今年の収穫物を様々な方法で保存する農民たち。


村の中は、あちらこちらに農民の知恵がいっぱい。


林の中をくぐりぬけていくと、キャッサバ畑にたどり着いたり(なんでこんなところに畑をつくるのかと思いきや、ヤギ対策なんだとか)。

ドラム缶を貯蔵庫として活用していたり。

ナツメヤシでお酒をつくって貯蔵していたり。

風を利用して豆の中から不純物を取り除いたり。

即席で鶏が卵を産む場所をつくっていたり。


どれだけいても飽きない…


ある村では、雨期で陸路が使えないので畑に案内してもらうのに船に乗った。

小さい木の船だったのでひっくり返らないようただ祈るばかり…

調査を通じて、メイズ、ソルガム、ゴマ、キャッサバ(改良種含む)、オクラ、ハイビスカスなどいろいろ見分けられるようになった。


水をしばらくやらなくてもぐんぐん育つキャッサバは、乾燥地帯のアフリカだけでなく、出張の多いうちの職員のホームガーデンにもお薦めだと専門家に言われた。

東京の都会のベランダでも育つかな。

帰国したら試してみたいことのひとつ。



◎村を訪問するときの道路

2010年11月2日火曜日

Sweet Home

使命を持つ人は余分なものがないな…彼女に会ったとき改めてそう感じた。

職業訓練のプロジェクトで協力の可能性がある団体の代表の方(南部スーダン人)とお会いしたときのこと。

内戦時代に困難な立場に置かれた女性を支援するための事業をハルツームで実施していた彼女。
2005年の和平合意後、少しずつ女性たち(=南部から戦火を逃れて北部にやってきた国内避難民たち)は南部に戻りつつある今日この頃、彼女もハルツームの工房を閉じて、その土地を売り、その売り上げ代金で新しく南部で土地を買って、同じような工房を開く予定をたてている。

訓練対象の女性たちは、この団体の訓練を通じて、基本的な裁縫・食品加工・ハンドクラフト製作の技術を習得し、また、その他に衛生・栄養改善や算数のクラスを受講することで、女性を通じて他の家族のメンバーもベネフィットを受けられるような工夫がされている。

過去にはオランダやフランス大使館から支援を受けていたこの団体。

現在北部スーダンから南部スーダンに移る南部スーダン人が多い中で、このような団体は移っていく人々の受け皿になる可能性を秘めている。

南部スーダンが仮に独立した場合、北部スーダンに住む南部スーダン人はいやがらせを受ける可能性があり、また、南北の移動の自由が制限される可能性があることから、住民投票の前に南部に移動する南部スーダン人が後を絶たない。

国際機関や北部スーダンに隣接する南部の州政府はこれらの南部スーダン人の南部への受け入れに忙殺されている。

基本的なインフラが整っていなかったとしても、南部スーダン人にとって南部スーダンはSweet Homeであることには変わらない。

来年の7月までの間、この動きは続くのだろう…



◎この団体がハルツームで経営するショップ
◎ハルツームで運営されていた工房 ※今は使われていない

2010年10月30日土曜日

女性 x 教育

今週月曜日はプロペラ機での日帰り出張。


プロペラ機でジュバの近郊を飛ぶと、小さいけれど山がたくさんあることに気づきます。

内戦中はその山を拠点にジュバを攻撃していたSPLA(スーダン人民解放軍。元反政府勢力)。

訪問したトリットも内戦を支える重要な軍事拠点だったようで、そのことを州知事代理や州大臣も誇りにしていました。

空から見ると雨期のおかげで緑がまぶしく、そんな過去があったとはなかなか想像しにくいのですが…


トリットで、ある小学校を訪問し、南部スーダン政府教育大臣がスピーチしたときに印象的だった言葉。

「この学校には女子生徒が多いですね!女子生徒はぜひよい母親になってほしい。教育を受けた母親の下に子供が生まれるということはとても大切なことなのです。」


女子教育は、教育を直接受ける女子だけでなく、その子供や家庭も教育の恩恵を授かることになるので、23倍の効果がある…という話を聞いたことがありますが、大臣もまさに同じことを言いたかったのでしょう。

10歳から14歳で結婚してしまう女性も少なくない南部スーダンで、女子教育の大切さを理解してもらうには時間がかかりそうですが、大臣のこのような発言が多くの女性をエンパワーメントすることに繋がるといいなと思います。


◎学校の生徒たち(女子生徒もたくさん)

◎トリットの風景(上空より)

2010年10月23日土曜日

週末の息抜き

先週末と今週末に映画を1本ずつ見ました。


それぞれから心に残った言葉を一つずつ。


私にとって映画は心のビタミン。

駐在を終えて日本に戻ったら、また映画館の大きなスクリーンでドキュメンタリーからラブコメまで楽しみたいな~


◎『ニュー・シネマ・パラダイス』

「自分のすることを愛せ」


映画と初恋の人を愛し続けたトト。トトを理解し、信じ、愛したアルフレード。夫を待ち、トトを待った母親。そして、それぞれが過去を抱えながら生きるということ人生のエッセンスが詰まった宝箱のような映画。



◎『最高の人生の見つけ方』

「あなたはあなたの人生において喜びを見つけることができたか」

「あなたの人生は他の人たちに喜びをもたらすことができたか」


それぞれの人生は神様から与えられたギフトでありかけがえのないもの。その中身や長さを他の人と比べても意味がない…そういったことを感じさせてくれる映画。

2010年10月16日土曜日

東アフリカの優等生

ケニアの首都ナイロビと港町のモンバサに23日で出張してきました。


今回の出張の目的は、日本-ケニア-スーダンの三角協力の可能性を追求すること。


ケニアの歳入庁との連携を目指し、モンバサの歳入庁のブランチと研修施設を訪問。

モンバサでの関税収入はケニア全体の関税収入の80-90%を占めるということで、ケニア政府がモンバサでのオペレーションに力を入れているということが面談からも現場からも伝わってきました。


港の施設とオペレーションが立派で驚きました。

ここから南部スーダンまで様々なものが運ばれているため、(海に面していない)南部スーダンにとってもモンバサ港は生命線だと言えます。


今回の訪問で一番印象的だったのは、「東アフリカの優等生」としてのケニア政府高官の発言。

スーダンの安定は東アフリカの安定にとって不可欠であり、そのためにケニアとしてできることは貢献したい、とのこと。


具体的にどのような形での連携ができるかについての詳細は未定ですが、来年には形になるように今のうちから仕込みは続きます。



◎モンバサ港

2010年10月9日土曜日

秋の収穫祭

私の働いている組織が支援している孤児院の収穫祭に参加しました。


孤児院は通常であれば「子供」を対象とする施設。

しかし内戦中政府は特に孤児院の方針に肩入れしなかったため、孤児院で育った子供たちはそのまま孤児院に留まることに…

その結果、今、孤児院にはたくさんの子供たちだけでなくたくさんの大人たちも(所狭しと)暮らしています。


政府は今後はできるだけ孤児院の子供たちに教育や職業訓練の機会を提供し、早く子供たちが孤児院をあとにすることができる体制づくりを行っていく予定です。


孤児院の子供たちの前で話をする機会をいただいたので、「今回みんなで家庭菜園をつくってその収穫を祝うことができたように、自分たちの力で(食べ物がないというような)現状を変えることが可能なのです」ということと、「日本人は毎回食事の前に『いただきます』と言いますが、それは食事にありつけることを神様に感謝する言葉。このように、日本にはスーダンと同じように日々の食事を神様に感謝するという習慣があります」という話をさせてもらいました。


「孤児院はこんなに大変・悲惨な状況なのだ」ということに言及するスピーカーが多い中で、できるだけ子供たちの興味をひくような、そして、子供たちをエンパワーするようなことが言えれば…と一晩考えて話したこと。


少しでも子供たちに何かが伝わっていればいいな。



◎収穫された野菜(左上:ピーナッツ、右上:トマト、左下:なす、右下:乾燥オクラ)

◎収穫祭に参加する子供たち

2010年10月2日土曜日

オシャレなエンパワーメント

スーダンの女性をエンパワーメントするために昨年設立されたスーダンのNGO ’Roots’のワークショップ(販売店と女性が手工芸品を作る場所が一緒になったところ)がジュバに開かれたと聞いて、そこを訪問してみました。


すると、オレンジ色のとっても素敵な藁ぶき屋根のワークショップが完成しているのを発見してびっくりするとともに、着実に’Roots’の活動が進展していることに勇気づけられました。


建物の建設にはフランス大使館が資金を提供してくれたとのこと。

走りだしのスーダンのNGOに資金提供をできる仕組みを持つフランス大使館はさすがです。未だ日本の公的機関にはそのような仕組みはないなぁ…


手工芸品(ピアスやネックレス、キーホルダー、壁掛け等)をつくる女性たちには元兵士や様々な部族の出身者を選び、彼女たちをトレーニングして、彼女たちが質の高い手工芸品をつくることを通じて女性の自立を目指す仕組みづくりを行っているようです。


手工芸品の値段設定は高めですが、これはジュバの生活費が高いことに起因しているということ。

ここの手工芸品は本当にデザインも質もいいので、私は少々値段が高くても買ってしまいます。

今回も約4,000円の買い物♪


今後’Roots’の活動がどのように発展していくか、楽しみです。

そして、日本とどうにかして繋ぐことができないかな…と頭の中でぐるぐる考え中。



◎ワークショップ


◎販売店の中の様子

◎女性が手工芸品をつくる場所

2010年10月1日金曜日

住民投票まであと100日

ハルツームからジュバに飛行機で戻ってきたら、滑走路の端っこで降ろされた。

その後誘導されて、なんと裏口のようなところから空港の外にでるように指示される…

意味が分からず乗客全員呆然…

その後1時間近く真夏の太陽の下、荷物を待ちながら立ち尽くす…


その後分かったことは、どうやら南部スーダン大統領がアメリカへの外遊から戻ってくる日と重なっていたらしいということ。

空港は大統領専用と化していたようで…


まぁ私たちの乗った飛行機が欠航にならなかっただけよしとするかぁ…


大統領はアメリカから帰ってきたこの日、メモリアル・パークで南部スーダンの人たちに向けた演説を行った。

内容はかなり過激なもの

米国のサポートが今後期待できると見越しての発言か。


住民投票まであと100日。

南北の応酬は日増しに激しくなっていく…



【南部スーダン大統領の発言の要旨】

・米国など包括的和平合意(CPA)を実現させるために協力してくれた国々に感謝

CPAはスーダンに平和をもたらした

・戦争には戻らないし、戻ってはいけない

・過去5年間、北部スーダン政府の行ってきたことを見れば、「一つのスーダン」という選択肢が南部スーダンの人々にはないということが明らか。南部スーダンの人々の大多数が「独立」に投票するだろう。

・独立後の1956年から2度の長い内戦の間に400万人の命が失われたことを考えれば、住民投票を1/9に実施するのは絶対であり、我々の権利である。住民投票は遅らせられない。

・住民投票後は別のチャレンジが待っている。

・独立しても北部スーダンとは隣り合わせなので良好な関係を築く必要がある(独立したからといってインド洋や大西洋岸に移動するわけではない)

・石油、市民権、アビエイ等、北部スーダンとの間で決めなければならないことはたくさんあるが、「平和な離婚」を目指したい。

・国家の経済の多様化、特に農業の発展が必要。

・南部スーダンは破綻国家になるのではないかというプロパガンダあるが、CPA後の5年間で南部スーダン政府が南部スーダンのために達成したことは、50年かけて北部スーダン政府が(南部スーダンのために)達成したことの何千倍と言える。

2010年9月30日木曜日

北部スーダン観光事情

友達が2人、ハルツームまで遊びにきてくれました。

私も同じ時期に休暇をいただき、ハルツーム入り。

「ハルツームに来てもどこも行くところがないのでは…?!」とジュバ仲間は心配してくれましたが、なかなか濃い時間を過ごした1週間。


ちょっとマニアックな旅、みなさんもいかがですか?



1日目@ハルツーム

スーフィーダンスの見学(前列:踊る男性陣、後列:見学する女性陣)

NGOロシナンテス事務所訪問(星空の下でござを敷いて夕食)

2日目@メロエ

ナイル川クルーズ

ピラミッド

3日目@ハルツーム

青ナイルと白ナイルの合流地点(左側:白ナイル、右側:赤いけれど青ナイル)

ラクダランチとラクダ市場(羊みたいで美味)

オムドゥルマン市場(中国製品がたくさん)

4日目~5日目@世界遺産(他に訪問者はおらず貸切状態。物売りもガードマンもなし。)

Nuri(紀元前7世紀ごろ。スーダンの歴史上もっともパワフルだった支配者Taharqaのお墓があるところ)

Kurru(紀元前9世紀ごろ地下に建設されたお墓。死後の世界が壁に描かれている)

ジュベル・バルカル(聖なる山の意味。上まで登れて頂上からの景色は絶景)

世界遺産の真正面にあるイタリア系ホテルでちょっとラブリーな時間(私は暑さでばてて楽しむ余裕もありませんでしたが…)

6日目@ハルツーム

プールサイドで休息

7日目@ハルツーム

博物館(スーダンの歴史が簡単に分かる!展示物はあまりないけれど…)

ナイル川で夕日鑑賞(橋の上から見た風景)

2010年9月22日水曜日

国際会議

あるイニシアチブがはじまって、それが形になっていく過程を半年以上かけて見てきた。

そして、先週、その集大成である国際会議に上司と一緒に参加させてもらった。

今後はそのイニシアチブが実際どのように現場におりていくのかを半年以上かけてモニタリングすることになる。


このイニシアチブには、過去の他の紛争国での教訓と南部スーダン独自の文脈との両方が反映されている。


来年の7月(包括的和平合意が有効な期間の期限)に向けて佳境を迎える南部スーダンの国づくり


我々にできることは何か?―――アジアと異なり日本のプレゼンスが高くないアフリカの地で、この問いがずっと頭から離れない。


◎国際会議があったブラッセル(ベルギー)の町並み